kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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誠心





 写真の神様がきっといるんだろう。これは、その神様が戯れで起こしている奇跡のひとつにちがいない。ただ写真家に憧れているだけのマスノマサヒロの写真がこれで三たび、『風の旅人』に掲載されることになった。『風の旅人』は知る人ぞ知る、編集長の佐伯剛さんが全霊を傾けて世に問いつづける希有な雑誌だ。毎号一流の写真家や新進気鋭の若手写真家の作品が並んでいる。そのどれもが長い年月をかけ、熱く、けれどもの静かに念と情熱を傾けた秀作ばかりだ。それぞれに気高き気風を感じる作品群が編集統合された一冊から、凝縮され昇華した誠心が立ち上がる。

 『風の旅人』の存在を知ったのはもう十年以上も前になる。だがあの時、その前を素通りしてしまった。人にはやはり時期というものがあるのだろう。何かに飢え出したとき、その時期がやって来る。

 マスノマサヒロはとても中途半端な人間だ。心血を注ぐような、狂っているのかと言われるほどに、生涯をかけて何かに打ち込むということがない。その素振りを見せている程度なら何度でもあるけれど、何度もあるということは、つまりはそこそこのところでいつも終わっているということだ。満足したわけではない。完成したわけでもない。なぜか次々とやって来るものに、気を惹かれ、打ち込んでみる風を装っている。

 「のと」「生の霊(いのち)」「福島の子どもたちから」。これが作品だと言うつもりはないけれど、この三つが『風の旅人』に拾われ、そのおかげで予期せぬまさに夢だと思える道に足を踏み入れている。いつも目の前に現れる事態に戸惑い、ただ逃げ出さないという選択をしただけだった。これがマスノならではの道なんだろうと、信じて疑わず。

 もしかすると、否、たぶんそうなのだが、『風の旅人』以上に佐伯さんの生き方や放つ言葉に大きな影響を受けている。ほとんど妄信しているようなものだと自分でもおかしくなる。人が生きる上で大切なものをひとつ上げるなら、誠心だと思う。誠心誠意とは、まごころをもって行うことだ。まごころは真心でもある。いったい何に対しての誠心か。生きることそれじたいに対してだろう。『風の旅人』にはそれがこれでもかというほどに詰まっている。ページを開く度にこの胸を突き刺すものこそ、その誠心にちがいない。開かずともそばに置いておくだけで、常に誠心が問いかけてくる。『風の旅人』の、佐伯さんの、写真家たちの、さらには後を追う己の誠心が。

 あと何年残っているだろうかと、余命を想うことがある。だが余命とは生き長らえる時間のことばかりではない。むしろ生きてあることの質を問うことだ。その質は、この世の生で終わるものでは決してなくて、消えたあとにこそ想い想われる、関係のことでもある。死ねばだれでも想われると思ったらお間違いだ。質こそが、命だ。「生の霊」を撮る体験をして、その意味を見出した。

 一家の大黒柱を喪った娘と孫娘の生活を半年近く共にして、人は渡らなければならない哀しみの大河の深さを、おそらく自分で決めるのだろうと思った。

 夫を亡くして何日も経たない頃、娘がふたり並んだ壁の写真を外したことがある。聞けば、一日でも早く忘れて立ち直らなければならないのだと言う。微笑んでいるウェディングドレスの女と、はにかんだ優しい男の、わずか四年ばかり前の写真だった。娘はまだ哀しみ方さえ知らなかった。いいんだよ、立ち直らなくても。いつまでも気が済むまで、悲しんでいいんだよ。あれからまだ二年と九ヶ月か。十分に悲しんだだろうか。このごろようやく、たまに話しかけてきたりする。悲しみを重ねて人は哀しみの何たるかに近づいて行く。命という質を深めながら。今は亡き婿殿が変わらずにそう教えてくれる。

 福島の子どもたちと出会い、まるで昔からの知り合いのようにしてまた出会いを重ねていると、彼らのおかげでこうして生きていられるのだと思ったりする。人には、生きるための誠心が必要なのだ。富や地位や権力、名誉、その程度のもので得られる充足感があるのだとしても、それらは生きる質とはなんら関係がない。誠心とは人と人の間(あわい)にあり、だれひとり所有することができない、誠心そのもののことだ。この世は誠心で出来ている。それに気づいて近づくことが、生きるということだ。

