kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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好意とか善意とか
 好意とか悪意とか、人には心や気持ちがある。それを元に行動もしている。自分の思いに忠実になればなるほどそれが原動力となって、行為や言葉として外に表れることになるのだろう。そんなことを思っていると、好意にも悪意にも、かなり一方的な側面があるような気がする。

 試しに好意を広辞苑で引くと、親切な心、好きな気持ち、親愛感などとある。好意を無にする、好意に甘える、好意を寄せる、好意を持つ、などと、好意という気持ちの周りで人は行動したがる。悪意はどうだ。他人に害を与えようとする心、わるぎ、わざと悪くとった意味、とある。悪意を抱く、悪意に満ちた、とはよく聞く言い回しだ。わざわざ意味を調べるほどのこともなかったが、好意にも悪意にも、やはりそれを持つ人の一方的な匂いが漂っている。

 もうひとつ善意という言葉が浮かんできた。善良な心、他人のためを思う心、好意、などとあった。好意に似ているけれど、いくらか雰囲気がちがって感じられる。他人のためを思う分だけ、一方的な匂いが薄らいでいるようだ。すると、好意も悪意も、自分のためにあるような気がしてきた。対象を思いながら、実はその思いで自分を満たそうとしているに過ぎないのではないか。言うならば、自己のためだ。



 面白い。これはぼくにとって、実に面白い発見だ。ときどきに出会った女性に好意を持つことがある。そろそろいい加減な年になっているのだから大したことにはならないのだけれど、恋心にも似たその好意にはとても押し付けがましいところがありそうだ。相手を思っているようで、実は枯れてゆく自分を満たしたいだけなのだとわかる。

 殺人事件の審判では、殺意の有無が量刑を左右しているようだ。同じ行為でも、その意志があったかどうかと問うている。それも思えば不思議なことだが、行為が偶発的突発的なものなら、ある程度はゆるされる、ということか。一方的な思いがないなら刑は軽くなる、ということか。

 どんな思いも、大義名分を振りかざし、自己のために向けていることが多いのだとしたら、他人を思いやるということがどんなに尊いことだったかと、ハッと目が覚める。ぼくには、深い哀しみを知っている友がいる。重度の障害児を抱え、安まる暇もない日々を送っている。そして彼女の哀しみは、周りの人たちへの深い思いやりともなって表れる。その深さはきっと、好意や悪意、善意とかを越えたところにあるのだろう。その優しは、人が本来持っている本能のようなものなんだろう。一方的な思いが多すぎる世の中で、それこそが本物の心だ。自己中の極みを行っているぼくへの大いなる戒めになる。

 


| 07:21 | 心の森 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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