kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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朔の峰で
 





 長月朔の白山を歩いた。月のない晩、峰々はどんなふうに見えるんだろうと、ただそればかりのことで、痛む膝を引きずって。

 年老いて行くことは人間の、形あるものの習いではあるけれど、実際に己の体でそれを感じるようになると、動けるというこの瞬間にやっておきたいことが鮮明になるようだ。これを最後に登れなくなってもいい。言葉にはしなくても、ある程度の覚悟を持って歩いた。

 人は何処から来て、何処へ行くのか。幼い頃から生まれてきたことが不思議でしょうがなかった。今は、死んで行くことも同じように不可思議だ。その問いの答えを、この年になってまだ追いかけているのか。電池切れのせいか灯してもすぐに途絶えるLEDのヘッドランプのおかげで、何度も闇に包まれた。立っている此の場こそ、何処かから来て何処かへ旅立って行く地点なのだと、また感じている。

 見上げると、星々が、降ってくるかと思うほどに真っ暗な空を埋め尽くしていた。北斗七星、オリオン座、それくらいものしか馴染みがない。名前なんてどうでもいい、けれど名前も呼べないのはあまりに寂しい。その寂しさを、見つめることで癒した。撮ることで慰めた。感じることで許してもらった。

 大汝峰に天の川が架かっていた。血の池にその姿を映していた。街中ではもう見ることができない荘厳な夜空をこの峰で何度拝んだことだろう。美しいのは、美しい。ただそんな言葉では収まらないものがある。言葉では届かない。言葉にすべきではないのだ。何処から来て、何処へ行くのか、それがわからないから生きていられるのだ。相変わらず膝がじんじんと痛む。生きている。

 生きていることは辛いものだと、その昔、お袋が弟に話しているのを思い出した。まさかそんなことはあるまい、喜びがあってこその人生だろうと、反論はしなかったが思った。今はどうか。辛いことも悲しいことも、それなりのことは経て来た、はずだ。喜びも時々で感じて来た、はずだ。この感じ方は自分でもおかしいけれど、どれもこれも、そのようなものだろうという程度のことでしかなくなっている。あいまいになっていく記憶。どれもまるで他人の人生にあった出来事のように感じている。

 カメラを高感度に設定してもそれなりに撮れるようになった。見ている以上に見えてしまう闇など、もう闇ではないのか。それともこれは、世界の聖地を撮りつづける野町和嘉が言った、闇に寄り添うということか。包まれている闇夜に浮かぶ光。けれど足下が見えない。お前はいったい何者だ。闇と対話している時間が、まるで永遠のようにひととき流れずにあった。

 闇の中に融けて行くものを、この朔の峰で感じている。






































| 16:17 | 白山 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
千蛇ヶ池






 山頂への道から外れハイマツ林などが広がる中腹を西に辿ると、やがて目の前にぼんやりと浮かび上がるのが千蛇ヶ池の雪渓だ。まだ夜明けまではしばらく時間がある。薄暗い静寂に包まれ、その白の前で立ち止まる。真夏でも十メートルほども積もっているという白山で唯一の多年性雪渓だから、この黒々とした雪は何万何千年の昔から消えずに此処にあるのだろうか。雪の下には、白山を開いたと伝わる泰澄が閉じ込めた千匹のおろちが棲んでいるそうな。なんとも怪しげな雰囲気を感じるのはその伝説のせいか。毎度毎度立ち止まってしまうのは、単純に万年雪への憧れでもあるんだろうか。

 この生を生きている時間など、泰山に比べれば閃光ほどに過ぎない。永遠という言葉は知っていても、その意味を本当には感じることができない人間だから、万年雪に触れると、永遠をいくらかでも身近にたぐり寄せた気分になる。押し潰された雪は氷のように冷たい。下手をすると手のひらなど簡単に切れてしまいそうだ。静かに目を閉じ、おろちの気配を感じてみた。生命とは、いったいなんだろうか。騒々しい世の中にいると考えもしないことを、何故か此処では強く深く感じてみたくなる。

