kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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赦す
 世界に紛争や戦争が絶えない。いつの時代から人間はそうやって闘ってきたんだろう。いつまでそうやって闘いつづけるんだろう。荒んだ世相を見て聞いて、何もできないくせにぼくは憤りを感じつづけてきた。そしてそんな時はいつも決まって、自分の中の悪を省みた。

 『神の使者』には、無意識の罪悪感という言葉が何度も出てくる。ひと言聞いただけでそれがどういうものか見当がつくだろうか。生まれながらにして人が持っているという罪悪感だそうだ。しかもだれもが持っている。具合の悪いことに、無意識の中にあるのだから、持っていることに気づかない。気づかないが、自分の何かがそれを知っていて罪悪感を忘れ遠ざけたいがために、自分以外の存在を批判、中傷、攻撃することでその肩代わりをしているのだという。

 ぼくの心の中は、実は批判だらけだ。だがそれは自分自身を批判していることの裏返しということになる。これも無意識の罪悪感が働いてのことだと観念するなら、また同じように他を批判することができるだろうか。自分を批判しつづけるなんて、想像するだけで恐くなる。

 この古代からありそうな人類の罪悪感からどうやって逃れたらいいのだろうか。『神の使者』は言う。唯一の方法は、赦しだと。

 たとえば、戦争をしかける一部の者を赦すということだ。そんなことができるだろうか。だが、自分の外にあるものを赦すということは、自分を赦すということと同じだと言っている。


 問題を取り上げ批判すると、批判する者も問題の一部になり、問題そのものに力を与えてしまうと聞いたことがある。事の大小に関係なくこの同じ法則が成り立つのなら、世界がその昔からずっと変われないのは、仕方のないことかもしれない。情報化社会の今は即座に茶の間で悲惨な報道にふれ、世界は一応に批難の目を向け、対策を講じようとする。それが問題をより確かなものにしてしまうという図式だ。

 どこかで赦すという行為が必要なのだとしたら、どこにあるべきか。ひとりひとりの人間になら、それができるんじゃないだろうか。などと簡単に言ってしまえるはずがない。このぼく自身が赦していなかったのだから。

 世界と個人はけして別のものじゃない。『神の使者』にはもうひとつ大きなテーマがある。この世のすべてが、宇宙までもが幻想だという。世界も個人も,同じく幻想なのだ。だから赦せるのだ、と言っている。

 本を読んだぐらいで、何が変わるものでもない。けれども、変わろうと動き出すことならできるかも知れない。周りを赦し、自分を赦し、ひとつひとつ赦していく努力ならできるかも知れない。

 赦すということを、意識的に始めてみようと思う。罪を背負って生まれてきたのなら、その自分自身をまず赦していこうと思う。簡単なことじゃないことぐらい、いくらのぼくにもわかる。けれども、戦いで罪もない子らが死んで行くのはもう沢山だ。それに比べたら、自分を赦すことぐらい、できないことではないだろう。



| 22:42 | 心の森 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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