kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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クマの気持ち
 「クマがバスターミナルで暴れ、9人負傷 岐阜・乗鞍」(毎日jp)の記事が目に留まった。被害に遭われた方々には気の毒なことだったが、この手の報道がある度に、発生したその一件だけをことさら大きく取り上げてしまうことに、むしろ人間の傲慢さを感じてしまう。

 このクマの尋常でない行動を思うと、どこかになにか深い原因があったのではと想像してしまう。クマは本来草食で極めておとなしい野生動物だそうだ。それでも山を歩きながら、クマには遭遇したくないものだといつも思うけれど、ほとんどはクマが先に人間に気づいて遠ざかってしまうのだと聞いている。なのに、なぜこんな事態が起きてしまったんだろうか。



 ひとつの現象が数限りない要素が絡んで表れていることは、十分に予想できる。けれども現場ではだれひとりそのことを言う者はいない。これではまるで、恐ろしい獣が人間の領域に侵入し暴れ回った、というようなニュアンスでそればかりが語られている。だが本当はどうなんだろうか。標高2702メートルの現場は、ぼくの大好きな白山と同じ高さにある。人が平地と同じ格好をして気楽に楽しんでいられる場所ではないのだ。むしろ野生動物の居住空間ではなかったのか、否、今もまだ変わらずに彼らこそが棲んでいる世界だ。それにしてもこのクマも随分と高いところまで登ってきたものだ。なにか決死の覚悟でもあったような気さえする。なにもしていない人間を単純に襲うとはとても思えない。どこかで死ぬほど辛い目に合ったんだろうか。それともクマの森を守ろうと、ひとり立ち上がったんだろうか。

 ああ、これではケガをした人間を放っておいて、クマの味方ばかりしているように思える。でも、それでいい。クマにはなにを発言する機会も与えられていないのだ。数は少ないしけして深くはないけれど、人間にも理解しようとする者がいることを知ってもらいたいものだ。負傷者とそして射殺されたクマに心を寄せながら、奥山の自然とはどんなものかと考えている。


日本熊森協会の見解







| 09:45 | 原初の森 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
山に微笑む
 日本熊森協会本部のメンバーが白山麓のトラスト地周辺を回るというので、飛び入りで参加した。ぼくは今年度の会費が未納の不良会員だ。六千円の金額が負担だということもあるけれど、手持ちが少ないからこそ、有効な使い方をしたいとも思っている。はたして熊森はぼくの好みだろうか、環境保護にどれほど有効だろうかと、それを確かめたい気持ちが生まれていた。だからの飛び入りでもあった。

 メンバーは会長の森山まり子さんと顧問の主原憲司さん、それに清々しい若者が三人、地元からは石川支部長の三井明美さんが出迎え同行した。今回はトラスト地の見学ツアーの下見を兼ねているようだったが、下見と言っても範囲は広い。日帰りのほんの数時間の滞在ではどれほどの成果も期待できそうになかった。てっきり泊まりだと思い込んでいたぼくは、肩すかしを食らってしまった。



 それでも自然が大好きな方たちとその自然の中にいるのは、なんとも居心地がいいものだった。森山会長もまるで少女のようにして、あちこち動き回っていらした。昆虫研究者の主原さんに同行させてもらうのはこれで二度目だが、昆虫ばかりか樹木や草花、もちろんクマやシカの動物たちと、氏の自然界の物語はまるで泉のように淀みなく湧きあがってくる。ほんとうにこの方は自然が大好きなんだと思った。ただ聞いているだけで、ぼくまでうれしくなってくる。できることならすべてを記憶に留めておきたいと思うけれど、反対の耳からほとんどが流れ出てしまった。