 などと考えるようになったのは、やはり『風の旅人』に出会い、自分にとっての写真とはと、真剣に向き合うようになったからだろう。余命をどう生きるのかと向き合わないままでは、おそらく撮ることは決して叶わないのだ。その気持ちに沿う形で、マスノは対象に出会うのだろう。写真の神様の粋なはからいと思うことにしよう。




・『風の旅人』復刊第二号
・ Masahro Masuno





























| 11:34 | 写真 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
福島の子どもたち


     ユースケ
 

 福島の子どもたち。そんな括りで考えなければならない事態になった今、個人的なつながりを持ってしまったほんの一握りの彼らのことがますます忘れられなくなっている。少しずつ家族の関係に近づいている、と言ったら大袈裟だろうか。孫の世代の子どもたちと共に、未来へと歩き出した実感がある。

 まさかこんなふうに福島の子どもたちとふれあうことになろうとは夢ならまだしも、現実になるとは思っていなかった。まだ夏と冬のたかだか二回の保養プログラムを開いたに過ぎないけれど、大勢の心ある仲間が寄り添い一緒に生活するキャンプは、本当にそうする心がなければ決して実現しないものだった。被ばくを逃れて一時的な保養に出る事にどれほどの効果があるのか、本当には誰もわかってはいないだろう。しかも将来に何事もないことが効果だとしたら、それは決して見える形では表れないのだ。その場に集う仲間たちは、効果というより、共に生きることを望んでいるのだ、きっと。

 福島の子どもたちの瞳に見つめられると、おかしな話だがこのジジイの胸はキュンとなる。初対面だと恥ずかしくて声を掛けるのにもいくらか勇気がいるほどだ。出会うはずのなかった彼らとの出会いに、不思議な縁を感じている。その縁は、仲間と立ち上げた「ふくしま・かなざわキッズ交流実行委員会」の代表としてのものであり、あともうひとつ、一写真家として見つめる機会にも育っている。

 婿が逝ってしまったあのときの、遺された娘と孫娘を撮った半年あまりの経験が、写真家としてのまなざしを持っていることに気づかせてくれた。撮らねばならない、撮ること以外に自分に出来ることはないのだと、あの日々の片時も忘れることはなかった。マスノマサヒロ以外では撮れない場があることを知った。撮るということは、個人的な表現に向けての衝動などでは決してなかった。大いなる刺激を受けた『風の旅人』編集長の佐伯剛さんが言われる“ならではの関係”が生まれそれを感じたときに、はじめて撮るという意思が生まれる。もはやそれは必然としか言いようがない。その必然を経験してみると、もう二度と、同じような場でこのまなざしを活かす機会は訪れないかも知れない、と感じていた。

 なのに、出会ってしまった福島の子どもたちの未来の声が聞こえる。彼らの未来の姿が浮かんでくる。それは具体的なものではないけれど、感じられる。この先何度出会う機会が訪れるだろう。その度ごとに近寄り寄り添い見つめたい、未来を。撮り残そう、未来へ。



































| 09:11 | 写真 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
肖像写真
 




 二日間を過ごした滋賀への小さな旅を簡単なひと言で表すことができないのは、若者たちが新居とする柏原宿の自宅でのひとときがあったからだろう。二人は夫の両親を見守りながら住んでいた。親を見守るなどと、人生の大先輩に対して使うにはいくらか躊躇するが、老いて行くばかりの姿は本当にそっと見守っているしか手がないだろう。

 その方の目に圧倒された。優しい、しかも深い、それでいて子どものように透明感がある。やんわりと知らないうちに突き指してくるような不思議なまなざしだ。半身不随でベッドから起き上がるか横になるだけでも大儀そうだが、前日のご子息らの結婚式では、支えられよぼよぼと移動する姿がまるでこの場の主役のような存在感を放っていた。大病を患ってもいるそうだ。淡々と身の周りの一日が過ぎて行くのだろうか。「昨日はお疲れだったでしょう」と問いかけると、「まあ、こんな身体じゃ、疲れたのかそうでもないのか、よくわからない」と、寂しげに、否、涼しげにだろうか、答えてくださった。

