kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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『ゆるすということ』
 ヴァーチューズ仲間のまさみさんはルドルフ文庫というのを開いて、子どもたちに良書を開放している。本屋に限らず書棚に沢山の本が並んでいると、ついのぞき込んでしまう。ジェラルド・G・ジャンポルスキー『ゆるすということ』(サンマーク出版)が目に飛び込んできた。なんとヴァーチューズ・プロジェクト・ジャパン(VPJ)代表の大内博さんの翻訳だった。これは借りて読まなければ。にっこり微笑んで快諾してくれたまさみさんは、これを読んでVPJに加わろうと決めたそうだ。

 内容は、「奇跡のコース」を実践している著者が書いているだけあって、『神の使者』に似ている。その長編の一冊をなんとかながら読み終えたぼくだから、コンパクトなこの本はとてもスムーズに理解はできた、けれども、「ゆるすということ」を実践しているかと問われて、大きくうなずくのはなかなかに難しい。

 ゆるしについて、とても明快な一文があった。

 ゆるしは妊娠と似ています。妊娠は、「妊娠しているか、妊娠していないか」のどちらかです。「ある程度妊娠している」ことはありえません。これと同じで、「ある程度ゆるす」というわけにはいきません。ゆるしは完全でなければならないのです。

 まったくだ。なにをやっても中途半端なぼくには耳が痛い。妊娠を経験する女性の方がゆるしにもずっと力を発揮するだろうか。こいつはゆるすけれどあいつは絶対にゆるせない、と言っているうちは、ゆるしではないということだが、こんな箇所もある。
 
 おそらく私たちは、肉体を持っているかぎり、「裁きたい」とか「ゆるしたくない」という誘惑にかられつづけることでしょう。ですから、瞬間ごとに新しく選択しなおすことを、永遠に思い出しつづける必要があるのです。

 そして、

 ゆるしとはただ心のやすらぎだけが目標であり、他人を変えたり罰することではないと、理解する。

 さらに、

「ついに本当の敵がわかった。それは、自分自身だ」。

 ときた。

 自分を敵だと思ったことはないけれど、ぼくはいつも自分に手こずっている。というより、意志薄弱な自分を棚上げにして、そのままの自分でいることに甘んじていることが多い。そのうちやがて変わるだろうと、様子を見るのが常だ。それで困るわけじゃないが、なんとなく凌いでいる感じは否めない。ようするに、瞬間ごとの選択を怠っていることは確かだ。



 本を読んで理解することはとても簡単だ。それを肥やしにしたつもりになることも、そんなに難しくない。問題はどうやら、意志があるかどうか、かもしれない。ぼくには実践し選択する意識があるのか、ということだ。いくらもがいても妊娠は経験できない。だったら、するのか、しないのか、という完璧な選択をこのゆるしで味わってみたい気もするけれど、このままの中途半端な自分も案外楽なものだからついついそこに留まっている。

 明日は、VPJ雪の花の集まりがある。夜もにぎやかにるみ子さんのドームハウスで合宿だ。美徳もゆるしも、仲間がいると楽しくやれる。ありがたい話だ。この中途半端なぼくを正直に伝えることができる。

 本の中にこんなエピソードが紹介されていた。美徳の実践セミナー in 石川「美徳の視点」は思いのほかみなさんの関心が高く、ほぼ定員を満たした。近い将来、この地域にもいろんな素敵なエピソードがあふれるといい。
 

*****
 

 『少年を打ったもの』

 メアリーは首都から二時間ほど離れた小学校で先生をしています。彼女は怒ったりケンカしたりせずに友だちとコミュニケーションをとる方法について、生徒に根気よく教えていました。「ゆるすことが大切だ」といつも強調していたために、「ゆるしの先生」とあだ名がついたほどです。
 この学校には、手に負えないほどわんぱくな十歳の少年がいました。誰かれかまわずケンカをふっかけ、彼が行くところ必ず何かが壊されるというありさまでした。しかし、彼は自分の行動に対してまったく悪びれもしないのです。
 ところがある日、ついに担任の先生のお金を盗もうとしたところを見つかります。校長先生はここぞとばかりに全校集会を開きました。この学校の慣例では、このような場合、少年は全校生徒の前で杖で打たれることになっていました。見せしめにしたあと、放校処分になるのです。
 全校の職員と生徒が、杖打がおこなわれる体育館に集まりました。少年が姿を現したとき、メアリーは立ち上がりました。「彼をゆるしましょう」と言おうとしたのです。しかし、そのとたん、周りの生徒たちも飛ぶようにして立ち上がり、「ゆるそう!」と叫んだのです。
「ゆるそう! ゆるそう! ゆるそう!」
 生徒たちは叫びつづけ、その声は体育館全体を揺るがして響き渡りました。
 少年はみんなをじっと見ていましたが、やがてしゃがみ込み、すすり泣きはじめました。体育館の雰囲気は一変したのです。
 結局、少年は杖で打たれずにすみました。もちろん、放校処分にもなりませんでした。その代わり、彼はゆるされ、愛情をいっぱいもらったのです。その日から、彼がケンカをしたり、盗んだり、何かを壊したりして、人に迷惑をかけることは、いっさいなくなりました。
 校長先生が全校集会を開いて少年を杖で打つと決めたとき、「厳しすぎる」と考えた先生たちもたくさんいました。その校長先生もゆるされ、この一連の出来事によって、もっと愛に満ちた雰囲気を育む新しい種が、学校に植えつけられたのでした。



美徳の実践セミナー in 石川「美徳の視点」4月12日開講



| 17:54 | ヴァーチュー | comments(2) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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Comment








 赦し。人類の永遠のテーマのようでさえあるよね。赦すことがどんなに難しいとしても、赦せたら、その瞬間怒りも憎しみも消えてるんだろうね。「美徳の視点」はどの回に参加しても実り豊かなものになると思います。次回楽しみに待ってるからね。
posted by kazesan | 2009/04/05 8:21 PM |
ゆるすということは ホントに難しいことだと思います。
去年 ダライラマ14世の「ゆるす言葉」と言う本を読みました。その中で あぁそうなんだよねって思った言葉がありました。

怒りと憎しみこそが、私たちの本当の敵なのです。
これこそ私たちが全面的に立ち向かい
克服すべき相手なのであり、
人生に時として現れる一時的な「敵」は
真の敵とは言えないのです。
(ダライラマ著 ゆるす言葉より)
ブログでも紹介しましたが 人を許せないと思う自分の心自体が許せないって思うのだけど。。。難しいです。
他人に対しても 子供に対しても無償の愛って言うのは人を超えたものなのかと思ってしまうほどです。でも 少しの優しさが自然に 息をするのと同じくらい 自然体で出来るといいなぁって思います。
以前のコメントにあった「やまかみ」さんの紹介していた「いまここ塾」は 私もいつも見に行ってます。七尾市の講演会にも行ってきました。
心に響く言葉は 自分が悩みを抱えてる時は 特に有り難く感じます。
kazesanの言葉にも いつも励まされ 知らなかった色んな事を教えてもらって感謝してます。ありがとう♪
「美徳の視点」今月はどうしても休みが取れず行けませんが来月はきっと♪
posted by のの ☆ | 2009/04/05 6:35 PM |
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