kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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別れ
 別れは切なく寂しいけれど、別れると、出会いの豊かさがわかる。出会いとふれあいが決して当たり前ではなかったことに気づく。生まれて五十有余年、宇宙や地球のリズムに比べたら閃光にもならないぼくとしての時間だが、ここまでに出会った人たちのことを思い出すと、なんと豊かな日々だったかと思う。それも、別れがあるから気づけたことだろう。

 出会うと別れが待っているように、生まれ出た瞬間に死への旅がはじまる。それでどちらも豊かさを増す。なにも変わらずにあるのでは、この幻のような現世からはどんな魅力も深さを感じなくなってしまうだろう。彼岸があっての此岸なんだろう。



 四人目の孫の名前は、文字だけではとても読めなかった。弥天ちゃん。みあ、と呼ぶんだとか。先日読めない名前が多くなったと新聞にあったけれど、これもそのひとつに数えられそうだ。いつの頃からだろうか、名前に壮大なイメージを重ねる親が出て来た。世知辛い世の中だ。せめて名前ぐらいには夢を託したいのかもしれない。ぼくもそう言えば、息子に大地とか太陽という候補を挙げたのだった。娘の子らには、図らずも太宇、明空、弥天と見上げるばかりの壮大なイメージができあがってしまった。これで天国へ昇って行っても、ジッジやバッチのことは忘れないでいてくれそうだ。

 その孫たちに囲まれて、いまヨシエどんは娘の家の世話をしている。ということは、ぼくのこの日常がいくらか停滞している。さらに言えば、どことなくやる気が起きないのだ。やる気とは、生きる力、生命力と言えなくもない。そういう力が乏しくなっている。情けない話だが、日常のリズムがどんなに大きな支えになっていたのかと気づいた。少なくともぼくには、待っていてくれる日常があるからこそ、非日常へと旅立つ気力がわくようだ。日常とは、すると、彼岸のことではないのか。マンネリなどと言って煙たがるものではなく、日常はいつも変わらずにここにあって、不安定で刺激的で冒険のような非日常をより豊かなものに深化させているのだ。そして、そんな非日常があるから、また日常の豊かさにも気づけるのだろう。

 とは言いながら、安定した日常というものもあり得ない。ここは、出会いと別れを繰り返す此岸なのだ。やる気が起きないこのごろだから、心が静かに考えている。





| 08:59 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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