 何とお呼びしようかと一瞬迷ったが、「おとうさんの写真を撮らせていただけませんか」と尋ねてみた。昨夜若い二人と飲んで話し込んでいるうちに思いついたことだった。この頃、老いて行く人の重ねてきた時間に思いを寄せたくなる。自分もまた老い始めているからだろうか。生きて来た、歴史とも言える日々の味が意識せずとも滲み出している。目がそれを感じさせてくれる。

 不思議なことがあるものだ。レンズを見つめた老人に、内から立ち上がるような力を感じた。目に三代目としての職人の魂が宿っている、気がした。恐いくらいだ。一瞬たじろいだ。ファインダーから離れ、この目で向き合った。なぜだろう、力を感じない。レンズを通してしか見えないものがあるんだろうか。

 カメラを介して向き合ったのは、ほんの数分のことだった。撮らせて欲しいと申し出ながら、あまりに短い時間に自分で呆れた。けれども、どうしようもなかったのだ。人に向き合う器では、まだまだないのだろう。

 撮影を終えると、昔話を少し聞かせてくださった。船乗りになるために家出をしようとした晩、それを察した母親が玄関先に立ち、拝むように懇願して止めたという。人生最大の岐路だったのだ。おとうさんの目に涙が浮かび、急にまた力ない老人になってしまった。だが積み重ねてきたものは今も崩れずにここにある。人の生涯は、その晩年でこそ味わえるものがあるようだ。そのとき、傍で見守る次代の人へと、見えない宝物を差し出している。

 残された時間の枠を使って、これからは遺影写真を撮ろうと思う。死を背にした生、死と共にある生の、其処にしかない姿を、向き合う人との共同作業で遺してみたい。なるべくなら、生きている実感を互いに手にしながら。


































| 13:37 | 写真 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
サンカーラ





 明日の結婚式の撮影に出かける前に、どうしても読み終えたいと思った。田口ランディ『サンカーラ この世の断片をたぐり寄せて』。一日で読み切ってしまったのは、もしかするとこれが初めてのことかも知れない。直観のようなものだった。明日の出会いに必要なことが書いてあるのだと。

 作家の思考の深さにはとても叶わないけれど、この凡夫にも年齢相応の思いに見合う出会いが訪れ、そこからさらに深めたい道が見えてくるようだ。

 サンカーラとはこの世の諸行を意味しているそうだ。生まれ落ちて死ぬまでに出会うありとあらゆるもの。まさにどれもが断片として人生のあちこちに散乱している。思い出というぬくもりも、今でも胸が痛む哀しみも、振り返ればまるで小山のように積み上がっている。けれどその何百何千倍もの諸行が過ぎ行き、忘れ去っているのだろう。サンカーラか…、なんとも軽快な響きを感じる、空っぽだ、否、浮かんでいる、どっちだ、まったく。

 なぜ結婚式の前に読んでおきたいと思ったんだろう。新郎新婦の若者は初めてお会いする二人だった。『風の旅人』に掲載された「生の霊(いのち)」の写真と文章に出会い、ぜひこの人に撮ってもらいたいと感じたそうだ。二人が大切にしたい一日の写真を撮るに相応しい力があるとはとても思えなかったが、「儀式の意味を考える一日にもしたいのです」と言われて引き下がるわけには行かなかった。真摯で誠実な方々なのだ、誠をかき集めて出会うしかないと心に決めた。

 式は琵琶湖西岸の日吉大社で行われた。紅葉がほどよく色づいていた。肌寒い。雨に濡れた境内を歩きながら、その場の雰囲気に馴染もうと努めた。花嫁ばかりか、撮るためには写真家にもそれなりの支度がいる。服装は久しぶりのうさとの服にした。タイで染め織られて縫われた服が神前に似合うような気がした。撮影のあと新婦がささやいてくれた、「マスノさんはたたずまいがいいですよね」。服のおかげだったにちがいない。目立たずに場に馴染むことが、いくらかはできていたようだ。それが撮るコツのひとつだと思っている。二人を思う気持ちの表れにもしたかった。

