kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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八朔
 八朔とは、旧暦八月朔日。つまりは今日のことだ。国民の祝日をはさんで四連休、五連休を楽しんでいる人も多いだろうが、月暦を制作している志賀勝さんはその中で祝日のあり方について面白いことを書いている。「朔日や十五日を休みにし、五節供や卯月八日、八朔、中秋名月、十三夜なども休みにする」。これはなかなかに的確な指摘だ。月や太陽の運行に合わせておよそ地上の生命の営みがあるのだから、そのリズムの節目節目にやすらかな休息を取り、自然界を愛でるなら、それこそ地球人としてもっともふさわしいあり方かもしれない。

 そう言えば、先日の皆既日食の折、人々は日食を見たと騒いだものだが、ここでも志賀さんは言っている。あれは日食を見たのではなく、真っ黒な新月を見たのだと。まさに言い得て妙とはこのことだ。月の影で太陽が隠れてしまうことは知っていても、だれも月のことを考えてはいなかっただろう。あれは普段は見えない新月がくっきりと浮かび上がった瞬間だったのだ。そう思うと、ダイヤモンドリングだコロナだと華やかな部分にばかり目を奪われてしまう人間の偏った視点を思わないではいられない。影の部分にこそ、実は大きな働きがあったりもする。



 きょうはこれからお隣の富山県小矢部に出かけて、「月の会加越能」の八朔を祝う会に参加してくる。参加と言っても、頼まれた月の写真を上映するのが目的で、大勢が集う場にはいくらか戸惑いがある。月的生活を提唱している志賀さんも出席されて講演の時間があるようで、氏が言う、本物の文化を作るひとときになる。月と文化には、ぼくもかなり深い関係があるだろうと想像しているけれど、だからと言って集いたいとは思わない、いくらかのへそ曲がりはなかなか治らないようだ。

 上映する写真には「月を愛でる」というタイトルをつけた。ほんとうは人間の方が月に愛でられているのではと思ったりもするが、そうすると、月と人の関係は愛だということになる。いいなあ、これ。自分で考えておいていまさら感心しているんだから、もしかすると新月の月が、見えないことをいいことに笑い転げているかもしれない。

 

 



 
| 12:23 | 月的生活 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
初詣
 己丑(つちのとうし)の元旦の朝がめぐってきた。朝の来ない夜はないのだからふしぎなことでもないけれど、当たり前のことでもないだろう。

 日付の変わる時刻に、ことしもヨシエどんを誘って白山さんに初詣に出かけた。西暦の正月には詣らないぼくたちだから、せめて月暦の元旦には神に手を合わせようと去年からはじめ、習慣にしようと思っている。水気を含んだ重たい雪が闇の空から降りてくる。「でもそんなに寒くないね」。どちらからともなく交わす会話に、普段とは少しちがう雰囲気が感じられる。誰もいない深夜のお宮さんには、言葉にならない、いや言葉にしたくない雰囲気がある。表参道に入る一の鳥居で立ち止まり頭を下げた。先にどんどん歩いていたヨシエどんも、それに気づいて深々とお辞儀をした。

 何段あるんだろう。長い階段の参道には何人もの踏み跡が残ったすこし汚れた雪が積もっていた。歩きにくい。もう十年以上も履いている長靴は底が磨り減って滑るのだ。手をつないで登った。「ずいぶん早く歩くんだなあ」。このごろ運動不足のせいか、それとも人生をゆっくりと歩きたいせいか、ヨシエどんに引っ張られながら歩いた。


 誰もいないと思ったら、人影がふたつ降りてきた。あったかそうなダウンを着込んだ青年たちだ。すれ違う瞬間に互いに目を向け合ったけれど、どちらもあいさつはしなかった。「あの人たち、どうも初詣という雰囲気じゃないね」。わざわざ話題にしなくてもいいようなことを話した。

 拝殿と白山の遥拝所の二カ所に参拝した。心の中にも言葉を唱えるようなことはしなかったが、ここまでの日々をこうして暮らしてこれたことへの感謝の気持ちを伝えたかった。菊理姫様が微笑んで迎えたくれたような気がした。人を寄せ付けない雪深い白山が浮かんできた。今年も静かに始まった。