 時間はあっと言う間に過ぎて行った。なにか特別なことがあったわけでもないが、メンバーを見送ったあと三井さんとふたりでしばらくトラスト地を眺めていると、なんだか心がほっこりとあたたかくなってきた。木々は新緑から夏色へと色濃くなりはじめ、夕暮れの山は眠りにつく準備でもするように静かだった。トラストのことをぼくは詳しく知らないが、どこまでもつづく山々のほんの一部をいま熊森は保護しようとしているにすぎないのだろう。いったいどれほどの効果があると言うのか。けれども、ほかの誰も行動していないことに手をつけはじめたのだ。そしてそれよりも、メンバーのみなさんはほんとうに楽しそうだった。クマや森と友達でいると、人は軽やかに微笑んでいられるようだ。ぼくもいっしょに微笑んでいたい。遅れていた会費は明日にでも納めてくることにするか。

 中ほど右手の辺りが白山のトラスト地だ


豊かな森のシンボル☆クマたちからのメッセージ♪
本部原生林ツアー石川県の山の下見
主原憲司先生のお話




| 23:03 | 原初の森 | comments(2) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
主原憲司さんと歩く
 日本熊森協会顧問で昆虫や森林生態学を研究している主原憲司さんが白山麓を視察調査するというので、これは面白そうだと、石川支部のメンバー五人といっしょに同行させてもらった。

 やや小柄な主原さんは山を歩き慣れていらしゃるのがひと目でわかるほどに行動が素早い。思い浮かんだことが即行動につながっているという印象を受けた。まるで森の生き物のような方だった。

 トラスト地の周辺を歩きながら、淀みなくあふれてくる主原さんの話に耳を傾けた。なんの予備知識もないぼくには、興味深い内容が右から左へと素通りしてしまう。残念至極だったが、刺激だけなら十分にいただいた。自然界を理解すると、どうやら見えてくるものが違うようだ。すべてはつながっている、とはよく言われる言葉だし、誰もが認めるところだろうが、それを理解している人はいったいどれほどいるだろうか。ぼくなどは、ただ言葉で知っていただけなのだと思い知った。


 たとえば、花と訪花昆虫の話。訪花という呼び方を知っただけでも愉快になるが、花たちの生態がまた面白い。受粉した花の中には様々なシグナルを昆虫に送って、もううちでは足りてますよと知らせるそうだ。昆虫にとっては無駄足がなくなるわけで、なんとも合理的な営みが人の感知しないところで受け継がれていることに驚いてしまう。

 けれどもここにも温暖化が顕著に影響しているそうだ。昆虫の羽化が早まると花粉や蜜の供給時期と合わなくなり、打撃を受けた昆虫は産卵もかなわずに死んでしまう。そしてすべてがつながっているということは、驚異でもある。昆虫が激減すれば、どうなるだろうか。花の世界、昆虫を食する動物の世界、動物が暮らす森全体、やがては人類を含んだ地球上のすべてへと影響が広がっていくのだろう。

 なにひとつ狂いのなかった時代というものが、かつてはあったのだろうか。生物が進化してきたということは、すべての営みに狂いはなかったということか。考えてもわからないことをつい考えたくなる。ガードレール越しに咲いている野の萩がなんとも愛らしい。ハチが一匹飛んでいる。「ニホンミツバチだ」。主原さんが言った。「ミツを集めるハチは昼間は来ないもんですが、曇り空だから関係ないんでしょ」。自然界を理解している人の話は実に面白い。渡世の術を知っているより、何倍も豊かだ。人間社会なんて、ほんとうは自然界のほんの一部にすぎなかった。

●石川では同じような調査が去年も行われていて、内容は支部長のブログ「豊かな森のシンボル☆クマたちからのメッセージ♪」に詳しい。

主原憲司氏 地球温暖化 芦生より発信


| 10:27 | 原初の森 | comments(1) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
自分の目
 「ツキノワグマは確実に増えつづけている」と、自然界の報道写真家と自らを称して長年撮りつづけている宮崎学さんが断言した。石川県が主催した講演会「人とクマとのすみ分けを考える」の中での話だった。日本熊森協会に加わってまだ日の浅いぼくだが、クマたちは絶滅の危機にあるという見方が正しいのだろうと思い込んでいたから、ちょっと驚いた。短い時間の質疑応答では間に合わず、講演が終わった直後に思い切って宮崎さんに聞いてみた。