 新婦の父は半身不随で、ほんの一二歩移動するにもかなり苦労をされていた。周りの誰もが注意を払っていた。息子の晴れ姿を焼き付けるかのように、濁りなく透き通る瞳の方だった。十三歳から稼業の建具屋の三代目としての人生を歩かれたそうだ。「父は船乗りになりたかったんです」と、式の翌日新郎が教えてくれた。

 二人に誘われるまま、中山道は柏原宿の街道沿いにある自宅に泊めてもらったのだ。いつごろまで営んでいたんだろうか、建具屋の名残りを感じるたたずまいに包まれ、夜遅くまで酌み交わし話し込んだ。新婦は『風の旅人』の佐伯編集長と対談したこともある表現者。絵を描く上でのいろいろな話をしてくれた。二人して写真の話を真剣に聞いてくれた。この世の諸行無常が、近ごろはまるで怒濤のように流れ去って行くけれど、向き合い感じているもののなんと静かにゆったりと流れていることだろう。間(あはひ)に漂う豊かな何かが、手に取るように感じられた。

 翌日の午後、三人で近所を散歩した。通りかかった廃屋が気に入り、崩れかけたその土壁を背に日常の二人を撮りたくなった。なんともいい味の二人だ。こんな若者でいたかったと、今さら後悔しても始まらないが、羨ましいばかりに実に美しいたたずまいの二人だった。

 写真を撮るとは、作業的にはほんの一瞬の出来事だったりする。時間をかけて緻密なまでに見つめる絵画と決定的に違う点でもあるだろう。だが、だからこそ諸行を捉えるにはうってつけの手段にもなりそうだ。そして、これこそが大切なのだと感じたことが、二人と過ごした二日間にいくつも生まれた。そのひとつ、深く撮るためにはそれなりの支度をしなければならない。時間をかけて見つめ続けてこそ撮れるものがある。撮る一瞬に辿り着くための過程が、写真にもあるのだ。まるで描く人のように、裏も表も見つめるがよし。

 “晴れ”の日は、“け”があればこそ。“け”にこそ隠れている愛しいものを、捉え切る人になれるか。サンカーラ、日常の宝物。



































| 15:46 | 写真 | comments(2) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
悩ましい日々の糧

砂の紋様 2012 珠洲鉢ヶ崎にて


 あれからもう、四年になる。『風の旅人』に出合い、そのホームページ上で編集長の佐伯さんと何度か言葉を交わした。否、教えを乞うた。三十年あまりも撮り続けながら、あのとき初めて写真が持つ奥深さを感じた。それでいよいよ能登を撮りはじめる気になった。能登には何度も取材で出かけ、人や風景を撮り、横で話も聞いたりしていたが、いつも表面的な描写で済ませていたようだ。つまりは肉薄する意思も意識もなかった。地方の媒体の取材なんて、その程度で十分だった。だが今ならそれがあるとでも言うのだろうか。サイトに残されている文章を改めて読んでみると、佐伯さんの言葉がとてもよく理解できる。いくらかでも成長したんだろうが、理解できるようになった分だけ、深まっていない自分がより明確に見えてくる。

 写真を撮ることで、自分が生きることとしたい。その思いは昔から変わらずにある。撮る対象に向き合うまなざしはでも、深まっているだろうか。その何を撮るつもりなのか、わきまえているだろうか。とてもイエスとは言えない。

 たとえば、人間の価値をどこに置いているか。それを写真ではなく、言葉にすることができるか。写真には言葉は無用だ、などという写真家もいるだろうが、そういう方はおそらく伝えるべき己の言葉を持っていないのかも知れない。見て感じてもらえたことがあなたへのメッセージ、などと聞くと、荒涼とした砂漠を思い浮かべて寒気がする。無味乾燥した内面は、わかりやすい簡単な言葉で武装するしかないだろう。ずっとそうだったから、よくわかる。言葉を紡ぐためには、対象に静かに肉薄するまなざしが不可欠だ。その意識がなくては、撮ったところで世界のなにがどう変わるものでもないだろう。

 被災地に出かけようと何度も思った。大津波に襲われた直後のあの三月に一度気仙沼などを訪ねただけで、結局はそれ以上のことができないでいるのは、その力がないことを知っていたからだろう。まなざしの力、読み取る力、感じる力、受容する力、そしてその場に共にいる力。それらが決定的に欠けている。

