kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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スピリットを尊重する
 ヴァーチューズ・プロジェクト「雪の花」主催の連続講座「美徳の視点」の参加者のみなさんと、週末の二日間に「スピリットを尊重する」ひとときを過ごした。日本語にもなってしまったような「スピリチュアル」という響きには親しんでいても、ではスピリットとはなんだと問われて自信を持って答えられる人となると、どうやらとても少ないようだ。先のエミサリーのアート・オブ・リビング・セミナーでも、「スピリットの流れ」というものがあって、その流れに添って生きればいいのだと学んだけれど、おそらくぼく自身も本当にはなにひとつわかっていない。わかっていないぼくが、どうやってスピリットを尊重することができるだろうか。

 スピリットと聞いて連想する言葉を、会のはじめに問いかけた。参加者から出たものは、普遍的な生命、目に見えない心、自分の中の深い部分、一番大切にするもの、命の根源、琴線にふれるもの、本来の姿、魂の柱などだった。ほんとうにスピリットというものがあるのなら、どれもきっとスピリットの側面を表しているにちがいない。ただ誰もがそれを確かなものとして実感していないだけのだ、と思った。

 ヴァーチューズ・プロジェクト・ジャパン代表の大内博さんが翻訳した『家族をつなぐ52のキーワード』(太陽出版)の中の、「和」の美徳についての解説はこんな一文ではじまる。

 「和はとても強力な美徳で、大きな力を持っています。和とは宇宙をひとつのものとする見方です。和の美徳を実践するとき、私たちはすべての人とつながり、すべてのものとつながっていると感じることを自分に許します」。



 もっともなことが書かれていて、それくらいのことなら知識のようにしてぼくも知っていた。けれど、すべての人、すべてのものとつながっているということをぼくは時には感じながら、それを感じることを自分自身に許していただろうか。どちらかと言えば、すべてはつながっているだろうと思いながら、そのつながりを大して意識することもなく、つまりは、そんな美しい言葉ばかりを頼りにできるものかと、感じることを自分に許してはいなかった、ような気がする。

 悟った人ならスピリットの正体に出会い、それと共に生きているのだろうが、ぼくのような凡人にそれはかなわない。だがその正体を知らないからと言って、それを生きられないということではないかもしれない。たとえば、スピリットを感じることを自分に許す、というのはどうだろうか。スピリットを感じているのかもしれないという程度のことでいいのだ。疑うことなく、感じている自分をゆるし、信頼するのだ。それならぼくにもできそうな気がする。

 スピリットウォークと呼ぶ、自然と対話するひとときを持った。スタッフも思い思いに金津の木立の中を歩いた。ぼくの目にふと止まったのは、百足だった。何十本もの足をよくもまあ絡ませもせずに動かして歩けるものだ。ジッと見ていると、さらに細かく振動させている触角に気づいた。「おまえ、もしかしたら目がないのか」と思わず声をかけてしまった。触角で確かめながら進路を決めているように見えたからだ。まるでアンテナだな、と思った。

 百足の触角にアンテナの機能があるものか、ぼくは知らないけれど、人間にもアンテナが必要だと感じた。スピリットが絶えることなく流れていたとしても、それを感じるアンテナを立てなければ感知することは難しいかもしれない。否、かも知れないどころではない。きっとそうにちがいないのだ。そういうスピリットからのメセージを、ぼくは百足を通して受け取ったのだ、と思うことを自分に許すことにした。

 


| 14:56 | ヴァーチュー | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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