 「九州ではもう絶滅したそうですが、増えつづけているというお話と、すこし矛盾していませんか」。

 宮崎さんはにべもなく答えた。

 「ほんとうに絶滅したんですか?」

 それっきり、そっぽを向かれてしまった。宮崎さんは、自分の足で森に入り、自分の目で確かめたのか、と追及したのだろう。ぼくは確かに、絶滅したと聞いているだけだ。奥山に入る勇気など持ち合わせていないし、実際クマに出会ったら、腰を抜かして一発食らうのが関の山だ。

 宮崎さんの話にもうひとつ気になることがあった。「クマは奥山型と里山型に分かれたようだ」というのだ。「人工造林で荒れた奥山をクマは追われたわけじゃない。クマの食料がドングリばかりだと思ったらとんでもない。何百種類ものメニューを持っている。現状の奥山で十分に生きている」そうだ。近ごろはそして、里山に棲むクマがいる、という話だった。


 これらの話を、ぼくは自分の足で確認する気になれない。けれども宮崎さんは、そういう態度で自然を理解している気になっているのが今の日本だと指摘した。信州を主なフィールドとして歩き回り、無人撮影の技術を開発し、オリジナルな方法で導き出した結論に反論するものをぼくは持たない。だが、持たないから、宮崎さんの推測が正しいとも限らない。

 クマのことは、だから今のぼくにはここまでにしておくしかなさそうだ。

 そしてひとつだけ、共感したことがある。自分の足で歩く、自分の目で観る、自分の耳で聴く。これらは、間違いなく正しいアドバイスだと思った。世の中が言っているから、著名な専門家の話だから、新聞に書いてあったからと、大方はそれを鵜呑みにしている。自分の考えを持つこともなく、調べようともせず、他者の言葉を平気で口にする。それが、現代社会と言われる愚かな集まりだ。ぼくは、そのまっただ中でのほほんと生きている、愚鈍な者の典型だろう。

 クマと話ができたなら、どんなにか問題は簡単だろうに。でもそれはかなわない。かなわない人間同士なのに、なぜ自らの考えに固執し主義主張を繰り返し闘うような姿勢でいるんだろう。愚かでも、手をつなぎ、もっと大きな目で問題を見据えることができないだろうか。人間という動物は、ほんとうにどこまでもややこしい。物の見方を考えさせられても、表題の「人とクマとのすみ分けを考える」ことについては、だれも一歩も踏み込まなかった。

 熊森協会は、最近白山麓にトラスト地を購入した。まだそれ以降に具体的な動きはないけれど、管理するのは地元の会員になるのかもしれない。ぼくも少しは自分の目と感性を駆使して、自分なりの道を歩いてみようか。クマは、人が迷惑に違いないとは思うけれど。


| 10:57 | 原初の森 | comments(4) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
クマと人と
 せっかく日本熊森協会の正会員になったんだからと、石川支部に連絡を取った。グッドタイミング。翌日は富山県小矢部で森山まり子会長の講演会があるという。いずれ聞いたみたいと思っていたところだ。さっそく出かけた。こじんまりとしたスタジオ風の会議室。なんと聴衆は10人そこそこだ。これで100万人を目指しているのかと、盛り上がりのなさにちょっとがっかり。自然界の源でもある奥山を後世に残そうという大切な課題は、なかなか大衆に浸透していかないようだ。

 それでも話は涙を誘い、響いてきた。内容は協会の小冊子『クマともりとひと』とほぼ同じでストーリーはわかっているのに、でもこれは森山さんがこの10数年を歩いたホットな経験談ばかりだ。自らの保身に心を砕く旧態然とした行政の厚い壁に、理科教師だったころの教え子達と真正面からぶつかり、少しずつ穴を開けてきたのだ。それに、真新しい功績が欲しい研究者たちとは違うのだ。同じ話を100万回でもしないと、世の中は動こうとしない。