 山門を出ると、またひとり、青年に出会った。今度は向こうから会釈した。軽くあいさつを返す。とそのとき、青年がゴム草履だけの素足なのに気づいた。ジャケットさえ着ていない。大して寒くないと言っても、この冷たい雪の上を、どういうつもりなんだろう。ふしぎな人だ。そして、ハッとした。もしかすると、国の習慣にならってお正月を祝いに来た外国の人かもしれない。日本以外のアジアの国々では、今も昔ながらに月の暦で暮らしているそうだ。彼らはきょうこそ、新年を迎えているのだ。まだまだ復興していない四川省でも、ミャンマーでも。だから我家でも。そしてきっとあのゴム草履の青年も。

 長靴は下りではますます滑ったけれど、中はとてもあたたかかった。それがなぜだか、すこし悲しかった。



| 10:02 | 月的生活 | comments(2) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
霜月十四夜
 雲間から十四夜の月の光が降りてきた。早いものだ。ついこの前、今日は新月だと夜空を仰いでいたのに。月日の流れは昔から変わらないだろうに、それを早く感じるのはやっぱり年のせいなんだろうか。年齢のことなどほとんど気にしたこともないけれど、年相応、というものは好きだ。五十代には五十代の生き方があった方がいい。生涯のそれぞれの年代を生きてこその人生だ。


 神無月晦日の11月27日は、友の命日だった。毎日でも想う友なら命日だけを特別扱いすることもないが、やっぱりどこか気分は違うものだった。でもと、ふと疑問に思ったことがある。人もその他の生き物と同じで月の巡りに合わせて生きている節がいくらでもあるのだから、その最も大きな出来事になる誕生と死も月の暦で考える方がいいのかもしれない。友の命日は、だとすると、神無月七日になる。西暦なら今年は11月7日がその日だった。その日、何をしていたものかもうすっかり忘れてしまったが、天の友からは特別な思いが届いていたかもしれない。ただぼくはいつもと変わらずに空を仰ぐばかりだったのが残念だ。思いは、受け取る器量にも左右されるかもしれない。

 西暦は直線的で一方通行でどうにも味気ない。人生に始まりと終わりを作ってしまうのは、味気なさの極みだ。そんな西暦の流れから離れたいぼくなんだから、これからは大切な命日も月暦にしよう。西暦でさえ感じる命の声なら、月のリズムならなおさら深く染みてきそうだ。

 今宵霜月十四夜。月がめぐれば、命もめぐる。月を仰げば、命が見える。それなら人生に早いも遅いもないだろう。そうだろ、天の友。さてと、五十代だった。めぐる日々を、ゆっくりゆっくり、感じてやろう。




| 23:05 | 月的生活 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
月と季節の暦

 「月を楽しむ、月と親しむ」。そんな言葉の添えられた月暦のカレンダーを壁に掛けて暮らしはじめ、もう一年ほどが経った。満ちては欠けて、生まれてはまた消えてゆく月。ひと月は、月が見える形を変えてひとめぐりすることだと知っているだけで、気持ちにゆったりとしたリズムが生まれた。時間はめぐっているのであって、けして一方向へ直線上に通り過ぎて行くものではなかった。スタートもゴールも、本当はないのだ。定めた目標に向かって、ひたすら走り続けることもない。時間がめぐっているとは、そういうことなんだと思えるようになった。

 太陰太陽暦のその『月と季節の暦』。己丑年の来年用は写真特集で構成されていて、なんと月暦初心者のぼくの写真を起用していただいた。制作にあたった志賀勝さんは、お送りした写真群を観て「月の海へ」と名づけられた。月から海を連想するなど、ぼくの想像力ではとてもかなわないことだが、言われてみるとそんな気がしないでもない。表紙になった白山山頂の十六夜などは、まさに海底のようでもある。そう言えば、ここら辺りの月は日本海へと沈んでゆくのだった。月がますます好きになる。次の一年もまた、ぼくは月と戯れ漂うのだろう。みなさんもごいっしょしませんか? 