 ふるさとに白山があることを、登りはじめる前と今とでは随分と違って感じている。これを巷でブームになっている山登りだと思ったことはない。登拝という言葉を知って以来それを使っているけれど、拝むというほどのこともしていない。なにか特別の目的を持って登りたくはないようだ。むしろ日常にも欠かせない、特別な一場面とでも思っている。その時、他では感じられない特別な思いが蘇ってくる。ただそれを、まだ言葉にも絵にも出来ていない。永遠のような存在を相手に、この時間はあまりに短い。



































| 11:30 | 白山 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
翠ヶ池の淵で






翠ヶ池の淵に佇んでいる時間が好きだ。標高が2,600 mほどもあるから実際にはそうちょくちょくと出かけるわけには行かない。年に一度か二度程度。だから、なおさらだろうか。その時を深く意識することができる。佇む時間帯などいつでも構わない。夜明け前に赤く染まる空は誰もが絶賛している。ガスで霞んでほとんど対岸が見えない時などは、見えないからこそ気になるものを感じて離れられない。暑い日差しを避け岩陰に隠れて座るなら、いつもそのまま眠り込んでしまう。どうやら此処は特別な場所のようだ。そのことばかりは、佇む度に感じている。

 白山は活動の度合いが低いとは言え、れっきとした活火山。もっとも近いところで1659年に噴火している。翠ヶ池を火口湖とする辺りも含めた新白山火山は、およそ3万年から4万年前に形成された。その北側の古白山火山に当たる地獄谷付近は浸食されているものの、荒れ狂った痕跡を残す岩肌が見える。何十、何百万年という歳月を白山は活きている。

 翠ヶ池が好きだなどというちっぽけな人間のことなど、おかまいなしだ。そんな人間が白山に抱かれているという感覚を持ったところで、さしたることもない。あまりに壮大な時間が、流れているとも知れず緩やかに流れている。人間にはなにひとつ感知できないリズムがあるのだろう。遠い過去から遠い未来へと、捕らえ所のない流れ。まるで止まっているかのように流れるその風景の中で、此処にあることのなにかしら不思議な感覚をただ味わうことしかできない。確かに生きている。息をしている。鼓動がある。だがそれらすべての脈打つ動きが、小賢しい。だから眠るしかないのだろう、この特別な場所。







































| 15:52 | 白山 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
一本の木





町に人が蠢くように、森は樹々で溢れている。山の細い一本の小径を歩きながら数多くのものを見落としている。森を森として見ることなど小さな者には到底叶わないのだ。なのに、出会った。たった一本の木に気づき、雪に塗れひとしきり見つめていると、本当はその一本に見られていたのだと知る。ずっとここで木が待っていた。葉を落とした今だから、出会えた。脱ぎ捨てなさい、あなたも、本当に出会いたいなら。たった一本の木から、森の声が聞こえた。


































| 21:14 | 白山 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
雨の森





 雨の森の虜になった、というほどのものはまだ感じてはいないけれど、どうやら森は雨がいい。登り始めたころ、快晴の青空の下で気持ちも晴れやかに峰を歩くのが山の良さだと思っていた。いくらか慣れてくると悪天候の時でしか出会えないものに気づけるようになった。靄に包まれて身も心も真っ白になるようなひととき、冷たい雨は実はとってもあったかいし、どんよりとした灰色の雲を割いて差す輝く陽光に震えることもある。

 荒れた日の山の何がいいかというと、まずほとんどひとりぼっちでいられることだろうか。大きな山に抱かれているから、孤独を楽しむというのではもちろんない。普段は会えない親しい人に会いに行くという感覚に近いかもしれない。だから雨の森には求めて行く。会いたくなるのだから。

 十一月ともなると、雨が途中から雪に変わった。雰囲気のいいブナ林の辺りだった。夏には何人かが座ってにぎり飯を頬ばる場所でもある。今はだれひとりいない。森の木々は葉を落とし、幹の無骨にくねる姿ばかりがうっすらと白い中から飛び込んできた。静かな山が騒がしいほどに踊っていた。すると、それを見ている者の心はいっそう静まるのだった。黙って座り込む。身体は冷えているのに、晴れた日では感じられなかった微かな温もりが内で目覚めた。生み出したものでなく、与えられたものだと信じられた。

 自然界には人の知らない様々な営みがあるだろう。そのほんのひとつでも深く感じられた人は、おそらく自然の一部になってしまうのだろう。たとえば田畑を耕す、海に船を出す、牛を飼う。どこにでもありそうな一次産業に従事する人たちの深い日常を、街だけに住むいったいどれほどの人が理解できるだろうか。雨の森を歩きながら、原発や津波の被害で自然界から切り離されてしまった人たちのことが、急に浮かんできた。あの方々は単なる職を失ったという程度では済まされなかった。命を捥ぎ取られてしまったも同然だったのだ。それがわかるような気がした。そしてぼくは雨の森のこの温もりを信じることができる。































| 16:47 | 白山 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
大地よ




 ランディさんが紹介していた「大地よ」という詩のことに、ときどき思いを寄せてみる。作者の宇梶静江さんのこともアイヌもこともなにも知らないのに、この詩にあるような、大地の痛みについて考えたくなる。