 ボランティアとして駆けつけることもせず、ましてや撮ることもしないで思い悩む日々は、それでもそれなりに価値があった。今は悩ましい時なのであって、白黒を選り分けるようなわかりやすく単純な時代ではないだろう。悩ましい者だからこそ、悩ましい時代を見つめることができる。そのまなざしで撮るつもりなら、案外可能なことだろう。

 表現する者にとっての言葉の話だった。悩ましい者はこうして思い悩んだままにこぼれる言葉を大事にすればいい。意識の奥深くにある見えないものに、そうして少しづつでも近づければいい。すべては撮るために、撮ることで生きるために。

 などと言葉に任せて並べてみると、うすっぺらな自分の内面に残ったあの哀しみがまた蘇ってくる。なんというこの四年の日々。まるで撮ることのために、すべての出合いと別れが用意されていたかのようだ。見えるものしか撮れないけれど、思い出やら記憶やら、見えないものが束になって支えてくれている。どうやらこれもひとつの力になるようだ。







































| 17:03 | 写真 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
空き缶の声
 


2011 近所の里山にて



 偉大な孤高の写真家、石元泰博さんが亡くなられた。あまりに遠い雲の上の存在なのに、心の真ん中に空いたこの小さな穴は何だろうか。氏と同じ写真の世界で表現できることを最近になってようやく幸せなことだと思えるようになっていたのに、なんだか知らないが、空いた穴から空気が抜けてしぼんで行くものがある。実力には月とスッポン、天と地ほどに開きがあるのだから、そうまで特別な思いを抱くこともないだろうに、不思議なものだ、お会いしたことなどもちろんないけれど、ほんの少しでも同じ時代の空気を吸えたことを、たとえどんなにしぼんでも、いつまでも大切に感じ続けることができる気がする。

 生涯に一度でいいから載ってみたいと思った『風の旅人』の43号で、あろうことか、そのまさかの夢がかなった。マスノマサヒロ「生の霊」は自分でも驚くほどに印象深い、これが初めてとも言える作品になったが、掲載後になんらかの成果が残ったとしても、それはおそらく撮った者の実力ではないだろう。突然の哀しみが家族を襲った。その事態に、その関係の中に、見えないけれどすべてを動かす大きな力がはたらいていたことを今さらながらに感じている。

 「人や地球を見つめる日本発の本格的グラフ文化誌」との序詞を持つ『風の旅人』は、独自の世界で深い境地へと掘り下げる一流の写真家たちと有望な若手が絶妙に配置された希有な雑誌だ。目覚めたばかりの中途半端な写真家もどきがその場に交われたことは奇跡の中の奇跡だった。しかもその号で石元泰博「色とそら〜あはひ〜」と同席するという幸運に恵まれた。発行の三ヶ月前に東日本を襲ったあの大震災、巨大津波、そして世界を震撼させている原発事故と深くどこかでつながっているように、43号は「空即是色」をテーマとしていた。見えない大きな力は、おそらくあらゆる場面ではたらいている、そうとしか思えない。

 何かがひとつでも欠けていたら、世界は決して今のようではあり得ない。己の変化ひとつとっても同じことが言えるだろう。写真に出合った小さき者が、人生の残りを意識する頃になって希有な雑誌に出合い、縁などないと思っていた偉大な先達の作品さえも心の間近で見つめるようになった。それだけで世界に何らかの役割を果たせるわけでもないけれど、この変わりゆく流れを見逃さず、感じ続けるしかない。

 十数年も前、道端でぺちゃんこにひしゃげた空き缶を何個も撮っていた頃がある。ただただ、気ままだった。なんとなく気になるから撮っていただけ、さらに何かを深めようという気などさらさらなく、出来上がったプリントをながめて自己満足しているだけだった。

 石元泰博が撮った空き缶は、なんであんなにもの言いたげなんだろう。何かが迫って来る、息苦しくなるほどだ。

 氏があるインタビューで応えている。

 「変わっていくもの、定かでないものが撮りたいんです。缶も、木の葉も、雲も水も、人間も、今撮っているこのシリーズは、うつり行くもの変わり行くものをじっくり見つめたい思いが、私に撮らさせるんですね」。

