kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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地球服
 「本当のあなたへ帰る旅」とも呼んだアート・オブ・リビング・セミナーで、地球服という言葉が使われた。この肉体ばかりか、頭を使って考えることも、心の深くで感じることも、すべて地球服と呼ぶこの地上で暮らす方便だ、というわけだ。本当のあなたが、この地上に一着しかない地球服を着込んで、地球の生命体として体験を積んでいる。そんなふうに考えると、それぞれの体験がどんなものであろうと、含まれている価値はほかと比べようもなく、唯一それを体験している本当のあなた自身にとってのみ、意味が生まれるものだ。地球服という言葉を聞いて、それがぼくの今の理解だ。

 今でも毎日思いをはせる、天上にあるだろう友の存在は、しかしこの世で出会いふれあったころの面影がちかごろ急速に薄らいできた。別れてからまだ、わずか二年と七ヶ月しか経っていないというのに、だ。どういうことだ。ぼくが薄情なせいだろうか。記憶や思い出に温もりだけが残り、起伏の激しかった感情や見えていたはずの形の一切が消えていく。微笑む写真を見ても、ほんとうにこの友と過したのかと、自信がなくなってしまうほどだ。これは、死別の当座に優るとも劣らない寂しさかもしれない。

 そしてふと、あれは友の地球服だったのかと、懐かしむ気持ちが生まれた。孤独の淵に下りてはいつも泣いてばかりだった。表向き明るくつとめる姿がいじらしく、はがゆくもあった。やさしすぎた性格から人の言うことばかりに耳を傾け、自己を見失うこともしばしばだった。泣いて笑って、また泣いて、泣くことで内に溜め込んだ熱いうねりを解き放っていた。ほんとうに、懐かしい。あれが友の地球服だった。



 だれもがみんな、片時の地球服を着込んでいる。ぼくも妻も、子らも孫も、おやじもおふくろも。心通わせる友、ただすれ違うだけの通行人、空を飛ぶ航空自衛隊のパイロットも、薬品の瓶を投げる環境保護団体のメンバーも、殺人を犯す人も殺される人も、今朝の公園をひとり黙々と掃いていたあの人も、だれもが、片時の人だ。

 けれども、問題がそれで解決しているわけじゃない。地球服を着込んでいることがわかったところで、ぼくは本当の自分に帰れたのか。否、その前に、帰りたいと思っているのか、帰る必要があるのか、さえわからない。いまのぼくは、確かに片時のぼくだ。それは間違いのないことだ。その気になれば、この服を脱ぐことは簡単だ。無理に脱がなくても、日々少しずつ脱いでいる。きょう襟のボタンに手をかけ、明日はふたつめのボタンを外すのだ。地球服を脱ぎながら、本当のぼくが見えてくるなら、それはそれで結構なことだが、今はまだなにもかもが不確かなままだ。

 梅雨時の青空がことのほか爽やかに広がって、田んぼの稲に波立つ風が天上の友の微笑みを運んでくる。あれは、ほんとうの自分に帰った友の、微笑みだ。不確かなぼくを、確かな思いやりで包んでいる。この地球服の存在を忘れてしまいそうなほどだ。



| 12:49 | アート・オブ・リビング・セミナー | comments(2) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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月の暦のMiさんなんですね。生まれて消えてを繰り返す月は、ぼくの最高の友だちです。気にしない夜があっても、いつも静かに浮かんで見守っていてくれる。今宵三日月、ぼくが生まれ日の夜も三日月だったんですよ。
posted by kazesan | 2009/06/25 10:32 PM |
風のように光のように純粋無垢な魂が、あえて地球服を纏い、思い思いの体験をしにやって来ているんですね。地球服を纏っているからこそ味わえる喜怒哀楽の詰まった体験もかけがえのないものだなと愛しく思えます。

いただいた月の暦、昨日めくりました。こんな「月の道」、私もどこかの海でいつまでも見つめていたことがあります。
posted by Mi | 2009/06/25 6:45 AM |
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