 講演のあとの懇談がさらに有意義だった。ふたりで話しているとき、ぼくの問いかけに答えて森山さんは言った。

 「日本の奥山はこのままでは滅びるでしょう。でもだからと言って、辞めた、なんて言えない。言えばそれでほんとうに終わり。たとえ滅びても、滅びるその日までやります」。

 好きだなあ、この言葉。だれに呼びかけてもいない。やりますと、ご自身の心の内を伝えてくださった。だったら、ぼくはどうしようかなあ。どうせ滅びてしまうのに、などと言うつもりなのか。もしもそうなら、今すぐに人間なんかやめてしまえ。自然界を乱すだけが人間なら、ぼくはもうたくさんだ。


 九州がいま盛り上がりを見せていて、会員が急増しているそうだ。すでにクマが絶滅してしまった地域なのになぜだろうか。「いいえ、日本にはまだクマが残っているじゃないですか、私たちもいっしょに守りたいんです」と誰もが言ったという。

 この石川、富山はそれに比べてまだまだ広がっていないようだ。豊かな環境にあぐらをかいて、放っておいても自然は自在に継続すると思っているかのようだ。石川県は、近年の多い年で2004年度に179頭、2006年度に83頭のクマを捕殺している。県内の推定生息数を500〜600頭と見ているのだから、半数の命を奪っていることになる。しかもこれには狩猟数が含まれていないから、実態は明らかにされていない。なんでも猟友会の会長がクマ肉の料理店を営んでいるというから恐れ入った。

 300頭を割ると絶滅がはじまり、100頭では種の保存が不可能になってしまうのだと、森山さんは指摘した。豊かな霊峰白山に抱かれた石川のクマが泣いている。奥山の生態系の頂点に位置するクマが絶滅すれば、森は崩壊するしか道はない。天然林がなくなれば、その先はどうなるのだ。ただでさえ近年の急激な温暖化で息苦しくなっているというのに、無邪気な人間たちは調べようとも改めようともしない。

 岩手・宮城地震の被害は凄まじいものだった。毎日jpが伝えた写真を見ていると、気にしているせいか杉の人工林がやけに目についた。保水力の乏しい拡大造林は簡単に土砂崩れを起こしてしまうのだと、これも熊森協会が指摘している。明らかに日本の林野行政は間違った道を歩いたのだ。今さら訂正もできないというのが本音なのではないだろうか。過ちは誰にもあるものだ。ただそれを受け入れる人と、押し通す人がいる。

     写真:毎日jp

 さてと、熊森協会とぼくが目指す100万人はまだ先の話だ。それでも石川支部の数人でも、動けば動くだけさざ波のひとつも立つだろう。それでいいんだ。声をあげよう。
 
***
 
 下記は参考記事。立場が違うと考え方も違う。「奥山」の捉え方ひとつも違っている。守りたいものは、共に人の生活であり命のようだ。ただ人だけが生き残れるものではない、というのは一致しているのか、いないのか。まだまだよく理解できていないぼくだ。いろんな考え方に出会ってみたい。そしてぼくが大切にしたいのは、他者を理解するということだと気づいた。その他者には当然クマもいる。

●石川県ツキノワグマ、「有害捕殺」の名を借りた乱獲実態の改善を求める
●シンポジウム「人とクマの未来は?」
〜クマの分布拡大に対し今、私たちにできることとは?〜





| 18:00 | 原初の森 | comments(3) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
天然林を残したい
 「日本の天然林を救う全国連絡会議」の代表世話人でもある、河野昭一京都大学名誉教授のプロフィールを読んでいると、不思議と力がわいてきた。ぼくになにができるだろうかと、思いをめぐらす楽しみが生まれている。