 あるいは別のところで、
 
 「……この結果生まれる写真は偶然の結果といおうか、あるいは当然そうなるべきであったといおうか……」

 何もかもがひとときとして同じでないことを、激動の時代を生き抜いた写真家は痛いほどに感じておられたのかも知れない。ある固い意思を持ちながら、しかもその枠に囚われない。氏の空き缶を今また見て、そんな言葉が浮かんできた。ありがたい。これで小さき者でも、氏の足下で死ぬまで撮り続けることができる。でも、数ある名作がひしめく中で、なぜ空き缶なんだろう。

 ……ある日、ある所……
 すべてのものは生きている。
 その刻々と生きる生命を記録し、彼らとともに、
 小さな声をあげたい……    
                 (石元泰博)

                              
合掌




参照 『YASUHIRO ISHIMOTO』高知県立美術館、『石元泰博 ― 写真という思考』(森山明子著)
































| 12:44 | 写真 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
写真家の条件





 「撮る対象が写っているというよりか、自分がいいかげんにやれば自分も写らないということを思うんです。一生懸命やれば、そこに必ず自分がいる。対象ではなくて、そこに自分が写っているんです。自分に返ってくる。だから、本当にこわいことです」(森山明子『石元泰博 ― 写真という思考』より)

 石元泰博のこの言葉の真意には、よく言われる「写真には自分が写ってしまう」という安直な言葉など瞬時に吹き飛んでしまう、写真に対する畏怖にも似た感慨が含まれているだろう。対象はおろか今のお前では自分など決して写らないぞと警鐘を鳴らしてくれたのだ、と感じている。

 この頃近所の里山を歩きながら、撮る場合の見つめるとはどういうことなのか、そればかり考えている。たとえば雪上に残る動物たちの足跡をじっと見つめてみる。雪の一片さえも逃さないで目を凝らしていると、ある瞬間、見つめているはずの自分というものが消え失せていることに気づいた。自分の感情、想像、思考から離れ、言葉や概念というものから遠ざかっていた。代わりに対象の足跡が単なる風景のひとつで終わらず、鮮やかに浮かび上がってきた。見える世界の生をイキイキと感じている、というように。

 などと言葉にしてしまうと、どうにもウソっぽい。それもこの感覚はほんのしばらくのことだった。それでも確信に近いものが今も残っている。一生懸命見つめ続ければ、限りなく対象に近づくことができる。絵を描く場合に限らず写真を撮ろうと思えば、自分という存在が消えてしまうほどに見つめること以外道はないのだろう。そのことを「自分に返ってくる」と、石元泰博は言っているのではないのか。

 写真とは、とても不思議なものだ。十分に見つめ(そのつもりになって)、鮮やかに目に映り出した風景を切り取り、一枚、多くても二枚だけ慎重に撮り、やおら対象から立ち去る。その時、妙な心残りを感じている。時間にすればその場に佇んでいたのはわずか数分に過ぎない。それで見つめる行為を終わらせていいものかと、思わないではいられなくなる。ほとんどが瞬間で終わってしまう撮るという行為を成すために、徹底して見つめること以外にも、まだ大切なものがいくつかあるのだろう。対象が発する何ものかと瞬時に呼応する眼力、鋭い野生の直観、またはこの身体の深奥で脈打っている生エネルギーの爆発的な発露と交換。

 石元泰博は、「ある日ある所にいる自由」が写真家の条件だと考えていた(前掲書)。どういう意味だろうか。ある日ある所に自分という存在を置き、自分というまなざしが対象と向き合う。この凡夫では到底及ばない領域で対象との交換が営まれているのだろう。「ある日ある所にいる自由」とは、どこにいるのも自由だという勝手気ままなものでなく、どこにあっても己の態度如何で深みに入って行けるという自由なのだ。逆説的に言えば、撮るためには当然ある日ある所に存在していなければならない。そして与えられた目の機能以上の眼力で見つめ抜き、自らの意思で定着しなければならない。そうでないなら、もはや写真家ではあり得ない。「本当にこわいことです」。

































| 13:08 | 写真 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
memo 視点




これまで何度か個展を開いて、素敵な写真ですね、なんて言われて、自分の写真ってこんなものだろうと思っていたのに、いよいよこれから人生の終盤に向かって行こうという時になって、ガラリと視点が変わってきた。これまでは、視点という言葉の意味さえわからなかったのに。

