kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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無理しない
 友とのやりとりの中で、無理しない、という言葉が出た。ぼくのもっとも好きな態度だと思った。座右の銘はと聞かれたら、無理しない、にしよう。

 無理、とは、道理のないこと。道理とはなんだ。ことわり。「人の行うべき正しい道」などと広辞苑にあるけれど、それだとなんだか小難しい話になってしまう。ぼくが無理しないと言う時は、自分の身の丈にあった状態を指しているにすぎない。要するに、気楽に構えてのんびりしていたいがための言い訳かもしれない。それがぼくのいちばん自然な形だからしようがない。

 ことわり、という言葉が持つ響きも好きだ。ついでに漢字源で調べてみた。

 理。「里は田と土からなり、すじめをつけた土地。理は、玉に里で、宝石の表面にすけて見えるすじめ。動詞では、すじめをつけること」なのだそうだ。


 これではぼくが感じる理の響きとはずいぶんとかけ離れている。ことわり、と聞いて、整然とした筋目を思う人がどれほどいるだろう。いや、ほとんどの人がすじめだと感じているのかもしれない。

 ぼくの場合は、柔らかな曲線が自由気ままに描かれた、豊かな自然界の姿を想像してしまう。理とは、人間がつけた筋道ではなく、人間に与えられた緩やかで包容力のある状態をイメージしてしまう。筋や線ではなく、どちらかと言えば、面だ。さらに言うなら立体だ。

 ということなら、ぼくの無理しないは、ゆるやかな心持ちでいることだ。漢字源に倣う人の無理しないは、筋道をきちんと立てて行動しなさい、ということになるだろうか。そんな話なら、無理な相談だ。人生を無理しないで決まったレールの上をきちんと歩きつづけるだけだとしたら、もう二度と生まれてくるもんか。

 まったく自分勝手な、無理と理の解釈だ。世の中に無理に合わせることもない、ということか。


| 19:16 | 日々のカケラ | comments(2) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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Comment








 おばあちゃんの知恵袋って、素敵なたとえだね。あきらめるのお話もなるほどなあって感心しています。見極めるって、ぼくがこのところずっと意識している自分のまなざしということでもありそうで、よし、という感じで受け取りました。

 そうそう、立ち止まるって、べつにぼくみたいに怠けてることじゃないと思うよ。忙しい日常の時間の合間にちょっとひと息深呼吸でもしてみると、あきらめる瞬間がやってくるかも、なんて感じでいかがですか? まさかそれを罪だと言う人はいないしね。立ち止まりっぱなしのぼく、少しは罪のカケラでも感じればいいのに。
posted by kazesan | 2008/09/05 10:17 AM |
詳しく聞くと やっぱり難しい。。。
私の中では 「ことわり」ってなんかおばあちゃんの知恵袋みたいなそんな意味合いかな。
イメージは「古臭いけど あなどれない」って感じ。古臭いって言葉は悪いけどね。
私は悪いイメージじゃなくて 昔から伝わってる事とか ことわざとか 大事にしなくちゃいけないような そんな雰囲気かな。

私が無理をしなくても 世界はちゃんと回ってるし 昨日と同じように 今日の日がくるわけだしって そう思えるようになったら 私にもその意味がわかるかな
kazesan ありがとう
ちょっと立ち止まってみたいなって思います。立ち止まる事に何だか罪悪感があったりしたけど。 
先日 禅語で「あきらめる」の語源は「明かにして見極める」って聞きました。
禅の言葉 もっと聞きたいなって最近 思います。すごく面白い。
でも 私も言葉の意味を知っても 自分の思う通りに解釈するけどね←じゃ 勉強する意味ないかな??(*^^*ゞ
posted by のの ☆ | 2008/09/04 10:16 PM |
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