kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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手放す
 ティク・ナット・ハンのコミュニティをのぞいていると、今の気持ちにぴったりな言葉に出会う。たとえば、こういうのがあった。


 心配や悲しみはあなたの問題を一つも解決できず
 安らぎや喜びの邪魔をするのです。
 それがわかったら
 いよいよ悲しみを手放すことにしましょう。
 決心さえすれば簡単です。

       『ウォーキング・メディテーション』より

 
 悲しみや怒りは一度感じるだけでなく、執着となってからだのどこかにたまっているようだ。時間という愛がゆっくりゆっくりとそれを消し去ってくれるものとばかり思っていたが、どうやら執着はエネルギーだ。エネルギーは形を変えても、けしてなくなりはしない。結局は感じている自分自身の責任なんだから、だれに文句を言ってもしようがない。手放すのか、それとも手放さないのか、その選択があるだけなんだと、ようやくそんなことがわかるようになった。


 手放すのにも、適切なタイミングというものがあるかもしれない。インテンシブのひとときに手放すことを経験して、そんな気がする。無理矢理、力づくで手放すことなどできるわけがない。手放すとは、肩から力を抜くことだ。背負っていた重荷を下ろすことだ。疲れ果ててしまえば、誰だって楽になりたい。そのとき、そっと静かに手放せばいいんだ。

 手放すとき、反対に入ってくるものがあった、ような気がする。それが愛だったのかはわからないが、入ってくるものを受け取ると、手放せた。どちらが先だっただろう。受け取るのと、手放すのと。同時だったかもしれない。手放すから入ってくる、入ってくるから押し出された。どっちでもいいか。

 でも、たとえば愛を受け取るというのは、意外と簡単なことではないかもしれない。それにふさわしい自分であるかと、つい考えてしまうぼくがいた。いた、と過去形で言うからには、今は割と簡単に受け取る準備ができている。なにも奢り昂ったり傲慢になっているわけじゃない。愛が粒子なら、人もその粒子でできている。受け取るとは、同質のものが交わることにすぎない。そう思ったら、とても簡単なことだ。そして、受け取ると、手放せるのだ。だったら手放す決心をするのではなく、受け取る決心をすればいい。簡単なことだ。みんな粒子なんだから。

 手放した悲しみは、いったいどこへ行ってしまったんだろう。天のだれかが受け取ってくれたかな。きっと悲しみ色の美しい光になって、キラキラと輝いている。



| 17:31 | 心の森 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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