kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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 スーザン・オズボーンのワークショップに参加した。あまり興味はなかったけれど、これがご縁というものだろうか。開催のお世話をしているのが心でふれあう友、知子さん。その友から前日になって是非との誘いがあった。それならと重い腰をあげてみると、なんとも素敵なひとときを体験することとなった。よく流れに棹を差して逆らい、その結果はあまりうまく行かないことを経験しているぼくだが、だったら迷わず流れに乗ればいいのだと、それが今日の収穫でもある。

 スーザンは呼吸の大切さをまず説いた。すべて吐き切るのだ。よく言われることだが、呼吸法の鍛錬でもしていないかぎり本当に吐き切っている人などそうはいないだろう。これが最期の息だと覚悟するほどに吐き切ってしまうと、新鮮な空気が自然に身体中を満たしてくれる。あごのまわりの筋肉からだらりと力を抜いて吐くのも大切なポイントだ。あくびが出ればかなりうまく行っている。吐きながら、徐々に声を出していく。抑揚もつけてみる。身体に任せ、出る声に任せる。思考の入る余地はない。自分の声に耳を傾ける。それは歌というより、身体の音だった。音というより、震える振動だった。誰もが気持ち良く歌い、誰の歌も気持ち良く聞こえた。

 言葉もない歌なのになぜ感動するのかと質問されて、スーザンは答えた。

 「それは真実だから。真実が伝わるから」。


 そうか。思考の入らない歌は、それぞれの真実なのか。確かな感覚はなかったが、言われてみると、そうかも知れないと簡単に想像できた。うまく歌おうとか、聞いてもらおうという意識のない歌は、歌う人そのものだ、素の表現なんだ。それは、生きているという悦びを表現しているような気がした。

 音痴という言葉がある。歌える、歌えないという区別がある。得意、不得意。なぜそんな分け方が生まれるのだろう。考えてみれば本当に不思議な話だ。誰かと誰かを比べ、優劣を競い、誇りにし、また卑下もする。歌に限らず、表現に限らず、人は能力や身分、容貌、経済力と、あげれば切りがない材料であれもこれもと評価したがる。なぜだ。なぜ、自分そのものを見つめ、感じることができないのだろうか。

 会場は福井は一乗谷だった。ひとり山に向かい内からあふれ出る歌を聞きながら、この世にたったひとりしかいない自分という存在を感じてみた。存在していることに、上手いも下手もなかった。心が閉じるも開くもない。生きて、存在しているのだ。それだけのことがなぜいつも感じられないのかと、不思議なほどに鮮やかに感じられた。

 スーザンの言葉。この世に歌えない人はいない。



| 23:27 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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