We are the rainbow bridge between Heaven and Earth!
私たちは、ひとりひとりが虹の架け橋。 天と地の間に、みんなで虹色の光を架けましょう。
新しいマイミクさんのプロフィール欄にあった言葉だ。これまでのぼくなら一瞥して、それで、うんうん、とか頷いて、あとはなんということもなくその前を通り過ぎた話かもしれない。ユコタンも虹の架け橋をとても大切にしていた。でもぼくには、天地や銀河に虹の橋を架けると言われても、いったいなんのことだか意味がさっぱりわからなかった。それじゃ、今はもうわかったのか、と問われても、やっぱりわかっていない。けれどなんとなく、みんな虹の架け橋なんだよ、という話を信じたい気持ちにはなっている。
人にはチャクラというエネルギーにまつわる何ものかがあるそうだ。インドで一度経験したことがあるだけで、それ以外はぼく自身はチャクラを実感したことはまったくない。聞いたり読んだりしただけの話だが、チャクラには色がある。赤、オレンジ、黄色、緑、青、インディゴ、紫だそうだ。これって虹の色とおんなじなのかなあ。色弱のぼくには虹の色をしっかりと識別する力がないので正確にはわからないけれど、もしもそれが虹と人の身体の共通点のひとつなら、こんなに愉快な話はそうはない。
それに、オーラというものもあるというじゃないか。近ごろは息子まで「あの先輩のオーラはすごかった」とか言うので、普通に使われているようだが、そのオーラにも色があるそうだ。誰にでも見えるものじゃないのは残念だが、人は見える身体だけの存在ではないのだろうと、そんな話からも容易に想像できてしまう。
チャクラやオーラばかりじゃない。心にも色があるだろう。ハートから放つエネルギーにも美しい色を施すことができそうだ。まっ白で生まれてきた人間は、その身体の内にも外にも七色の光を放っている。そう言えば光の三原色を混ぜれば白になるんだった。なんだ、簡単な理屈じゃないか。人は虹の光だと言っても、なにも驚くことじゃなかった。
原っぱに寝っ転がって、大空を仰ぐのが好きだ。そんなときはいつも、天と地と、ぼくというひとりの人間だけでこの世界を構成している気分になる。ずっとそうしていたくなるほどだ。「ああ、気持ちいいなあ」と出る言葉はそればかり。もしも、気持ちいいという瞬間が、天と地を、人という光がつないでいる瞬間なんだとしたら。
もしもそうなら、人は生き方を変えないでいることはできないだろう。気持ちいいことを優先するのが、生きるということになるんだ。自分ひとりが気持ちいいなんて、それでは気持ち良くないから、周りの人たちへの気持ち良さも保証しなければならない。気持ちよくなることに、お金はそんなにかからないだろう。気持ち良く働くことだってできるし、遊び方もきっと様変わりするにちがいない。
そうして人が虹色になって橋を架けると、天と地は急激に近くなるのだ。見えないものが見えるようになり、見えていたものは実は見えなかったものと分かれていなかったのだと、誰もが知るようになる。世界は本当の姿を現すのだ。などと想像してみるのは、実に楽しい。気持ちがいい。これからは夢も描いて、空を仰ごう。虹色の夢。世界は虹だったんだ。