 北海道で電気もないランプ生活の幼少時代を過ごした氏は、目の前にあるフィールドの中で飛び回ったその生き方を生涯を通して貫いているのかもしれない。自由で反骨精神旺盛なとでも言えるような生き様を、ぼくは感じてしまう。専門の植物のようにしなやかで、子供のように奔放で、それでいてけして折れ曲がらない。こういう行動派の知識人がこの日本にいたのだと、今さら勉強をはじめてもどうしようもないぼくなのに憧れてしまう。

 「世界的植物学者が『日本の天然林は絶滅の危機』と警告」という記事を見つけた。それは、2年前に札幌で開かれた「日本の天然林をなぜ守らなければならないか」と題した河野氏の講演会からの報告だった。海を隔てた熱帯雨林の破壊は報じられても、日本の天然林の危機的な状況を知る人はまだまだ少ないかもしれない。ぼくもようやく気づいたところで、だから少しでも早くこの情報が広がって欲しいと思う。

 講演の記事を要約すると、日本の森林には氷河期前の第三紀に起源を持つ固有の植物が豊富に生育している。日本と北米大陸に広く分布していたのが氷河期に分断されたものと考えられている。大陸で発達した氷河は植物群を東部に追いやり、氷河の影響が少なかった日本列島では、第三紀起源の多数の植物が生き延びることとなったそうだ。

 なんと壮大な話だろうか。豊かな日本の緑は、何百万年という気の遠くなるような時間が育んできたものなのだ。それを昨日や今日生まれた人間が、先の見通しも考えずに破壊しつづけている。

 記事にはこんな興味深いものもあった。
 
 遺伝子の研究から、ブナ林は様々な遺伝子型の個体によって構成されていることが分かってきた。 親木の周辺に子どものブナが集中しているのだ。同じように見える木々なのに、別個の系図を作っていたなんてちょっと驚きだ。けれど、これが問題になる。ブナの集団が大きいと遺伝子型も多様だが、小さな集団になってしまうと親木の個体数が減り、多様性が失われてしまう。つまりは小さくなったブナ林では絶滅する確率が高くなるそうだ。


 ぼくはまだ現場を見たことはないけれど、林野庁はその天然林の中で親木を伐採し、重機で表土を剥ぎ取っているそうだ。だれにも見えないからと、縦横無尽なんだろうか。

 「日本の天然林を救う全国連絡会議」のサイトから紹介すると、1950年代に日本の森林面積の38%ほどを占めていた原生的森林は、2002年には11%にまで減少している。たった50年の間に、何百万年が消えていった。戦後復興期の木材需要を賄おうと奥山を代表するブナの森を、林野庁は「ブナ退治」と称して大規模に伐採してしまう。天然林が生い茂る奥山のことを、「利用不能林」と称したそうだ。代わりに針葉樹を植林し造林を拡大していったが、木材輸入自由化による価格の下落などから目算がはずれ、独立採算制の国有林野事業は膨大な借金を抱えてしまった。そのやりくりのために、今なお大量の樹木を伐採するという悪循環に陥っている。

 かたや絶滅危惧種を守れなどと声高に叫ぶ人間達は、一方で自然界の多様性を無視するかのように奥山を破壊しつづけている。どうしたものだろうかと、天の神は困り果てているだろうか。人間を二分することなどないけれど、ぼくはどちらの人間になろう。とりあえず、あまり時間がないので、心が向く方に動くことにした。

 「国有林内の天然林を環境省に移管し保全する改革に関する請願書」の署名を集めてみようと思う。林野庁にはもう任せておけない。環境省ならそれが一挙に解決するのか。今のぼくにはよくわからない。でも、今のままではどうにも具合が悪すぎる。日本の緑を、ずっとずっと残したい。いつかまた氷河期がやってくるまで。

 請願書署名用紙は、「日本の天然林を救う全国連絡会議」のホームページにPDFファイルで収められているほか、希望すれば下記の事務局が送ってくれるそうだ。署名は8月いっぱい受け付けている。

