kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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等身大レンズ
 焦点距離50mmが面白い。標準レンズと言われているが、写真学校に入学して講師がまず言ったアドバスが、「この標準を使いこなせるようになるまで撮りつづけたらいい」だった。天の邪鬼なぼくは、初めて覗いた広角が楽しくて28mmばかりで撮っていたものだが、今ごろになって標準レンズに取り憑かれているんだからおかしなものだ。

 なぜ標準レンズと言われるのかは人の目の視角に近いというのが理由だが、使いこんで行くうちに自分なりにわかってきたことがある。望遠でも広角でも、マクロでもなく、50mmには気負いがない。小さなものは小さなままに、大きなものは大きな分だけ画面からあふれ出し、どれもこれもが力まずにそれらしくそこにいる。切り取った画面の中には等身大の被写体が見えるといった感じで、それがぼくの中の素直な部分ととてもうまくマッチしている。

 けれども、標準レンズという言葉はちょっと面白くない。これからはこの50mmのことを等身大レンズと呼ぶことにしよう。しかも今では生産していない希少なものだ。開放値F1.0が災いしたのかフレアーやゴーストがよく出るし、全体に締まりのないトーンになってしまいがちで、高価な“逸品”は人気がなかったのかもしれない。中古で仕入れたぼくにはそのあいまいさが好みになっているんだから、実にうれしい出会いではある。



 F1.0というのは人間の目よりも明るいのだと、マニュアルで読んだものか、うろ覚えに記憶が残っている。これはちょっとした威力だ。まだ薄暗い早朝の散歩でも、一本のろうそくのほのかな灯りでも、ほとんどが手持ちで撮れてしまう。ブレたらブレたで、それがまた味というものだが、なるべく作為のない写真とつきあいたいぼくだから、その場のその光のままに撮れるといことは、これもまた等身大ということだ。

 それで、ぼくは、等身大で構えているか。等身大で自分と周りを見つめているか。妙な背伸びはいらない。心を着飾ることもない。あるがままの自分をよくよく見つめるのだ。それこそが、人生の後半にはとくに必要なことにちがいない。等身大レンズの開放で撮りながら、心もまた解き放つのだ。

 名もない一介の愛好家が撮る写真には、だから同じように名前はいらない。だいたいが、ぼくの人生にもタイトルなどついていないのだ。そんなぼくが等身大で出会ったものは、当然だが無題だ。ただどちらも大いなる等身大のままに、互いを讃美しあうのだ。



「untitled」





| 21:21 | 写真 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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