 久しぶりに山を歩いた。白峰は大嵐山。いくつか見所があって、年に一度、この季節だけでもと歩きたくなる。まずは水芭蕉だ。例年より一週間ほども遅れての開花。音を立てて沢を下る雪解けの水は冷たくて透明で、どれほどの滋養を含んでいることだろう。地球という大自然の営みの、沢は血管のようでもあり、すると里山こそが営みの根っこだろうと思われる。白虎谷のブナ林が見事だった。風まで緑。吸い込む新鮮な空気を身体に満たしては、樹上を見上げた。空に伸びる木々に抱きつき、耳を当てた。そうすれば水を吸い上げる音が聞こえるのだという。静かに感じてみると、これがそうだろうかという微細な振動のようにして、木の息吹きが聞こえる気がした。

 一日言葉を発することもなく、山に居た。平日なんだか週末なんだか、世の中とは縁遠くなるばかりだが、「大地よ」の詩をまた思い出しながら佇んでいると、自然との新しい縁がいくらかでも生まれたように感じて、ホッとした。おまえにも痛みはあるのかと尋ねても、返事は返ってこなかった。大地に痛みがあるなら、やっぱり人間の仕業だろうか。人が入るということじたい山には必要のなさそうなことだが、どうだろうか。人にも自然とのつながりの中でできることがある。その大きなひとつが、祈り。ああ、やめておこう、祈りだなどと、日々真剣に祈ったこともない者が口にするべき話じゃない。佇んで、ただ静かに手を合わせてみるばかり。

 大地が揺れて、海が揺れて、そのことと人間が本当に関係しているものか、だれからも教わらなかったけれど、かと言って否定することはない。こうして地上に在るということが、人もその一部であることの証だろう。万を超えたたくさんのいのちが、大地と揺れ、海と揺れ、流れて壊れて、消えていった、まるで大地に溶け込むようにして。祈らねばならない、祈りつづけなければならない、つながりのわけを知るまでもなく、遺された者のそれこそが努めとして。


































| 15:02 | 白山 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
風の旅人

 

 久しぶりに白山を歩いた。霊山にいるだけでも中味は濃いのに、『風の旅人』編集長の佐伯剛さんをご案内しての三日間は、まさに筆舌に尽くしがたいものになった。目覚めようとしている。自分のことだから、そればかりは確かな感覚として携えているけれど、実際の行動にはまだなにひとつ表れていない。白山と佐伯さんからいただいた種をまずは大事にあっためておこう。ずっと雨模様かと思っていたら、ふたりだけが歩いた北面の空が開け、まぶしいばかりの光が大地に降り注いだ。これがあるから、山はやめられない。生涯が青空ばかりで埋めつくされたなら味気ないというものだろう。雨風に翻弄され、ずぶ濡れにもなり、だからそれが乾いた瞬間のよろこびを知ることもできる。そんなわかり切ったことを、改めて、自分のこととして感じた。雨もいい、晴れもいい、山がいい。いつも流れている、昨日も今日も、そしておそらく明日も。流れの中で出合い拾い上げた原石を、はあはあと息を吹きかけ丁寧に磨き上げてみたい。





























| 21:20 | 白山 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
葉っぱ塾主催「あこがれの白山を歩く」中止のお知らせ
 7月末から予定していた葉っぱ塾の「あこがれの白山を歩く」は、都合により中止となりました。すでに数名の方から参加申し込みがありましたが、葉っぱ塾主宰のヤギおじさん、八木文明さんの日程が非常につまってしまい、調整が難しくなったためです。去年初めて白山に登った八木おじさんが大いに気に入られ、葉っぱ塾の恒例行事になりそうな勢いでしたが、ということは、また改めての機会があるかもしれません。どうぞご期待ください。




























| 14:05 | 白山 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
葉っぱ塾 あこがれの白山を歩く2010
 今年も旧暦の初春を無事迎えることができました。季節のうつろいは、どうやら年を重ねるごとにその味わいを増すようで、ぼくのこれからの日々もそれなりに楽しみです。夏山までは少し間がありますが、ご希望の方もいらっしゃるので、下記の要領で「葉っぱ塾あこがれの白山を歩く」の早めのお知らせです。すでに数人のメンバーが確定しています。残りあと五、六人の参加が可能です。

