kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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花と人と
 関山という桜花を間近で見つめるひとときは、幸せの極地に誘われるようなものだった。気功を学んだ津村喬さんから聞いた『荘子』の言葉を思い出し、「物と春をなす」とはこういうことかもしれないと思った。春をなすとはセックスのことでもあるのだと記憶しているが、ぼくは桜と愛を交わし合っていたのかもしれない。できることなら、残る人生をそういう時間だけで埋め尽くしてしまいたいほどだ。

 花を想いながら、けれどもまた人の社会を思っている。たとえば毒物カレー事件の裁判は、どうやら死刑が確定してしまったようだ。専門家が調べに調べ、長い年月をかけて審理した結果だろうが、釈然としないものが残った。どうやらこの人以外に犯人はいない、という状況証拠が揃っただけで死刑になろうとしている。それでいいものだろうか。「疑わしきは被告人の利益に」なっているのだろうか。



 ぼくはどうしようもなく無知で勝手でバカな人間だが、この人間社会もまたどうしようもないものだと感じることがある。被害者の立場になればおそらくぼくは先頭に立って犯人を決めつけ罵るかもしれない。冷静な判断をできるとはとても思えない。感情だけの生き物になってしまいそうだ。そしてもしも濡れ衣を着せられた無実の人間だとしたら、本当にいったいどうするのだろうか。十年でも二十年でも無実を訴え続けることができるだろうか。今それと同じようなことを経験している人が、会ったことはなくても実際にいるのだ。

 事の真相を知ることはかなわないけれど、真相が完全に明らかになっていない状況ででも、極刑が言い渡される。それが今の日本の社会のようだ。正直に、ぼくは恐い。人が本当に人を裁けるのか。もう少しましなルールがないものだろうか。

 ぼくの写真を見て美しいと感動してくれる人がいる。反面ぼくを怨み、疎ましく思っている人もこの世にはきっといるだろう。知らないうちに、または知りながら、好き勝手な言動をふるまっているぼくだ。花を見ているといつも勝手な自分なんだと思い知らされる。けれども花はそのままでつつんでくれる。だからいつまでもずっとそうしていたいのかもしれない。花のいる自然界と人間のいる社会が、地上には同時に存在している。

毒物カレー事件:状況証拠認定に賛否(毎日jp)
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| 07:58 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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