kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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ふれあいのとき
 人と人は顔を合わせて向き合って、そればかりか見えないスピリット同士でふれあって、そうしてそこでそれぞれが、必要なものに出会うのだろうか。ヴァーチューズ・プロジェクト・ジャパン(VPJ)福井支部「雪の花」が開いた「内なる美徳を呼び起こす教育ための12時間ワークショップ」は、そんなひとときだった。丸二日間たっぷりと会場にいながらたまに居眠りしてしまう不届き者のぼくだったが、参加者ばかりか雪の花のファイシリテーターの仲間たちも、ひとりひとりがそれぞれのペースで深まっていくのが肌で感じられる、実に愉快な会だった。

 それにしても、このワークショップの名称のなんとだらだらと長いことだろう。これを聞いてすぐに参加してみたいと思う人の方が、むしろ珍しいかもしれない。ただどんなことも必要な人には必要なもので、最後に出会った参加のみなさんの涙や笑顔が会の有意義さを表していた。

 参加者には退院したばかりでネットサーフィン中にVPJのホームページに出会い参加を決めた女性がいたり、この春定年退職されたばかりの元校長先生のふーさんがいたり、いつもほんとうにバラエティに富んでいる。呼びかけても届かないもどかしさもある中で、顔ぶれを見ているといつも出会いの妙を感じてしまう。



 いつものように「スピリットを尊重する」というテーマを担当したぼくは、初日に撮ったひとりひとりの表情を今年の白山の写真の間にちりばめて、その時間に上映した。人と自然、などという言い方をして、両者を区別したり意識的に同一化したりするけれど、ほんとうははじめからいっしょなんだとふと思い、それで交互に映し出す構成にした。スクリーンにした壁に向き合い見る人の視点になってみると、どの表情も輝いて、まことにこれも自然が持つ本来の美しさだと思った。作者のぼく自身が感動してどうするんだと肚に力を入れ直したが、うす暗いのをいいことにあふれる涙をそのままにした。

 ふーさんは今、長い教員生活を振り返っている最中だと言われた。スピリットウォークと呼ぶひとりの静かな散歩では北潟湖畔の芝生に横になり大空を見上げていたそうだ。そのとき浮かんできた思いを詩に託され、最後のあいさつで披露してくれた。「素直、素直になっていく」という自分の変化に驚いている様子で、まるで青年のようだとぼくは思った。「ますのさんのあの映像の表情がほんとうによかった。人はあんなにも美しいんですね」と、うれしい感想までいただいた。

 ふーさんはここまでどんな心持ちで歩いてこられたんだろうか。「美徳の言葉を使って考えると、本質の世界に近づいて行くようだ」とも言われた。この会に関わるようになってぼくはもう三年ほどにもなるけれど、美徳を柱に据えて暮らしているとは冗談にも言えない。それでもふーさんのような方に出会うと、関わっていて良かったと心から思える。

*****

 余話。ワークショップから戻って、投稿したJANJANニュースの記事を読んだ。感想を書くだけで気になる新刊が無料で読めるのがうれしくてこれで四回ほど投稿したが、はじめてコメントが寄せられていた。残念ながらそれは批判的なもので、しかも要点がつかめない代物だった。いっぺんに不愉快な気分になったが、その原因はコメントの中味ではなく、見ず知らずの人になんのあいさつもなく土足で踏みにじられたような状況が嫌だった。顔も素性も知らない者同士が定型のフォントが並んでいるネット上の話だけを材料にやりとりしている、この無味乾燥な、まるで砂漠の砂を噛むような世界を、いったい全体どう考えたらいいんだろう。人は、顔と顔をつき合わせ、生きている姿を見せ合ってこそほんとうにふれあえるのだ。もしも距離があってそれが叶わないのなら、見えないスピリットがあるじゃないか。寄り添うのだ。ていねいに、心細やかに。kazesan、お前に言っている。

 




| 13:13 | ヴァーチュー | comments(8) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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Comment