 事務局
 〒967-0004 福島県南会津郡南会津町田島字後原甲3432 
 TEL: 0241−62−2674、FAX: 0241−62−2688
 長沼勲、渡部康人






| 12:47 | 原初の森 | comments(2) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
国立公園の舞台裏
 Jan Jan News というものがあった。「市民の市民による市民のためのメディア」とリンカーンの演説をもじって形容している。もっともこの一節の出典はほかにあって、リンカーン自身もそれを引用しているようだ。そんなことはどうでもいいのだった。個人が発するニュースには感情が入りこんだりすることもあって読む側にもそれなりの見識が求めらるかもしれないが、それは何を読んでも同じことだろう。それよりもここには、マスメディアからの情報には乏しい真実味があるような気がした。

 「国立公園の皆伐で問われる林野庁・環境省の姿勢」という記事がすぐに目に飛び込んできた。どうやら人のアンテナは、意識が向いている方向からの情報をうまくキャッチするようにできているようだ。記事は、北海道の国立公園内の実情を見た松田まゆみさんという道内の自然保護協会のメンバーが書いたものだった。リンクしている過去のものまで読んでいくと、北海道の奥山で今なにが起こっているのかが見えてきた。

 白峰村で生まれ育ち子供のころから狩猟に同行したという方の話を思い出す。国立公園の白山にある陰の話だ。「一般の登山客が歩くルートからは見えない部分じゃひどいもんだ。森はズタズタに切り開かれて、無惨な姿」なんだそうだ。北海道のこの記事を読まなかったら、忘れ去ってしまう話だったかもしれない。クマの棲む奥山を守るということの意味が少しずつ自分のこととして感じられるようになってきた。


 記事から記事へ、リンクからリンクへ。これがネットサーフィンか。初めての経験だったが、理解が深まるのが面白くて読み進めていった。自然保護、エコロジスト、温暖化など、関係する話題の中で盛んに意見を闘わせているものもあった。批判するもの、賛同というより著名人に同調するといったもの、美しくない言葉で罵倒するようなもの、ここまでくると気が滅入ってきた。ネット上で互いの主義主張を張り合うことに、いったいどれほどの意味があるんだろう。相手の話を理解しようとするとき、画面に並ぶ定型のフォントだけが頼りの道具なのでは、すこし無理はないだろうか。やりとりする言葉は、聞こえてこそ気持ちが通じ理解が深まるような気がする。

 どんな事柄にも反論する人はいるものだが、ぼくは意見を闘わそうとは思わない。少なくとも、ネット上では。正しいとか間違っているとか、賛成だ反対だとか、ぼくの興味はそういうところにはないようだ。感じるままに書いていることは、自分がいま在りたいと思う姿の表れだ。クマが生き延びることと自然を守ることは同じことで、それがそのまま人の暮らしや社会の健全な維持につながるのだという自然保護の考え方に賛同する、というのとは少しちがう。ぼくはそれを生きたいだけだ。正しいから、ではなく、そうして生きる方がきっと気持ちいいからだ。

 気持ちがいいという生き方は、ぼくの場合なら、人間だけよりも他のすべての生き物も同じように気持ちよくいてもらいたいと思う。道義的、人道的という意味でなく、もっと素直に、同じように生きている地球の仲間としてだ。人間の中にもいろいろあって、ぼくの嫌いなタイプもわんさかといる。けれど、動物を好き嫌いでタイプ分けする気にはなれない。彼らはなにひとつ主張せず、それぞれの世界を全うしているだけだ。だから、だろうか。奥山に棲むクマの世界を守ってやりたい。筆頭にあげられるクマの世界が成り立つとき、森のすべての生き物が気持ちいいということだろうから。

 ネットサーフィンの果てに辿り着いたサイトがある。「日本の天然林を救う全国連絡会議」。事態は急を要しているようだ。




| 21:55 | 原初の森 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
クマと森と人
 山小屋にいる間に、『クマともりとひと』を読んだ。これは日本熊森協会という自然保護団体の小冊子で、去年ケーナ奏者の八木倫明さんから送っていただいたものだ。興味があると言ってお願いしながら、今日まで放っておくなんてまったくいい加減なやつだ、ぼくという人間は。それでも読むにはうってつけの環境だろうと思った。