 ダンディな山男ヤギおじさんと登る白山は去年につづき二度目の開催ですが、今回はガイド料の負担をお願いしています。またB組での参加となる初心者の方は、南竜山荘合流までの行程は独自で登っていただくことになりますのでご了承下さい。

去年はあいにくのコンディションでしたが、幻想的な靄に包まれた山歩きにも味があったりして。今年はどんな登拝になるでしょうか。


 それでは、葉っぱ塾・ヤギおじさんからのご案内をどうぞ。

葉っぱ塾 あこがれの白山を歩く2010(第一次案内)

 2009年、白山を初めて訪ねました。すばらしいお花畑、そして豊かなブナの森に感動してきました。その感動を「葉っぱ塾」のお客様とも分かち合いたいと計画してみました。地元の写真家、桝野正博さんも同行してくださるので、写真撮影のアドバイスなどもいただき、あまり人の歩かない静かなコースをご案内いただきます。Aコースは長いルートにつき、初心者の参加はできません。体力の心配がなく、しっかりした服装や用具を持っている方に限り、各コース6名程度の募集です。

【期  日】 2010年7月29日(木)〜8月1日(日)
        ※悪天候の場合の中止や延期については参加者と相談します。
【募集人員】 (A)全日程参加コース6名程度(B)途中合流コース6名程度 
        ※定員に達し次第締め切ります。申し込みの場合は、保険の関係で、生年月日をお知らせください。
【参加費用】 (A) ¥12000
       (B) ¥ 8000
※いずれも、ガイド料、写真代、最低限の保険料を含みます ※3泊とも食事付きの旅館や山荘に宿泊します。その経費がおよそ¥23000ほどかかる見込みです。また、現地までの交通は各自でお考えください。車同乗の場合はガソリン代ご負担ください。

【日  程】 

●1日目 16:00 白山市ノ瀬登山口 「永井旅館」集合
●2日目 (A)市ノ瀬登山口→チブリ尾根→御舎利山→別山往復→南竜山荘(泊)(行動約10時間)
     (B)市ノ瀬→別当出合→砂防新道→南竜山荘(泊)(行動約5時間)
●3日目  南竜山荘→室堂→白山山頂→お池めぐり→お花松原→室堂ビジターセンター(泊)(行動約7時間)
●4日目  室堂ビジターセンター→別当出合→市ノ瀬(正午前に解散予定)(行動約4時間)
            
【持 ち 物】食料(2食+非常食)、雨具(ゴアテックス素材のもの)、着替え、水(最低2ℓ)、食器、手袋、ヘッドランプ(懐中電灯)、持薬、(持っている場合コンロ)※アルコール類は山荘で買えます。

【ガイド装備】救急薬品、ロープ、カラビナ、ツエルト(簡易テント)、カメラ、無線機、コンロ、ガス

【連 絡 先】  葉っぱ塾 八木文明(日本山岳ガイド協会認定ガイド)
       TEL/FAX 0238-84-1537 メールはこちらまで 



























| 11:55 | 白山 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
白山の秋


 
 コロコロと予定が変わり結局空いてしまった一日は、すぐに山歩きに決めた。釈迦新道の紅葉はどんなだろうかと気になっていたから、グッドタイミングだ。朝の空気はそれが山ならもう言うことはない。呼吸しているだけで生きる力が湧いてくる。お目当ての紅葉は、麓近くのブナ林まで下りて来ていた。澄んだ光を濾して、どれもこれも見とれてしまう美しさ。一本一本を見てやろうと、ゆっくりゆっくりと歩いた。撮っていると歩き馴れたスタイルの女性に追いつかれた。「山が燃えているわね」と満面の笑みを浮かべている。「ほんとやねえ」とすぐに返事をしながら、まるで旧友にでも出くわしたような気安さを感じた。でもぼくは燃えていると感じているわけじゃなかった。色づく木々はただ美しく、わざわざほかの言葉で形容する必要を感じなかった。思わず見とれて、ため息をつく。何度もそれを繰り返し、ぼくもすっかり秋色に染まった気分だ。こんなにも秋を満喫したのは、生まれて初めてのことかもしれない。白山の秋はいましばらくつづく。






| 23:09 | 白山 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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