kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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狂った社会
 秋葉原の無差別殺傷事件が頭から離れない。

 この頃の事件は、犯人や容疑者の動機を聞いてとてもやるせなくなる。むしゃくしゃするとか、孤独だとか、誰にでもありそうなことがきっかけとなって、なぜこうまで凶悪な事件に発展してしまうんだろうか。

 テレビではコメンテーターの女性が、「25歳にもなって親のせいにしている」などと容疑者の個人的な話を始めた。これでは聞く気になれない。これらはみんな、社会の中で起きていることだ。関係した個人の生い立ちや環境、心情ばかりを追求して、なんの解決になるというのか。

 たとえば、歩行者天国に突っ込んできたトラックの下にもぐり込み、ケイタイで被害者の写真を撮っている者がいたという。なぜこんな時に部外者でいられるのか。プロのジャーナリストでさえ、戦場などで悩みながら苦しみながら撮っている人がいるのだ。非常時の写真を撮るとは、軽はずみなことでできることじゃない。
 
 たとえば、容疑者が書き込んだというケイタイの掲示板をほかにも利用している人はいなかったのか。だれか読んで、これはおかしいと思わなかったのか。「おい、ちょっと待て」と、ひと言ぐらい書き込めそうな気がするのに。

 
 身体のリズムが乱れ変調をきたすと、人は一番弱い部分から病気になる。同じことが社会にも言える。乱れると、ウィークポイントから吹き出すのだと、いつか気功の師が話していた。だとしたら、すべての問題は個人のことではなく、全体の歪みがその弱い個人から吹き出した、ということにならないだろうか。

 コメンテーターは、この事件を自分の問題だとは思っていない。ケイタイを向ける者も同じだ。掲示板を読んでなにも感じない者ももちろん同じだ。そしてこれを自分の問題だと思えない者が集まっている社会は相当歪んでいる。

 ただこの頃は、一番弱い部分から吹き出しているとばかりは思えない。誰にでもあるような悩みや苦しみ程度で、簡単に行動しているような気がしてならない。これではますます連鎖反応が起こってしまいそうだ。自分は部外者になって冷静でいられる者があふれた社会は、変調などではなく、完全に狂っているのだ。

 だったら、ひとりひとりはどうしたらいいんだろうか。周りの人に向ける視線や心に棘はないか。やさしい声をかけているか。せめてあいさつぐらいはしているか。悲しんでいたら、下手な言葉で慰めるのでなく、背中をそっと撫ででやったか。そんな積み重ねぐらい、簡単なことじゃないか。なあ、お前。お前のことだ、マサヒロ。


 巻き添えにあい亡くなられた方々に、せめて今夜ぐらい黙祷を捧げます。それから、ぼくの中の容疑者をそっと抱いてやろうと思います。




| 21:28 | 日々のカケラ | comments(4) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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Comment








 そうでしたか。実際に同じような境遇に遭われた方のお話は、こういうネット上の文字からでもずしんと響いてきます。ぼくなどは経験もなく言葉が先行しています。ただぼくの中味はけして気持ちのいいものばかりじゃなく、毎日のように周りの人に、それはもっとも身近な家族だったり、信頼すべき友だったりするんですが、良からぬ感情を抱くことがあります。要するに自分の中心に自分自身を合わせることができていないからですが、だから、とんでもない事件を起こしてしまう人にも負けない要素をぼくははらんでいることを知っています。同じ境遇にあれば、同じ行動を取るかもしれないと思ってしまうんです。世の中はいい人ばかりでもないだろうに、いい人ばかりのような顔に見えて、なんだか薄気味悪くなることがあります。
posted by kazesan | 2008/06/15 8:25 PM |
はじめまして、ステキなHP・日記を知り嬉しく思います。
秋葉原のことは、とても重く考えさせられる事件でした。自分自身も身内が同じように世間にご迷惑をかけました。なぜ彼の理解者になってあげられなかったのだろう・・自責の念で苦しみました。今まで色々と苦しいことがありましたが、自分の愛する者が犯罪を犯し、人様を苦しめると言う・・こんな二重の?苦しみがあったのだと、初めて知りました。被害に遭われた方とそのご遺族、容疑者・・そして、容疑者のご家族の想い、全てが私にとっては他人事ではないです・・。大きな世界で考えることで・・こういうことを学ばせてくれた私の身内にも、現在では感謝の想いを持てるようになりました。
posted by kuma-no-mimi | 2008/06/15 9:21 AM |
 重度の障害児に寄り添いながら暮らしている友が言いました。「外で遊ぶ子らの幸せな声を聞くだけで辛くなったことが何度もある」と。「どんなに周りに支えられていることがわかっていても、極度に疲れてくるとまた孤独に打ちひしがれてしまうのだ」と。それでも、「たったひとりの理解者がいるだけで救われてきた」のだそうです。秋葉原の事件の容疑者は、そのたったひとりの、あたたかな支えとなる人に出会えなかったということでしょうか。reikoさんの気持ち、ぼくにもよくあることなのでわかります。そしてもしかしたら、ぼくが嫌いだと感じる人も、心の奥では支えを求めて泣き叫んでいるのかもしれないと、ふと思いました。だれだってひとりぼっちなんかになりたくないだろうし。互いの心が見えればいいのにね。
posted by kazesan | 2008/06/12 9:23 PM |
身近に、とっても、嫌悪感を感じてしまう人がいます。許せない。。って、思ってしまう人。
その人も、自分の一部を見せてくれているのだと思うと、自分の中の自分を嫌っているところ、受け入れられない自己に、謝りたくなりますが・・・

うまくコメントできませんが、
今日も、棘だらけだった私に、
kazesanの日記が沁みました。

私も、心の中の嫌いなあの人を、そっと抱きしめられるといいなぁ。。
posted by reiko | 2008/06/12 12:32 AM |
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