kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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にせもの
 『パパラギ』には、映画についての話もあった。酋長のツイアビはそれを「にせものの暮らし」と言った。真っ暗な部屋に閉じこもり、スクリーンに映る世界の中にのめり込む。映画の主人公は英雄であったり冒険家であったり、悲劇のヒロインであったりと、観る者を引きつけるのだけれど、サモアの人にしてみれば、どれもこれも自分の人生を忘れ、ドラマチックな物語をまるで自分も生きたかのような感動に浸っているだけの、にせものの暮らしとなってしまう。

 ぼくが生まれてまだ五十年そこそこだから、映画はもちろん、テレビも、大好きな写真もなにもかもが、すでにあったものだ。あって当たり前のものにつつまれて、ぼくは大人になった。今の子らにはテレビゲームは当たり前で、コンピューターやロボットが暮らしの大部分に浸透する時代も、やがて当たり前になるのだろう。だが、この、当たり前になってしまう事どもの中の、異質なものになにひとつ気づけないのが人間だとしたら、科学の進歩や発展などはあまりに悲しい出来事だ。



 映画は、ぼくにも楽しみのひとつだ。でもそんなものなど比べものにならない本物の楽しみが人生にはあるのだ。サモアの人の目には、それがはっきりと映っていた。彼らにすれば、世の中の芸術などどれもこれも本物を忘れてしまった人間同士の評価の産物に過ぎない。それを高価なものとして売買する世界があれば、わかったような顔をして深く鑑賞する人たちがいる。面白い。それがこの世の常識になっている。

 常識は、誰もがそうだとして受け入れているに過ぎないものばかりだ。たとえば、裁判はどうだ。死刑の廃止を望んだところで、罪を犯した人間を赦す事まではだれもしないだろう。それが、社会の常識だ。

 ある部族のこんな話を聞いたことがある。ひとりの男が良からぬことをしでかした。全員が集まった輪の中央に、その男は座らされ、周りのひとりがひとりがその男について語り出すのだ。それは男についてのこれまでの善行ばかりだった。「お前は、わたしの娘を助けた」「お前は、何十人分の獲物を捕らえてきた」などと言ったのだろうか。あらゆる善行で讃えられた男は、そのあとどうなったのかは知らないけれど、その村では罪は償わなければならないものではなさそうだ。罪という概念さえないのかもしれない。

 現代社会とこの村の話には、埋め難い溝があるだろうか。自然と共にあった人の姿など、すでに化石となっているだろうか。未開の地の野蛮な人種だと、現代人なら言うに違いない人々が、少ないけれどまだ世界には存在している。この世の常識など、大方の常識というに過ぎない。あれもこれもと辻褄を合わせなければならなくなった人間の、妥協の産物が常識なんだろう。ぼくもその中にいるのだから、できることならにせものなどと言いたくはないけれど。




| 21:40 | 日々のカケラ | comments(3) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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Comment








やり直せるものかどうか、ぼくにもわかりません。でも自分の中のウソっぽいものから抜け出したい気持ちが強くなるばかりです。時代を遡るなんてかなわないなら、ウソっぽい時代に埋没するのでない痛快な選択ができないかと探っているところです。
posted by kazesan | 2009/05/20 10:51 AM |
にせもの。
たぶん自分もその類のものを生業としていますので、ぐさりと胸に突き刺さる言葉です。
まだやり直せるのでしょうか……
posted by arriba | 2009/05/20 10:36 AM |
友人がミクシィの方にコメントを寄せてくれた。この本文の拙さを補うどころか理解が大いに深まったので、こちらにも転載します。友人にはあとで断っておこう。

*****

その話は、聞いたことがあります。 同じ部族かどうかはわかりませんが。 「ゆるすということ」という本に載っています。

その、よからぬことをした人の善行や長所を、村人たちは誠実さと愛をこめて話します。誇張もでっちあげもなく、不誠実な態度や皮肉な態度を取る人もいません。 その人を共同体のメンバーとしていかに尊敬しているかを全員が話し終えるまで続きます。最後に輪が崩されると、その人を部族に再び迎え入れるお祝いが始まります。 輪の真ん中にいる人も、輪になっている人々も、ゆるすことによって、過去や怖れに満ちた未来を手放せるのだと思い出すのです。 一人ひとりが自分の中にある愛を思い出し、周りの全ての人と一体になる・・・・・・・と。

確かにそうですね。 攻撃や糾弾は、その人を追い詰めてしまうけれど、愛とゆるしは光を取り戻すのですね。 って、今まさに、職場でやり玉に挙げられている人がいて、私もその人に腹が立ってどうしようもない状態なので、これを読むと考えさせられました
posted by kazesan | 2009/05/20 6:51 AM |
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