ますやん、この写真、すてきですね。昔、我が家の庭にもあり思い出します。1つ1つが、きらきら光っていて、参加者ひとりひとりのスピリットを表しているようですね。

miekoさんは、長年、重度の障害者福祉や高齢者福祉のお仕事をなさってきたので、たくさんのことを情熱と奉仕でやりとげてこられたと思います。

そんな中で、きっと無執着の美徳を発揮されたこともあったと思います。
posted by satoko | 2009/10/02 6:42 PM |
事情を詳しく知らないぼくなので適当に聞いてもらっていいんですが、どんなこともその状況を思い通りに変えようとすることが一番大切なことだろうかと、疑問に思うことがあります。世の中には変えられないことはいっぱいあります。それに立場が違えば当然違う物差しを使っているだろうし、それぞれの正しいがあるわけで・・・。重症の障害児と共に暮らしている友人は、家庭のその状況をけして変えられるわけではありませんが、その状況をどう見るかという視点を見事に変えました。「美徳の視点」が持っている力は、ときに想像以上のものを発揮してくれるようです。
posted by kazesan | 2009/10/01 8:47 AM |
重たい会議は 全くの物別れでした。まだまだ 未熟な自分には 無理ですね。かなりかなり satokoさんのご意見を念頭に 注意深く話を進めていきたかったのですが、なかなかそうはいかなくて 残念な結果になりました。まだまだだと自戒の念でいっぱいです。また ワークショップに呼んでくださいね。
posted by mieko | 2009/10/01 7:18 AM |
そうかあ、お年寄りの智慧というものがありましたね。子どもたちへと手渡して行く大切なものを持っているお年寄りがまだきっと何人もいるはず。さとこさんの周りには? さとこさん独自でも雪の花の企画でも、いろんなことできそうですね。
posted by kazesan | 2009/09/30 9:59 PM |
昔は、顔の見える関係だったから、信頼も築きやすかったですね。ネット社会は、便利な反面、生身の信頼を築きにくくするどころか、傷つけあいやすくしますね。

だからこそ、心して、お互いを大事に思って発言する意識を忘れちゃいけませんよね。

この意識をどうやって持つか。

posted by satoko | 2009/09/30 4:18 PM |
書評のことは、もうそれ自体にはなんの問題も感じていませんが、ネット社会のこの砂漠のような一面に浸り切っているしかない人たちがいるかもしれないことに、得体の知れない不気味なものを感じます。そこで人らしいものを見つけることは、きっとほとんど不可能なのではと思うから。

ヴァーチューズのひとときなどが、そんな砂漠と対比してあるのではなくて、それが世界となるような広がりをイメージしています。無防備で話せるということは、信頼でつながる関係だからこそできること。信頼ってどうすれば育つんでしょうか。一方通行ではけして無理だろうし、かと言って気づいた方から信頼の心を放ち始めなければなにも動きはしないだろうし。美徳。それが自然なことだった昔の人に聞いてみたいものです。
posted by kazesan | 2009/09/30 12:38 PM |
素敵な出会いが たくさん! 久々に穏やかで無防備に話せる雰囲気で・・・。不思議不思議!同じ志を持った方々の集まりだったからでしょうか?なにか高貴な物を感じました。日々 こうありたいと 心底思いましたね。マスヤンさんの写真にもいっぱい慰められました。感謝感謝です。
posted by mieko | 2009/09/30 6:37 AM |
書評のページ、見てきました。コメントに書かれていた批判的内容、よく理解できませんでした。この本に、読者の人権やプライバシーにかかわるようなことが書いてある?実際にこの本を読んでいないので何ともいえませんが、なぜこの書評だけで、そのような判断になったのでしょうね。問題と見えるような発言にも肯定的意図があるのでしょうかね・・・。もう少しわかりやすく具体的に書いていただけるとよいですね。
posted by satoko | 2009/09/29 11:14 PM |
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