kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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ゆいちゃんの美徳
 富山と福井の友らが集ったひとときに、「ゆいちゃんの美徳」を出し合った。ゆいちゃんは今大学一年生の年齢になった。ずっと寝たきりだ。おかあさんの真由美さんが片時も離れずに、ゆいちゃんと共に生きてきた。自分では食べることもできなければ、ほとんど動くこともできないのだ。見えない。話せない。音楽に刺激されて一瞬手を動かしたりするから、もしかすると聞こえているのかもしれない。だがゆいちゃんは、人工呼吸器が外れれば、身体の外へ出てゆく存在なのだ。

 そんなゆいちゃんの周りに集まる仲間たちに、ゆいちゃんの美徳を感じてもらった。「それじゃ、ますやんからどうぞ」とるみ子さんに誘われ、いっしょにいるときのゆいちゃんを想った。すぐに思いついたのは、「創造性」だった。ゆいちゃんの手を握っていただけなのに,自殺まで考えていた青年がまた顔をあげて歩き出したことがある。ゆいちゃんは何ひとつ言葉はかけないけれど、そばにくる人の中にいろんな贈り物を届けているようだ。そのことを指して、ぼくはゆいちゃんの創造だと感じた。

 ほかには、もちろん、ゆいちゃんに「愛」の美徳をプレゼントした人がいた。ゆいちゃんは愛で出来ている。「やすらぎ」と言った人もいた。「寛大」、「無執着」、「共感」、「信頼」、そして「ゆるし」。寝たきりのゆいちゃんは、こんなにもたくさんの美徳を生きているのだ。そのことにぼくは、改めて驚いた。



 「感謝」というのも出た。その方はゆいちゃんにいくら感謝してもし足りない思いを話してくれた。ゆいちゃんが感謝を生きているのかどうかは、ほかのだれにもわからないけれど、重度の脳障害を抱えながら生かされていることに、感謝しないゆいちゃんのはずがない。けれども、「感謝」の美徳を贈ったその方は、ゆいちゃんではなく、自分の感情のことを話されていたようだ。あの場のだれかがそのことに気づいただろうか。ゆいちゃんの美徳を見つめる、ということは、自分の感情を見つめるのとは少しちがう話になる。案外このちがいは大きな意味を持っていると、ぼくはそのとき思った。

 自分以外の対象の美徳を探し出そうとするとき、自分に気持ちのいいことからなら簡単に見つかるだろう。けれども、哀しい思いをさせられたり、傷つけられたとき、その相手や事柄を美徳で見つめることができるだろうか。自分の感情を見るのではなく、状況そのものを冷静に見つめることは、もしかすると言うほどにたやすいことではなさそうだ。「たったひと言の美徳で表すことなんてできない」という指摘もあった。確かにそうだ。人間をひと言で表すことなどできそうにない。それでもわざわざ美徳の言葉で見つめる意味は大いにあるだろうと、ぼくは思っている。多くの言葉で語る必要はないのだ。ひとつの美徳の中には、すべての美徳が連なってある。それが人間の形なのだ。きっとそうにちがいない。

 どんな人にも、どんな状況にも、見方を変えれば、美徳が見つかる。感情に左右されない美徳の視点が見つめる先には、必ずそれが見つかる。そして見つけることができれば、その瞬間から、自分の中にゆとりという名の新しい環境が育ちはじめるのだ。そのことを、ぼく自身もこの講座で再確認したいと思っている。



美徳の実践セミナー in 石川「美徳の視点」4月12日開講






| 22:16 | ヴァーチュー | comments(4) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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Comment








 「くもりのない鏡」とは、まさにゆいちゃんへの最高の賛辞で形容だと思いました。ゆいちゃんの手を握りながら、みんな自分自身を見ている。ほんとうにそうですね。でもね、ぼく自身はちょっと不感症なんじゃないだろうかと、がっかりしています。ゆいちゃんのそばに何度もいるのに、人に言えるようなことは本当はなんにも感じていないんだもん。だれかの心に寄り添うこともほとんどできていない。別に自分を卑下しているわけじゃないけど、そんなぼくだなあと、雪の花のみなさんとやりとりしながら感じています。
posted by マサヒロ丸 | 2009/03/02 6:03 PM |
ゆいちゃんに美徳をプレゼントしようというkazesanの呼びかけに応えながら、ゆいちゃんによって映し出されたご自分の想いを語られた方が何人もいらっしゃいましたね。何も見えない、何も話せないゆいちゃんと接することで映し出された自分自身。ゆいちゃんは、多くの人に自分自身を見つめさせるためにこの世に生を受けたのかもしれない。そんなことを思いながら、私はあの場にいました。ゆいちゃんはまさしくくもりのない鏡なのですね。人と人との出会いの不思議を思わずにはいられません。人は人と出会って、互いを映し出し合うのだということを、この日、とても深く実感させれれました。
posted by いっぱいあってな | 2009/03/01 9:39 PM |
会の名前はちがっても、ヴァーチューズ・プロジェクトがやろうとしていることはひとつ、美徳を通してひとりひとりの存在を尊重しようということですよね。なんとまあでっかい目標に向って動こうとしているもんですが、ゆっくりゆっくりと歩みを進めたいなと思っています。沖縄と北陸と、息を合わせて行きましょう。
posted by マサヒロ丸 | 2009/03/01 5:36 PM |
美徳の視点

とてもいいですね〜♪あっ、沖縄のsaoriです。
沖縄でもやってみたいな〜って思いました。
どこに、どんな美徳に視点を置くのか一人一人一つ一つ違うはず。
たくさんの美徳を見つけられとても勇気をいただきますね〜♪
kazesanからの学びに感謝♪です。

posted by saori | 2009/02/28 11:37 PM |
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