kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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 『P.S. I LOVE YOU』は天国の夫から妻へ届く手紙が物語を進める大きな働きを担っていたが、どうやら死を覚悟した夫が差し迫ってくる別れのときを前に、ひとりになってしまう愛する妻のために書き残したものだった。その最後の十通目の手紙にあった言葉が、ぼくの心にもずっしりと残ってしまった。

 「君はぼくの人生だった。でもぼくは君の人生の一部でしかない」。

 死んで行く人は最後には潔いものかもしれない。死はどうしようもなく誰にでも訪れるのだ。問題は、深い喪失感の中で悲しみ続けることになる、この世に遺された者にある。だから、死んで行く人からこういう言葉をもらえるなら、それはどんなに大きな励ましになるだろうか。

 死とは、不思議なものだ。失ってはじめて、友がどんなに大切な人だったかを知った。けれど、もしも死別がもっと後で、今も生きたふれあいが続いているとしたら、その大切さに今ほどぼくは気づいているだろうか。生きているとは、とても不思議なものだ。生きていることの大切さに、ほんとうに気づけているのだろうか。


 友とはたった二年足らずのふれあいだったが、一生の宝物を失ってしまったのだと、もう二度と帰ってこないふれあいの日々に思いを寄せるばかりだった。そんな思いが心の中を占め続けたら、今、生きてふれあっている人への思いはどうなってしまうだろうか。

 はじめは、遺されてしまったという痛みばかりに襲われてしまう。それはどうしようもない。生きている人は、生きているこの世で死を本当には理解できそうもないのだから。「でもぼくは君の人生の一部でしかない」。これはきっと本当のことだ。本当は遺されてしまったのではないのだ。

 インテンシブのひとときに、ぼくは仲間たちが降り注いでくれた慈しみのまなざしに震えた。失ったと思っていた友がここへ導いてくれたのだ、とも感じていた。「わたしはあなたの人生の一部でしかない」と、きっとそのときささやいていたにちがいない。きっとそうだ。そしてどんなに大きな一部だったことかと、友を手放すことができた。すると、目の前の友らのまなざしがいっそう深く染みてきた。

 ひとりの人生で出会うすべてのことは、その人生を織りなすほんの一本の糸にすぎない。だがその一本が途切れると、管とも言えない細い糸から愛やら優しさやら熱いものがあふれ出し、ますます豊かに美しくその人生を織りつづける見えない糸になる。糸は本当は途切れてはいないし、いつも一本でしかない。ただ見えるときと見えないときがあるのだろう。そんなことを感じた映画だった。


| 06:24 | 日々のカケラ | comments(2) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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Comment








生きている間も死んだあとも、人と人のふれあいは続いていそうです。
posted by マサヒロ丸 | 2008/10/25 8:42 PM |
昨夜 作家 青木新門さんの講演を
あるお寺で聞かせていただいた
納棺の仕事に携わり死者から多くの事を
学んだ
生きる事 残す人々への 
生命のバトンタッチ 亡くなった方は
光輝きを放つそうだ。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~shinmon/news.htm
posted by 丑年モウ | 2008/10/25 12:35 PM |
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