kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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カメラ小僧の気概
 いよいよこの年になって、カメラ小僧に磨きがかかってきた。日常のシーンを撮りまくっているだけのことだが、これがなんとも面白い。被写体はどこにでもあるようなものばかり。足下の草花、打ち捨てられた物や物、要するに、だれからも見過ごされている、きれいでもなく、特別何かを感じるわけでもない、ごくごくありふれた風景たちだ。同じようなものはこれまでも撮ってきたはずだが、この頃はいくらかちがった気分を持っている。被写体に、ぼくは完全に共感しているようだ。ぼく自身の中にあるわざわざ人に言う必要もないちっぽけな感情と、それらの被写体との間に、とっても親密な関係を感じる。まるで庶民と庶民が寄り添って互いの日常を讃え合っているような感覚だ。だがあくまでも慰め合っているというような物悲しい関係ではなく、深い信頼に裏打ちされて、底辺に住む者と物が同志として讃え合っているのだ。ぼくは、ようやく撮りたいもののひとつに出会えたな、とまで思っている。



 写真家になりたいと、ずっと思っていた。だがそれは、もうあきらめた。否、あきらめたのではない。写真家などと居丈高に構える気がなくなった。ぼくはただ写真が好きなのだ。そして、生きていることだけで、十分なのだ。生きている日常にはなんの問題もない。問題がないのだから、何かを訴えたり、表現しようと力む必要性もない。

 問題とは、なにか。自分の思い通りにならないことへの、抵抗感ではないのか。世の中に問題があるのではなく、憤りを感じている自分の中にこそ実は問題があるのだと、このごろ思うようになった。

 たとえば庶民とかけ離れた政治。たとえば利益追求の経済。たとえば口先ばかりの環境保護。数え上げれば切りがない。それらすべてがおいそれと変わるのか。正義の使者として思い描く通りに変えようとすることの中に、なんの矛盾も、なんの問題も潜んでいないのか。現代生活を営み維持すること自体が、環境破壊ではないのか。

 だから、問題とは、なにか。問題にしていることのすべては、人間が存在しなければなんの問題にもならないものばかりだ。人生を授かったということの意味は、そんな問題を解決するためにあるのだろうか。残された貴重な時間を費やす先は、ぼくの中にこそある。自分が底辺で生きていることを、まず謳歌しようと思う。それ以上に大切なことがほかにあるのだろうか。生きている環境と生きていること自体には大した関係はないのだと、カメラ小僧の目は感じ出している。

 食べかすとして捨てられたトウモロコシの芯は、ぼくだ。用水の急流に翻弄されている諸々のモノたちも、ぼくだ。だがその境遇を嘆いているのではない。小心者にはちがいないけれど、この世の人生を堂々と胸を張って生きていく気概ぐらいは、いつも持っていたいのだ。




「untitled」



| 20:19 | 写真 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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