kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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サンクティフィケーション
 明日搬入の個展の準備をしようと思っていたら、今朝はうまい具合に早朝から目が覚めた。まだ薄暗いうちに家を出た。そうだ、久しぶりに参道を歩こうと思いついた。心に浮かんだアイディアにはなるべく忠実でありたい。小鳥たちさえまだ起きていない境内をゆっくりと歩いた。もしも人生にこの静寂がなかったら、ぼくは気が狂ってしまうかもしれない。日中のドタバタは、この短い静寂で採算が取れてしまう。まさにこれが、エミサリーの伝えるサンクティフィケーションだと思った。

 サンクティフィケーションと瞑想は似て非なるものかもしれない。自分の中心に入って行くことに変わりはないだろうが、サンクティフィケーションには決まった形がない。それぞれが本当の自分に自分の中心を合わせることができれば、それで事が足りてしまう。難しいことはなにひとつない。静寂を拠り所にして一日を始めればいいのだ。眠りの前に静寂につつまれ、一日を振り返ればいいのだ。そうしてそれぞれ十五分ほど過して、自分の外の荒波に呑まれないようにすればいい。呑まれていた日は、それに気づいていればいい。覚醒とは無縁の話だろうが、スピリットの流れに寄り添い、生命とともに暮らしを創造することを、エミサリーはもっとも大切にしている、とぼくは感じている。



 参道の灯りが真新しい物に変わっていた。今日まで気づかなかっただけだろうか。磨りガラスがはめ込まれている。なんとなく洋風な気がして落ち着かなかったが、気になるのは暗いこの時間帯だけだ。これまでのぼくはいろんなところで思い込み、決めつけ、自分の正義を振りかざしてきた。それも目立たぬように臆病に、そして強情に。北海道やアート・オブ・リビング・セミナーの余韻が残っているせいか、囚われが少なくなっているのがありがたい。どうせまたいつか元に戻っているのだろうが、せめてサンクティフィケーションだけはつづけよう。マーシャもユージンも強く勧めていた。

 しらやまさんに参ったおかげか、八時間を休まずに、ほぼ準備を整えることができた。展示写真は七十二点、すべてに「撮るということ」についての思いを書き込もうと、静寂のままにメモを取った。一枚一枚を時間をかけて見つめているうちに、何度か居眠りをしてしまった。目が覚めると、言葉が浮かんできた。面白かった。けれどもどうやら、撮るということへの確かな答えは見つからなかった。ぼくにはまだこの先も、つづきがあるのだろうか。静寂を友にして。




桝野正博「撮るということ」






| 18:06 | アート・オブ・リビング・セミナー | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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