kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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『ペンギンの教え』
 原っぱから蝉たちの声が消え、今は大合唱と言いたくなるほどに秋の虫たちが賑やかだ。季節は移ろうものだとわかっていても、生と死を繰り返す種の命に思いが及ぶとやっぱりすこししんみりとしてしまう。これもまた秋のせいだろうか。里山の山道も舗装され味気ないものだが、乾いたアスファルトの上でカマキリがペシャンコになって昇天していた。ほんとうにあっと言う間のことだったんだろう。カマキリにも意識があるのなら、まだ死んだとは信じられないかもしれない。よく見ると、屍骸に早くもアリがまとわりついていた。自然界の生き物たちがそれぞれの命を投げ出して全体のバランスを取っていることは知識としてある程度は理解していても、こんな小さな世界にもそのやりとりがあるのかと、実際に目にして確認できるとホッとするようなうれしいような、不思議な安心感を覚える。人間さえいなければ、自然界の調和は見事なまでに永続するのだろうに。

 小菅正夫『ペンギンの教え』(講談社)を読んだ。著者は旭川の旭山動物園名誉園長だ。「15歳の寺子屋」というシリーズで未来を切り開いて行こうとしている年代の子らに向けて、心あるおとなたちが自らの経験談を語っている。

 よく耳にする言葉だが、特に若い女性などが連発する「かわいい」という形容には、いったいどれほどの気持ちが込められているんだろうか。著者は野生動物はけしてかわいいものではないと断言している。それはそうだろう。本来はすべての生き物たちは喰い喰われるという関係で互いを生かしているのだ。喰われるのか行き倒れるのか、とにかく死ぬ直前まで与えられた命に限りなく忠実に生き抜いているのだ。それが本能だと簡単に片づけられる話ではなさそうだ。

 『奇跡のリンゴ』にもあったが、すべてが存在していてこそ全体が成り立っているという、もっとも大切な話がここにもあった。目に見えない土中の微生物さえも、ヘドロの浮いた汚染地帯の生き物さえも、なにひとつ無駄な存在がこの地球上にはいないのだ。なのに人間の感情や都合を優先させて排除しているものはないだろうか。身近を探るだけでも、あれやこれやと出てきそうだ。



 「多様性」とは近ごろよく見聞きする言葉だが、「生物の多様性」と表現しても、自分のこととして捉える人はほとんどいないだろう。それは、動物たちとのふれあいから著者がつかんで提示したものだ。自分自身と自分の道を限定しないことを、多様性という言葉で表している。みんなちがってみんないい、という詩の一節も、多様性ということだろうか。

 この小さな一冊の平易な言葉の中には、ほかにも人間が考えなければならないテーマが山ほども詰まっている。ここにそのひとつひとつを書き出すまでもなく、すでにだれもがうすうす感じていることかもしれない。

 あのカマキリの屍骸は、たかるアリのおかげで土に還るだろうか。舗装道路だろうが高層ビルだろうが、おそらく自然界の仲間たちはひるむことがないのだろう。きっととことん、できるかぎり、たくましい。人間は同じこの地球上に生まれながら、どうしてもこうも自然界からかけ離れ、しかもそこに最大の危機を感じないで平然としていられるんだろうか。それもまた自然の営みのひとつなんだろうか。今さら太古の昔にはもどれるはずもないのだし。

 ああしかし、感傷的になってどうする。たまに萎えることはあっても、ぼくも死ぬまで、とことん、たくましくだ。そうだ、この本、あいつに送ろう。これから自分の道を求め歩きはじめるあいつに。






| 22:09 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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