kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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迫害され得ない者
 「攻撃はつまるところ身体にだけ行われ得る。ある身体がべつの身体を攻撃し破壊さえする場合があることにほとんど疑いがない。しかし破壊そのものが不可能なら、壊れ得るものが現実のはずはない。破壊が怒りを正当化することもない。正当化できると思えば、間違った前提を受け入れ、それを他者に教えることになる。磔刑が教えようとしたメッセージは、どんな攻撃のかたちの迫害であれ、それを感じ取る必要はない、なぜならあなたは迫害され得ない者だから。もし怒りで対応するなら、あなたは自分を壊れ得る者と同一視することになり、自分に狂った目を向けることになる」。(『神の使者』より)

 磔の刑に処され復活したイエスの言葉だそうだ。凄まじい。ぼくには想像もつかない。そして誰もがこの身体を自分だと思っているかぎりは、けして到達できない境地だ。だから、この地上から争いごとは消えることがない。


 なにかを感じている今、この感じている主体とはいったい誰なんだろう。それはけしてこの身体ではない。なんとなくでも、そうなんだろうと思う。身体は確かに、いつか必ず消えてしまうものだ。破壊が可能なものだ。だが、感じているこの主体が破壊され得ないものだとしたら、そしてそれを本当に信頼するなら、ぼくのなにが変わるだろうか。

 インターネットにガザの惨状が流れていた。凄まじいばかりだ。破壊されてしまった少女の土色の顔が地面に転がっていた。少女の、破壊され得ないものは、今どうしているんだろう。少女の尊厳に価する主体はけして迫害され得ないものだと、ぼくは信じたい。いや、信じる。そうでなければ、この世界に生きる価値など、だれにもありはしない。赦すとは、対象の程度にあるのではなさそうだ。きっとひとりひとりの、だからこのぼくの、けして破壊されることのないどこかから生まれてくるものだ。それをぼくは産み出したい。きっと、産み出そう。





| 12:04 | 心の森 | comments(2) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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 ほんとに。忘れてはもったいないですね。ぼくはまだまだ後半に入ったばかりですが、ひとつひとつの感情と静かにつき合っています。すぐに赦すというところまではなかなか行かないんですが、練習練習。

 あのとき、ゴロゴロと旅の途中かなと思いました。思い出せる共通の瞬間があるのがまたうれしいものですね。穏やかないい日でした。今度はどんな瞬間がプレゼントされるでしょうか。そのときは赦しの旅の土産話に花を咲かせましょう。
posted by マサヒロ丸 | 2009/01/17 7:34 PM |
Kazesan、また『あめつちのしずかなる日』開催ですね。
私が初めてkazesanにお会いしたのは昨年、逗子でのあめつちでした。

あの日山道をゴロゴロと大きなバッグを転がしながら登っていた私は
なんだかその場にはちょっとだけ不釣合いだったような気がします。
恥ずかしながら急ぎトイレを探していたので、近くでのんびり腰かけて
会話している男性に声をかけ、その場所をお聞きしたのでした。
はい、それがkazesanでした・・・(笑)。
後から知り、「あちゃー・・・誰だか知らずに気安くお聞きして、
ろくにご挨拶もしなかった〜」と思ったのでした。

そして今回は沖縄。いいですね〜。
一度は訪れたい・・・と思っていますが、急に決めてホイホイ向かうには
少々むずかしかったので、またいつの日か。
そしてこの日は江ノ島で『神の使者』にある某コースのお話会があるのですよ。
沖縄と江ノ島の両方で、きっといい風が吹いていることと思います。

私個人としても、『神の使者』は大きな贈り物でした。
ここでお知らせいただいたこと、改めて感謝いたします。
読み始めて間もなく、長い間の疑問が解けました。
繰り返し起きてくるこの罪悪感はどこから来るのか、なんで私は私を批判し
認めてあげないのだろう、赦してあげられないのだろう・・・と、
おそらく他の方からみたら「なぜあなたが?」と、すぐには信じてもらえない
ような思いを繰り返して生きていました。私は私自身を迫害していたわけです。
これまで読んだ他の本では、その発生源までは教えてもらえないことでした。

最後まで読むにはとても時間がかかった本ですが、後半に差し掛かると
「前の日心に浮かんだ疑問に翌日の頁が応える」という日々で、私にとっても
会話形式の本になってくれていました。
私はもう巧妙な罠にはひっかかりません。そう思えたのは初めてです。
今浮かびそうになる「ほんとに?」という気持ちも私は赦せるわけです。
こんな楽なことはないですね。あんなに苦しんだのに。

これからもう一度読み始めます。今度は付箋とマーカーペンを持ってです。
大切なのはプラクティスですからね〜。忘れてはもったいないです。
posted by やまかみ | 2009/01/16 1:37 PM |
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