白山の峰峰を歩いていると、当然のように大自然が作り出す壮大で繊細な美に出会う。でも、それを写真に撮りこれが作品だ、などという気持ちはひとつもなかった。自然じたいが作家で、ぼくはそれをコピーし町に出前するおか持ちだ、ぐらいに思い公言していた。写真が美しいのではなく、自然が美しい。

よく「撮らされている」などと自分の存在を形容する人がいるが、とてもそんな気にはなれない。ふるさとの霊峰白山で遊ばせてもらっている、という程度の自分だと知っているから。無限に広がる宇宙空間は想像するしかないけれど、目の前の山並みを見ているだけでも、十分に無限を感じることができた。

白山を歩き数々の美に出会い撮りながら、遊ばせてもらっている者は、だから視点というものは持ち合わせていなかった。それを十年以上も続けていれば、誰だって飽きがくるかもしれない。そんな時に出会った『風の旅人』。「世界には多彩な見え方がある」なら、己の見方、見え方を持ちたいと思った。

視点は、押せば写る写真を撮っているからと言って、持ち合わせているとは限らない。否、ほとんどの撮影者には視点などないのではと思うくらいだ。その筆頭に自分がいる。視点は、単なる小さな点ではないだろう。広大無辺な世界を見渡しながら、それを捕らえ切れないもどかしさに足掻きもし、その上で、

初めて視点が欲しくなる。世界全体はあまりにどでかくて、ちっともわからないからこそ視点が必要になる。小さな自分が関わる小さな世界だとしても、深く関わるなら見えてくるものがないだろうか。それがひとつの視点に育たないだろうか。育てば世界が見えてこないだろうか、などと考えている。

白山には、冬は登ったことがない。山登りの素人を簡単には受け付けてはくれない。視点を育てたいと思いながら、決定的に欠落している部分がそこにある。欠けているのだ、この目は、この感受性は。せめてそのことだけは忘れないでいたい。自分には欠陥がある。

欠けていることを知っているから、自信など当然ない。自信がないからいつも不安で、だからせめてもと写真を撮り続けてきたんだろうが、今は欠けているから少しでもその溝を埋めて行きたいと思う。ありがたいことに世界には豊かな人が大勢いる。そのだれかひとりにでも出会えたとき、視点が育ちはじめる

世界をいま自分はどんなふうに見ているんだろう。見えているんだろう。豊かに人に出会い刺激を受け学んだからといって、それに伴う自分なりの体験がいるだろう。体験を言葉にする努力も必要だろう。それをしないで視点など持てるはずがない。恥をかくことも自分を蔑むことも、みんな体験にしてしまえ。

『風の旅人』と編集長の佐伯さんに出会い、打ちのめされ、数年もかけてようやく立ち上がり、歩きはじめた。今はまだそんなところだ。今日の京都でのトークは、歩きはじめたばかりの記念すべきひとときになる。また打ちのめされるだろう。それでいいじゃないか、世界が少しずつでも見えてくるなら。






























| 07:55 | 写真 | comments(2) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
memo 共同作業



今大黒柱を喪った娘と孫娘を撮り続けながら感じていることは、まさに生きている彼らの生々しい姿を記録しておきたいということに尽きる。けれどこの頃、それだけではなにか大切なものが抜け落ちているような気がしている。本物の写真家にはかなうはずもないけれど、本気で写真に取り組もうと決めたから

撮ることは、個人的には決して目的ではないし、もちろん表現の手段などと簡単に片付けてしまうつもりもない。なぜ撮るのかと突き詰めたことが何度もあるけれど、これだという答えが出た試しがない。それでもなぜ?と問い続けなければ、もはや撮る原動力がなくなってしまう。

家族を撮ると決めると、家族の中にこれまでなかったような新鮮なつながり、と言うか、新しい雰囲気が生まれ出た。撮る者と撮られる者がお互いにその関係を了解すると、なにかを共に作っているという気持ちが芽生えているのかもしれない。大切な家族を喪うという哀しみは深く重いけれど、、、

