kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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歴史の歴史
 「杉本博司 歴史の歴史」を観てきた。ゆっくり観ているととても一度では回れないから、昨日の最終日が二度目だった。鑑賞するとは感じている自分の中を感じることなんだろうかと、コレクションを含めた氏の多様な作品群を観ながら思った。単純に写真と言ってしまうわけには行かない写真には、言葉にならない力があった。否、力と言ってしまうのも単純すぎる。記憶、それも太古からの記憶がこのちっぽけなぼくの中にも受け継がれていることを想像すると、身体のあちこちの細胞がずきずきとうごめくのを感じた。錯覚にはちがいないけれど、それほどの力を氏の世界に感じているのだと思った。

 たとえば化石、それに月の石、争いの絶えない人類の馬鹿げた歴史、それらすべてが今日まで正確に伝えられているとはかぎらない。むしろ氏が言うように、歴史とは時の権力者が伝えたものだ。大地に埋もれ、海に沈んでいった者や物たちの声を、今この世の誰が聞いているというのか。誰もが片時の人生の中からしか見ていない、危うい今だ。その中のどれが本物でどれが偽物かとさぐることに、どれほどの力があるだろうか。ただ何者かが伝えてきた、妖しい今にすぎない。



 だからだろうか。身体の中のうごめきが、なんとも言えない快感だった。これこそがぼくの力、観るものを判断する尺度かもしれないと思った。本物でも偽物でもいいのだ。ぼくが感じているか感じていないか、それが生きていることの意味だとさえ思った。身体の中にあるものは、うごめきだけではないだろう。音やささやきという微細な波があり、閉じてこそ感じる光の波があり、それらこそが、ぼく自身の歴史だ。

 まったくありがたい話だ。一地方の都市でしかない金沢で、こんな機会に恵まれた。歴史の歴史か。ぼくはその中の、ほんの小さな芥子粒でしかない。そしてその粒の中には、過去も未来も混沌として、それこそ無限の歴史が宿っているのだ。



| 11:10 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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