 クマは今、大変なことになっている。いや、クマだけで済む話ではなかった。クマが棲む森が荒廃していくとき、大地や海が育たなくなり、やがてはすべてが、つまり人間も含めた日本のすべての生き物が滅んでしまうのだと、冊子は警告していた。自然界の大きな流れで見ようとすれば、たとえそうなっても国土も地球もビクともしないだろう。何万、何十万年後かは知らないけれど、新しい環境にふさわしい新しい生命が誕生することもあるのだろう。そんなやるせない夢物語を想像しながら読み進めた。けれども問題は、今この瞬間に起きているこの地上のことだった。ぼくのように夢ばかり見ながらのんきに構えていていいものだろうか。

 日本熊森協会の歩みは1992年、兵庫県の公立中学校1年生の理科の授業からはじまった。生徒たちと絶滅寸前のツキノワグマの保護に立ち上がったことが、97年の設立につながり、欧米並みの一般市民による100万人規模の拡大を目指している。会長は当時の教師の森山まり子さん。

 冊子の中で、みっつのことが気にかかった。

 一つは、「クマは本来、森の奥にひとりでひっそりと棲んでおり、見かけと正反対で大変臆病。99%ベジタリアンで、肉食を1%するといっても昆虫やサワガニぐらい。人を襲う習性など全くないという」こと。

 一つは、森山さんが「熊森」と名づけたクマの棲む原生林に実際に入っての報告だった。「クマが通る大きなけもの道は森に風を引き込み、習性として高い木の枝を折りながら木の実を食べていくので、森に光を入れていきます」。まるで植木屋さんが入ったように大きな空間でいっぱいの森には、樹木や下草が種々雑多に生え、保水力に優れ、清らかな水のしずくが滴り落ちて、岩まで苔むす絵のように美しい風景だったそうだ。


 そして最後は、生徒と共に当時の環境庁に訴えた際の、係官の返答の一部だ。「国土には人間が住める定員というものがあります。それを越えたときから、その国は自然を食いつぶして絶滅に向かう」。そして日本列島の人間の定員は、「江戸時代並の質素な暮らし(エネルギー消費量が今の100分の1)をして、3000万人」だそうだ。「この国はもう滅びに向かっている」。

 冊子を閉じて、山小屋の前に広がる向いの山並を見渡した。谿川の流れに沿って遡れば、やがてはクマたちの棲む美しい奥山へと辿り着くだろうか。冬眠から目覚めたクマたちが、のしのしと動き出しているんだろうか。こうして人間がその山に入ってきた。山小屋の友人が言っていた。「この奥になんのためかは知らないけど、2車線のきれいな舗装道路があるんだ」と。人工林を作り、人間が管理しようとした森は経済効率の悪化とともに打ち捨てられ、暗く荒んでいった。死んだような森にクマはもう棲めない。それより小さな生き物たちもまた同じ運命をたどるのだろう。棲めなくなって里山に下りてきたクマは有害駆除を名目に撃ち殺される。まるで山も森も、ひとり人間のためにあるような振る舞いだ。そうすることで人間自身が滅びていくかもしれないと言うのに。

 山はいいなあ、などと言いながら青空に両手を広げ背伸びしたぼくの心の中は、実はとても複雑だった。ぼくのようなこんないい加減なやつがいるから、クマや森は、困っているのだ。さてと、嫌なことを知ってしまったものだ。ぼくはこの先どうするのだ。

 当時の中学生のひとりが言ったそうだ。

 「先生、おとなって、ほんまはぼくら子供に愛情なんかないんと違うかな。自然も資源もみんな、自分たちの代で使い果たして、ぼくらに何も置いとこうとしてくれへんな」。


日本熊森協会




| 15:11 | 原初の森 | comments(3) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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