kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

| CALENDAR | RECOMMEND | ENTRY | COMMENT | TRACKBACK | CATEGORY | ARCHIVE | LINK | PROFILE | OTHERS |
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| | - | - | - | posted by スポンサードリンク |
愛語
 映画『禅』の原作者で制作総指揮の大谷哲夫氏(駒澤大学総長)は、「今、なぜ禅? そして道元なのか?」の一文にこんな話を書いている。


 道元の行き着いた世界は言葉では表すことのできない非言語の世界でもありました。日本人がかつて持っていた非言語の世界は、「心の豊かさ」に通じます。そして、「心の豊かさ」は、非言語の世界を透過した「愛語」の世界に帰結するのです。「愛語」とは、道元が『正法眼蔵』の中で記したように、慈愛の心から生まれる、最悪の言語のない、優しく慈しみ深い言葉なのです。我々は、この「愛語」にこそ、現代日本の、いや世界の衰えた力を盛り返す回天の力のあることを学ばなくてはなりません。「愛語」は、真の平和への根源なのです。


 愛語。耳慣れない言葉だ。女性の耳元でささやく愛の言葉とは、大いにちがいそうだ。どちらかと言うと、ヴァーチューズ・プロジェクトが提案している美徳の言葉に似ている。福井「雪の花」の仲間たちの間で、愛語はよく話題になる。道元禅師が開いた永平寺は福井にあり、今その地がヴァーチューズ・プロジェクトの先進地になっているのだ。そこに縁を感じないではいられない。



 その『正法眼蔵』の言葉はこうだ。

 「愛語といふは、衆生をみるに、まづ慈愛の心をおこし、 顧愛の言語をほどこすなり、おほよそ暴悪の言語なきなり。 世俗には安否をとふ礼儀あり、仏道には珍重のことばあり、 不審の孝行あり。慈念衆生猶如赤子(衆生を慈念することなお赤子の如し)の おもひをたくはへて、言語するは愛語なり」。

 「愛語は愛心よりおこる、愛心は慈心を種子とせり。愛語 廻天の力あることを 学すべきなり」。

 心して何度も読まないとその真意に近づくことはかなわないかもしれないが、読んでいるだけで言葉の迫力というものを感じてしまう。

 言葉が力を持っていることは、だれもが折々に感じていることだろう。だれかのたったひと言で立ち直ることもあれば、傷ついてどん底へと落ちてしまうこともある。言葉には、いつも思いが伴っている。思いを形にすること、形にした思いを伝えることは、言葉が持っている大きな役割のひとつだ。感情が先走り、どれほどの思いもなく、簡単に口をついて出た言葉が飛び交ってしまうなら、人の世はなんとも殺伐としたものになるだろう。

 道元禅師は「まづ慈愛の心をおこし」と言う。慈愛。意味さえすぐにはつかめない。これでは「まづ」という手始めが一番の難関ではないか。ぼくには愛語を話すことなどかなわないと思ってしまう。仏道のことはわからないが、慈しむとは、たとえば赤子を抱いた母親に自然にわきがってくる愛のことだろう。愛語とは、生きているその人自身を顕わす言葉なのだ。美徳の言葉もまた、言葉を扱う人間にとってそれほどに大きな責任を突きつけてくる。愛語や美徳の言葉を使う使わないは自由だけれど、それが世間に見せている自分自身の生きる姿だと思うと、けして粗末にできるものではなさそうだ。

 言葉。あまりに簡単に使えて、けれども本当に使おうと思えば、とてつもない力量を問われるものだった。人間としての力量だ。だからこそ、愛語には廻天の力があるというのだろう。

美徳の実践セミナー in 石川「美徳の視点」4月12日開講

※愛語について書いているわりと理解しやすい記事がありました。

愛語
愛語(2)







| 10:56 | ヴァーチュー | comments(7) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
スポンサーサイト
| 10:56 | - | - | - | posted by スポンサードリンク |
Comment








