kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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環の中で
 これは闇夜の新月。なんていうのは、ジョーダン!(笑)。太陰暦では今日から師走。朔、新月の早朝は、静座していてもちょっぴり違うものを感じていたようだ。月暦を気にし出してまだひと月だから確かな話ではないけれど、この暦、やっぱり優れものだと思う。ぼくは生まれてはじめて、ひと月を暮らした、という満足感に浸っている。

 一昨日の霜月二十八日は小寒だった。ふれると切れてしまいそうな細く鋭利な月が、まだ薄暗い東の寒空に浮かんでいた。三日月とは逆に、右側が欠けている。恥ずかしながら月暦を知る前のぼくは、その違いに気づいていなかった。細い月をひとくくりにして三日月と呼んでいた。濃い灰色の雲にやがて隠れてしまいそうなのを見ながら、霜月が終わってゆくのだと、見送るように手を合わせた。

 灰色だった雲が朝陽を浴びて、縁を朱に染め、冬の冷たい風に流されてゆく。なんということもないいつもの空の風景が、どこか違って感じられた。自然界はほんとうに、淡々と流れている。月が生まれ消えてゆくように、雲もまた、流れ去っていった。そうして月も雲も、やがてはよみがえる。めぐっているとは、なんと深いやすらぎだろうか。

 西暦で初春を祝ったあとに寒の入りとなるんだから、この季節感のずれに今では違和感を感じてしまう。春の七草粥だって、まだ少し早すぎる。それを旧暦の話だと片づけてしまうなら、わたしは自然の流れから離れていたい、と言っているのと同じかもしれない。自然は、壁にかけたカレンダーではなく、月とお日さまの動きに合わせて流れている。

     夜明けと月(足摺岬 Jun.2004)

 西暦は直線的に流れる時間だと思った。そこには始まりと終わりがある。生まれて死ぬまでの間が時間なのだ。その途中のどこかに目標を定め、それを生き甲斐にもし、頑張ったり乗り越えたりする。それはそれで十分に素晴らしい。ぼくもそういう人間のひとりだ。けれど、少し立ち止まって考えた。北陸新幹線を西暦2010何年までに建設し開業する、とか、何百年後にはこういう未来をなどというとき、どこかにひとりよがりな人間像が見えてこないか。30歳までに家を建てて、なども同じようなものだと感じてしまう。もっとも、建てる甲斐性もないぼくが言っている話だ。

 終わりがある時間の途中に、なぜ目標がいるんだろう。いつか途切れてしまう命の流れなら、なにを慌てて急ぐ必要があるんだろう。時代を受け継ぐと、人は言うけれど、受け継いだ時間はいつまで流れつづけるのだ。人類の時間は永遠なんだと確信して、遠大な計画でも立てているんだろうか。西暦の時間は、当てもなくただひたすらに流れている。そう思えてしようがない。

 さて、師走だ。明後日は三日月。夕暮れの日本海に沈む姿を拝んでみたい。晴れてくれるだろうか。天気予報のマークは、曇と傘と雪だるまばかり。今は、海が1年でいちばん荒れている冬なんだ。季節はまるで環を描くように、めぐっている。春を待つのもまたよしだ。毎日の同じような暮らしや、似たようなものばかり撮っている写真を見て、マンネリだなと思うこともあるけれど、それもまた、季節と同じでめぐっているひとつなのかもしれない。環の中で、環を描くように暮らそう。始まりも、終わりもないんだ、きっと。







| 09:38 | 月的生活 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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