kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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挑戦ー金澤攝を聴いて
 身体に痛い音楽だった。金澤攝シリーズ「サン=サーンスの隣人たち」。この日はアントン・ルビンシテインだった。クラシックに限らず音楽のなにも知らないぼくが、なぜピアノリサイタルか。誘ってくれた友人のなおこがシャンと姿勢を正して聴いている隣で、痛む身体を歪ませながらぼくはそのわけがわかった。これは既存のコンサートや演奏なんかじゃない。何かへの挑戦だ。挑戦していないぼくへの、無言の叱咤だと感じた。コンサートの間中、内臓もないはずの左肺の下がズキズキと痛んだ。まるで突き刺すような痛みだった。

 アントン・ルビンシテインのことももちろん知らなかった。1800年代中期、ロシア人ピアニストとしてはじめて世界に名声を博した音楽家だそうだ。石川県立音楽堂の少し冷える地下交流ホールを揺さぶるようなピアノ曲に打たれながら、その知りもしない音楽家が蘇ってきた。まるで生きたその人が、ピアノの前に立っているようだ。弾きつづけるピアニストの姿は、なにかに取り憑かれているようにも見えた。

 金澤さんが書いた「アントン・ルビンシテイン『冬の時代』」を見つけた。

 「私にとってこのルビンシテインの『冬の時代』は容易に踏み込めない領域だった。まさに冬の海を思わせる厳しさと気高さに満ち、技法の精密な完成度と相まって、あらゆるピアノ音楽の極北に位置するものとして、畏敬の念を起こさせた。自分の力量、状態ではまだ立ち入ることはできない、との思いを永く抱いてきたが、それらは結局、演奏とは何か、芸術とは何か、人生とは何か、といった究極的な問題に対する解答と実践的証明を迫るものだったといえる。その扉を今、ようやく開く時がきた」。

 なんという奇跡だろうか。門外漢のぼくなのに、金澤さんが開いたその扉の向こうをほんの一瞬でも体験できたんだ。金澤さんはそのあとつづけて、「私が知り得た、余りにも多くの名曲の数々を共有できる人がいないことは、やはり惜しい」と書いている。鬼才と言われる希有な天才ピアニストがこの金沢にいることも不思議だが、一度でもその世界を共有できたことは、ぼくにはまさにグッドタイミングだったが、やはり奇跡としか思えない。


 1年ほど前だったか、金澤さんを取材させてもらったことがある。変わった人だと、その程度の感想しか持てなかった自分が情けなくなるけれど、話してくれたいくつかを覚えている。

 たとえばひとつは、「クラシックの名曲として今日知られている曲は、内容が優れているから残ったのだろうか」という興味深い問いかけだ。金澤さんは、「忘れ去られたり、取り上げられない作品は、有名曲と何が違っていたのか。歴史に淘汰された名曲などと云えば尤もらしいが、ここに大きな落とし穴がある。作曲家によって書き上げられた作品が、総て演奏、鑑賞された上で選ばれてきた訳ではないからである」とも書いている。

 知られざる名曲の探求を、金澤さんは飽くなき挑戦のようにしてつづけてきた。この夜のアントン・ルビンシテインそのひとつの演奏会だった。

 後半の「舞踏会―幻想曲」の途中から身体の痛みに慣れてきたのか、ぼくの意識があいまいになりはじめた。クラシックコンサートなら眠ってしまうこともありそうなぼくだが、どうもこれは、それではなかったようだ。眠りではなく、まどろんでいた。ふらふらと、宙をさまよっている感覚だ。金澤さんの刺激はぼくには強すぎた。初めて体感する、強烈、破天荒、荒れ狂う海、型破り、ほんとうの自由、だった。あらゆる激しい言葉がその感覚を言い当てるだろう。そして最後には、まどろんだまま力が抜けてしまった。まるでそれは、生まれて生きて死んでゆく、壮大な物語を一瞬にして経験したような感覚、と言ってもけして大袈裟ではなかった。

 演奏の間じゅう感じていた、挑戦、という言葉がきょうになっても気になっている。ぼくは気が狂うほどに挑戦したこともなければ、打ち込むという経験もない。気を失い倒れてしまいそうな金澤さんの姿を目の前にして、ぼく自身はほんとうに生きてきたのかと、問わないわけにはいかなかった。

 となりのなおこは、「あの苦しみ抜いた演奏」という言葉を使って感動を伝えてくれた。もしも音楽がほんとうに金澤さんの苦しみだったとしても、それはとても美しいものだと思った。人生を楽しむことばかり考えてきたぼくなのに、苦しみは楽しい生き甲斐でもあるのだと、不思議だが思いはじめている。



金澤攝 
『失われた音楽 秘曲の封印を解く』







| 11:17 | 日々のカケラ | comments(5) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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Comment








ぼくのは、お遊びです。ひとりで原っぱで吹いているだけ。聴衆は森の小鳥と天国の友らです。
posted by kazesan | 2008/02/15 5:38 PM |
本当に不思議な空間でした。なんだかとても、有り難い気分になりました。kazesanさんも音楽されるようですので、今度聴いてみたいです!!

ちなみに、私のお友達は金澤さんの事を「仙人さま」と言っておりました〜
posted by くぴちゃん | 2008/02/15 1:21 PM |
 くぴちゃんもごいっしょでしたか。あの世界を共有したというだけで、なんだか不思議なご縁を感じますね。ぼくはでも、魂とか宇宙という感覚よりも、むしろ人間金澤攝に感化されました。生きている瞬間、というよりも、生も死もなく、というような人間離れした人間でした。あらっ、それが魂ということかな。

 おんぽたんぽさん。拝見しました。月の暦、すっかりファンになっています。
posted by kazesan | 2008/02/15 9:19 AM |
kazesan、志賀勝さんのお話、
紹介させて頂きました。

いつも本当に有り難うございます。
posted by おんぽたんぽ | 2008/02/13 6:14 PM |
kazesanさんこんちにわ。昨日の演奏会はとても素晴らしかったですね。金澤さんの体をフルに生かし宇宙からのインスピレーションや、作曲家とのメッセージが、彼の体に入っていっているような演奏でした。その中で、魂として聴く事ができた事にとても感謝せずにはいられない時間だったように思います。

音楽という手段で金澤さんはあれ程までに、「生きている瞬間」を表現できる素晴らしい音楽家だとあらためて思いました。

私の中の挑戦に対しても見つめるきっかけになったと思います。


posted by くぴちゃん | 2008/02/13 3:05 PM |
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