線路は続くよ、どこまでも、ですね、やっぱり。よかった、ちょっとホッとしました。それに、ムシャクシャしたことがあって息が詰まって苦しい〜と思っても、すべてが完璧なプロセスの一部と思えれば、ずいぶん気が楽になりますよね。
posted by satoko | 2009/02/28 11:18 PM |
 プロセス、という捉え方が好きです。それもプロセスはいつも完璧に流れていると、理由もなく信頼しているぼくがいます。だって、よくよく考えてみると、生まれてきたこと自体、ぼくの預かり知らぬところの完璧なプロセスだなと思うし、死んでゆくこともいつどんな形で訪れるのか、それを完璧なプロセスとして待っているしかないような気がするし、それならその途中の人生という日々もすべて完璧なプロセスになるでしょ。そしてその線路はけして終わらない。永遠に続くんです。どうせならその線路を美徳で埋め尽くしてしまおうというのが、今のぼくの計画です。どう? 壮大な計画でしょ? いけない、あんまり大風呂敷を広げてはいけません。これは「物知り顔に言う」または、「推し量りのことをまことしやかに言う」というやつに分類されそうですね。
posted by マサヒロ丸 | 2009/02/28 8:40 AM |
そうですね、本当にありがたいですね。
美徳を見つめる活動をしていると、これまでの自分、今の自分の至らないところもいっぱい見えてきて、ため息(これは謙虚さなのか、なんだろう?)。いろいろ考えます。そして、まだまだそのプロセスの中にいる自分を感じます。こうして進んでいけることに、感謝ですね。いつまで続くか、この線路!?(笑)私の今年の美徳は、感謝ですが、ますやんの節度はどうなったかな?
posted by satoko | 2009/02/28 1:15 AM |
 まったく同感です。ぼくは、このブログについてもまことしやかに書いていないかと、いつも距離をおいて見ていたいと思います。心のこもった簡潔な言葉が思い出したように唇からこぼれ出る、そんな人になりたいものです。さとこさんたちとの美徳を見つめる活動に出会い、これでもぼくはかなり改善されてきました。ありがたい、ありがたい。
posted by マサヒロ丸 | 2009/02/27 2:09 PM |
ますやん、ありがとう。こんどは、ちゃんと2つ目も開けました。

それにしても、、、
これは、本当に、私も穴があったら入らなければ、という状態です。


ことばの多き。口のはやき。とはずがたり。さしで口。手柄話。人のもの言い切らぬうちにもの言う。話の長き。講釈の長き。減らず口。人の話の邪魔をする。親切らしくものを言う。物知り顔に言う。へつらうこと。あなどること。人の隠すことをあからさまに言う。推し量りのことをまことしやかに言う。押しのつよき・・・

そして、最後に、

「かならずしも多聞によらず、多語によらざるなり。(正法眼蔵 海印三昧)」

本当に・・・・

posted by satoko | 2009/02/27 1:04 PM |
 美徳も愛語も表現はちがってもまったく同じことを指しているよね。知れば知るほど、その奥の深さに畏れのようなものさえ感じてしまいます。口先人間かぁ・・・ぼくのことでもありそうだ(苦笑)。たとえでも、行動はすぐに伴わなくても、愛語や美徳の世界を理解していくことはとても大切なことだと思いました。それすらしていないから、今の社会になっているのだろうし。関連記事へのリンク、修正しておきました。
posted by マサヒロ丸 | 2009/02/26 12:28 PM |
ますやん、愛語のこと、いろいろ書いてくださって、ありがとう。

わたしは、まだまだ頭で考えていることと、日々家庭で発している言葉や態度と、かけ離れたものがあります・・・。

なので、まずはそこから。このままでは、口先人間になってしまいそう。

関連記事もとても参考になりました。よくぞ、見つけてきてくださいました。ありがとう〜。

2つ目が開かないみたいなんだど・・・・
posted by satoko | 2009/02/25 11:03 PM |
Trackback
この記事のトラックバックURL: http://kazesan3.jugem.jp/trackback/408
<< NEW | TOP | OLD>>