kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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おやじから
 月に一二度、病院通いのおやじを送っている。付き添いのおふくろとふたり、車を下りてうつむき加減にとぼとぼと歩いて行った。そのうしろ姿を見ていると、心が縮んで、やり切れない気持ちになった。老後にも生き様というものがあるんだろうが、そういうものを見せて生きる方にぼくは滅多に会うことがない。おやじもおふくろも若い医者の言いなりになっているんだろう。さして自覚症状もないというのに、検査に通い、大量の薬を飲んでいる。この信頼性の薄い息子にはなにかを言うべき力もない。結局人は死ぬまで自分の生き方を生きるのだろう。医者という他人に命を預ける生き方も当然あるんだろう。

 ぼくの親との残りの時間はもうかなり限られている。受け継ぐものもなく、そのぼくが残して行くものもない。このままで終わってしまうことが少しばかり口惜しいけれど、日々の気持ちを抱いて、ただじっと見つめていることしかできない。ほんとうに甲斐性のない息子だ。

 何年も前に買いながらパラパラとめくっただけで放っておいた一冊がある。『今日は死ぬのにもってこいの日』。将来死が近づいた時にでも読もうかと、いつも目にするところに置いてあった。こんな言葉を言い放てるような老人など、もう日本にはいないのだろうか。


   
 今日は死ぬのにもってこいの日だ。
 生きているものすべてが、わたしと呼吸を合わせている。
 すべての声が、わたしの中で合唱している。
 すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。
 あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。
 今日は死ぬのにもってこいの日だ。
 わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。
 わたしの畑は、もう耕されることはない。
 わたしの家は、笑い声に満ちている。
 子どもたちは、うちに帰ってきた。
 そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ。






 おやじにこの本を見せたらどんな顔をするだろうか。本を読んでいるところなど見たことがない。考えるということにもあまり縁がないようだ。おやじは日々、なにを感じているんだろうか。おやじと息子の間に、もっとなにかないものだろうか。

 この一節が気に入った。

  

 わたしの中には
 遠く広く見るのだと教えてくれた鷲と一緒に
 東へ向かって旅をする「少年」がいる。
 鷲は改まって、こう言った、
 君が住んでいる小さな世界など
 あんまり重要ではない、と思えてくるような
 「飛翔の時」というものが、この世にはある。
 君の目を天空に向けるべき時間があるのだ。

 わたしの中には
 自分の内部を見つめよと教えてくれた熊と一緒に
 西へ向かって旅をする「少女」がいる。
 熊は立ち上がって、こう言った、
 友だちの風采の真似などしたくなくなる
 「自尊の時」というものがある。
 君自身と親しく向き合う時間があるのだ。

 わたしの中には
 叡智を教えてくれたバッファローと一緒に
 北へ向かって旅をする「老人」がいる。
 バッファローは姿を消して、こう言った、
 君が前に聞いたことのある話などしたくなくなる
 「不信の時」というものがある。
 「沈黙を守るべき時間」というものがあるのだ。

 わたしの中には
 わたしの限界を教えてくれたネズミと一緒に
 南へ向かって旅をする「老女」がいる。
 ネズミは地面にくっついて寝そべり、こう言った、
 夜、君が皆に忘れられてしまったか、と感じたりしなくなるような
 「小さなものに慰めを見いだす時」というものがある。
 「虫を楽しむ時間」というものがあるのだ。

  昔はこういうふうに、ことが運んだ。
  これからもそういうことになるだろう。
  鷲と熊
  バッファローとネズミ 
  すべての方角でわたしに交わり 
  わたしの人生の円環を形づくる。

 わたしは鷲。
 狭い世界は、わたしのやることを笑いのめす。
 だが大空は、不滅についてのわたしの考えを
 その胸に収めて、他に語らない。

 わたしは熊。
 独りいるとき、わたしは風に似ている。
 雲をひとつに集めて、吹き飛ばす。
 するとそれらの雲は、わたしの友達の風貌に似てくる。

 わたしはバッファロー。
 わたしの声は、わたしの口の中でこだまする。
 わたしの人生について学んだすべてを 
 わたしは焚き火の煙と分かち合う。

 わたしはネズミ。
 わたしの人生は、わたしの鼻の下で進行する。
 地平線を目がけて旅をすれば、いつもわたしが見いだすのは
 地平線でなくって穴ぼこだ。



 これでもかと言うほどに、現代人は自然から遠くなってしまった。そして遠くなってしまった分だけ、生きることも死ぬことも、不自然極まりないものになっているのだろう。おやじ然り、この息子然り。

 不思議なもので、何度も繰り返して読んでいると、これらの言葉をまるでおやじの口から聞いているような気がしてくる。日がな一日テレビの前に座るおやじの中で黙り込んでいる少年や少女や、老人や老女が、ぼくの中の同じ彼らと話をしている。そんな気がしてくる。息子はこれらの言葉を、おやじからのものとして受け継ぐことにしよう。よくよく噛みしめてみればいい。
 

| 22:42 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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