kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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讃美歌
 思うところがあって朝まだ暗い三時前に起きて、一日をはじめている。ゆったりと背骨をゆらし、しばらく静座、あとは何をしようかと当てがあるわけでもないけれど、朝型は気持ちがいい。

 週末に帰省していたナミ一家のおかげでいつもは静かな我家ががぜん賑やかだった。ジッジとバッチといっしょに寝る、なんて珍しいことを言ってミクタンがふたりの布団にもぐりこんできた。夜中に寝苦しくて目覚めると、半分以上のスペースを占領した小さな体が斜めにどでんと大の字になっていた。カノンの寝顔はいくらか見馴れたけれど、普段遠くにいる孫のそれは新鮮だった。寝顔というやつは、意識がないせいか人間本来の表情のような気がする。見つめていると、ほんとうに天使かと思った。


 静座のあとは、自力整体をしたり、夜明け前の散歩に出たり、こうしてkazesan用に雑文を書きながら日常の自分を見つめたりと、ゆったりと過ごしている。ほとんど仕事をしていないのだから一日中ゆったりしているようなものだが、日中にはないこの静寂は貴重だ。家族もとなり近所も小鳥たちも、ほとんどが寝静まっている時間にひとり目覚めて呼吸していると、まるで周りの人たちを見守る世話人のような気になって面白い。生まれて生かされて、ほんとうはだれもが見守られている存在だろうに、たまにはこんな気分も悪くない。

 開けた窓の隙間から虫の声が入ってくる。コオロギ、スズムシ、クツワムシ。子供の頃はよく虫取りをしたものだが、今は声だけで感じるものを楽しんでいる。コオロギの声を人間の時間にまで伸ばして編集した音を聞いたことがある。それはまるで讃美歌のようだった。ほんとうに讃美しているものか、人間にはわからないけれど、讃美しているならいったい何を、と考えてしまう。地上に出た喜びをか、自然界のしくみをか。ただ羽を擦り合わせているだけの習性だとしても、讃美歌を奏でていると思ったほうがずっと豊かな秋だ。

 静寂のひとときは、あと一時間もすれば動き出す家族の気配で終わってしまう。うーん、ほんとうにいい時間だ。これからはこの時間を自分ひとりのものにしないで、静かになにかを讃えるためにも使おうか。そうだ、内なる鈴の音に合わせて呼吸をしよう。ぼく流の讃美歌だ。なにをしながらでも、ちょっと意識を向ければできることだ。それで、なにを讃美しようか。コオロギに聞いてみたいものだが、まず思い浮かんだのは、介護で外に出られない友がいて、寝たきりの友がいることだった。けれども誰もが見守られ、ほんの一瞬でも微笑みを浮かべて暮らしている。それこそ、ささやかな日常の中で讃美に価する大いなる出来事だ。友よ、その微笑みをありがとう。

 そして、不思議だ。奏でた讃美歌は、自分にも返ってくる。



| 05:40 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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