kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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国立公園の舞台裏
 Jan Jan News というものがあった。「市民の市民による市民のためのメディア」とリンカーンの演説をもじって形容している。もっともこの一節の出典はほかにあって、リンカーン自身もそれを引用しているようだ。そんなことはどうでもいいのだった。個人が発するニュースには感情が入りこんだりすることもあって読む側にもそれなりの見識が求めらるかもしれないが、それは何を読んでも同じことだろう。それよりもここには、マスメディアからの情報には乏しい真実味があるような気がした。

 「国立公園の皆伐で問われる林野庁・環境省の姿勢」という記事がすぐに目に飛び込んできた。どうやら人のアンテナは、意識が向いている方向からの情報をうまくキャッチするようにできているようだ。記事は、北海道の国立公園内の実情を見た松田まゆみさんという道内の自然保護協会のメンバーが書いたものだった。リンクしている過去のものまで読んでいくと、北海道の奥山で今なにが起こっているのかが見えてきた。

 白峰村で生まれ育ち子供のころから狩猟に同行したという方の話を思い出す。国立公園の白山にある陰の話だ。「一般の登山客が歩くルートからは見えない部分じゃひどいもんだ。森はズタズタに切り開かれて、無惨な姿」なんだそうだ。北海道のこの記事を読まなかったら、忘れ去ってしまう話だったかもしれない。クマの棲む奥山を守るということの意味が少しずつ自分のこととして感じられるようになってきた。


 記事から記事へ、リンクからリンクへ。これがネットサーフィンか。初めての経験だったが、理解が深まるのが面白くて読み進めていった。自然保護、エコロジスト、温暖化など、関係する話題の中で盛んに意見を闘わせているものもあった。批判するもの、賛同というより著名人に同調するといったもの、美しくない言葉で罵倒するようなもの、ここまでくると気が滅入ってきた。ネット上で互いの主義主張を張り合うことに、いったいどれほどの意味があるんだろう。相手の話を理解しようとするとき、画面に並ぶ定型のフォントだけが頼りの道具なのでは、すこし無理はないだろうか。やりとりする言葉は、聞こえてこそ気持ちが通じ理解が深まるような気がする。

 どんな事柄にも反論する人はいるものだが、ぼくは意見を闘わそうとは思わない。少なくとも、ネット上では。正しいとか間違っているとか、賛成だ反対だとか、ぼくの興味はそういうところにはないようだ。感じるままに書いていることは、自分がいま在りたいと思う姿の表れだ。クマが生き延びることと自然を守ることは同じことで、それがそのまま人の暮らしや社会の健全な維持につながるのだという自然保護の考え方に賛同する、というのとは少しちがう。ぼくはそれを生きたいだけだ。正しいから、ではなく、そうして生きる方がきっと気持ちいいからだ。

 気持ちがいいという生き方は、ぼくの場合なら、人間だけよりも他のすべての生き物も同じように気持ちよくいてもらいたいと思う。道義的、人道的という意味でなく、もっと素直に、同じように生きている地球の仲間としてだ。人間の中にもいろいろあって、ぼくの嫌いなタイプもわんさかといる。けれど、動物を好き嫌いでタイプ分けする気にはなれない。彼らはなにひとつ主張せず、それぞれの世界を全うしているだけだ。だから、だろうか。奥山に棲むクマの世界を守ってやりたい。筆頭にあげられるクマの世界が成り立つとき、森のすべての生き物が気持ちいいということだろうから。

 ネットサーフィンの果てに辿り着いたサイトがある。「日本の天然林を救う全国連絡会議」。事態は急を要しているようだ。




| 21:55 | 原初の森 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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