哀しみこそが、家族の絆を強めた。それがそのまま写真になっていく。ただそれだけのことなんだろうが、それだけのことを三十年あまりも撮り続けながら、いま初めて経験している。写真はシャッターを押せば写ってしまうけれど、カメラを挟んで互いに認め合う関係がなければ写真にはならないだろう。

写真は本当に撮るものか。今はすこし違うものを感じる。撮る撮られるという間(あはい)から生れ出るものなんじゃないだろうか。被写体が人でない場合でも、無機質な物体であったとしても、自然の造形、風景、生物だとしても、まずは関係を築くことが大事なのだ。出会い頭の決定的瞬間など、ウソクサイ

なぜ写真を撮るのかはきっとずっとわからないだろう。でもそんな写真が今を生きる力になっている。撮る者も撮られる者も、家族の今を支えるひとつの力になっている。共同作業なんだ、これは。写真を撮っていると、対象ばかりでなく撮る自分も生きてるんだな、と思うことがある。生もまた共同作業なんだ





























| 09:27 | 写真 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
memo 関係性




祖父がgrandfatherで、曾祖父ときたらそれにまだgreatがつく。great-grandfatherかぁ。老いてゆく親父を見ているとそんな威厳の微塵も感じられないけど、このgrandもgreatもきっと、世代を繋いで展開する人間の営みの壮大さを讃えているような気がする。

婿を喪って以来、それまで当たり前のように感じていた家族に急に目が向きはじめた。どこにでもいる人間の集まりがどこにでもある暮らしをしているだけなのに、その姿を見て感じて撮っていると、個々の存在というより、その関係性にとても興味が湧いてきた。絡み合う人と人の物語。壮大だ。

家族関係は近すぎてこじれると厄介だが、だからこそ人間関係の中でも特別価値があるとも言えそうだ。亡き婿の父親は兄ととても仲が悪い、いや悪かった。仲を取り持っていた息子で甥っ子だった若者の死が、そんな人の関係に変化をもたらした。小さな物語にすぎないけれど、その若者の娘がぼくの孫娘。

婿とのつきあいはほんの数年で終わった。孫娘とそのパパの日々は、たったの二年だった。孫娘を撮り、パパのエピソードを伝えたりすることは、じじいとしての努めだとさえ思う。だれの命にも限りがあって、それでもそんな命と命が紡ぎ出す物語は、まるで永遠かと思えるほどに、深まり広がっていく。

先祖と聞いてもピンと来なかったが、どこかの名家のように系図でもあって、大昔からの先祖のつながりが目の前に表れたなら、どんな気持ちになるだろう。今ここの暮らししか見えていないちっぽけな人間同士に、どんな変化が生まれるだろう。ああ、ため息が出るほどに壮大だなぁ。

平面と思われがちな蜘蛛の巣にも立体的なものがあって、マクロレンズで覗いてみると驚くばかりに複雑。数珠つなぎにくっついている朝露が光ったりすると、それはそれは美しく、恍惚の人となって見とれてしまう。人と人が織りなす関係も、個々でなく、全体を見ると、きっとそんなふうに見とれるのかなぁ

人を撮るというより、人と人の関係に目を向け撮る。いまはそんな気持ちになっている。もしも平凡な家庭の中にも普遍的な要素があるとしたら、個々でなく、個々の関係から生まれ出てくるものの中にあるだろう。その関係の一員としてその場に居ながら、離れてもみる。スリルとサスペンスだな。



京都シネマ・スクリーン・ギャラリー マスノマサヒロの部「家族の時間」
 
 1月29日(土)18:00~20:00 ◆ゲストトーク/『風の旅人』編集長・佐伯剛
  29日のみ参加費1,000円。入場者には「風の旅人」40号(マスノの「のと」掲載誌)を進呈いたします。
 1月30日(日)10:00~12:00 ◆トーク/野寺夕子×マスノマサヒロ

京都シネマ
京都市下京区烏丸通四条下る西側 COCON 烏丸 3F TEL : 075 (353) 4723
アクセス






























| 07:41 | 写真 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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