 お問い合わせとご注文は下記へ。

 月と太陽の暦制作室・志賀勝
 〒111-0043 東京都台東区駒形2-1-4-301
 電話 03-5246-5588 FAX 03-5246-5589
 メールはこちらまで





| 22:20 | 月的生活 | comments(7) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
朝の月
 朝の月とおはようのあいさつを交わす。ぼくだけの、誰も知らない、そんな小さな喜びに包まれた一日のはじまりだった。月暦文月二十二日の下弦に近づいた月が浮かんでいた。青空には秋の雲がゆっくりと流れている。日常の規則正しく刻まれる時間とは違うリズムが、天には広がっている。そしておそらく、ほんとうはこの地上にも。


 月に出会うのは、夜とばかりは限らない。いまごろどこに浮かんでいるのかと気にして、それがぴたりと当たったりすると、うれしくなる。それは、待ち合わせの時間と場所を決めて、ちょうどいいタイミングで出会った、あのなつかしいデートのようなものかもしれない。そうすると、月はぼくの恋人かな。うーん、違うようだ。どちらかと言えば、おかあさんのような存在だ。実際のおふくろはヒステリックで鬼婆みたいな人だったから、なおさら月に母性を求めてしまうのだろうか。月は片時も離れずに見守ってくれる、ぼくにはやさしい星だ。

 ことに心が沈んでしまったときなどは、月のやさしさが身に沁みる。おお、そうかそうかと、ただ浮かんでいるだけなのに、抱きしめてくれる。人は慰めが欲しいわけじゃない。いたわって欲しいのでもない。ただ、そうかそうかと、知っていてくれればいいのだ。いつも変わらない存在で、となりに寄り添っていてくれれば、それで十分だ。月。今も、どこかの国のだれかさんを、抱きしめているかい。そう言えば、ヒステリックなおふくろだったが、肝腎なところではぼくのなにひとつにも反対はしなかった。それも見守っていてくれたということか。


| 13:24 | 月的生活 | comments(2) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
水無月十五夜
 水無月十五夜のきのうは、団扇と島酒を片手にひとり観月会をした。家の前のアスファルトの道に座り込み、見上げる月と酒を飲む。ほかにはもうなにもいらない贅沢なひとときだった。誕生日だったヨシエどんとはちょっとした行き違いでケンカをしてしまい、それだからのひとりの夜。月に向かって、おめでとう、とささやいておいた。

 突然、引退を決意したという野茂が浮かんできた。知り合いでもなければ会ったこともないというのに、有名人とは不思議なものだ。なぜぼくの中に浮かんでくるのだ。野茂は誰よりも好きな選手だ、とこれまで考えたこともないのにそう思った。トルネード投法という独特なフォームを最後まで変えることがなかった。自分の歩く道を歩きながら残していった人だ。たしかノーヒット・ノーランを達成したときのことだ。日本の両親は温泉かどこかへ行っていて、あらそんなことがあったんですか、などとまったく感知していなかった報道があって、とても愉快になった。チチローだ松井のおやじだと、親まで目立つおかしな時代だ。そんな親の子でなくてよかったとぼくなら思う。野茂のご両親は、野茂とは違う、自分たちの人生を歩いているのだ。だから野茂は、大リーグに乗り込んだパイオニアとして名を残すことになったのかもしれない。現役を終える野茂に、そっと乾杯した。


 なんでも撮ってばかりのぼくだから、撮らないで過ごしてみると、月の美しさがまた違って感じられた。月を観るのでなく、月と語らう、という美しさだ。いいものだ。世の中の写真家たちは、撮らないでいるこの良さを知っているんだろうか。

 今度はユコタンが浮かんできた。月といっしょに微笑んでいる。月は遠いなあ。ぼくの手では届かない。グラスをあげて、また乾杯した。近所の車だろうか、座っているぼくをさけて通り過ぎていった。日常が入り乱れた、ここは地球だ。月は遠いなあ。何度も乾杯していたら、いつの間にか月は雲の中。素敵な十五夜の語らいだった。また会えるだろうか、月よ、遠い遠い月よ。




| 21:37 | 月的生活 | comments(2) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
晦日の月

 皐月の晦日。まだ薄暗い早朝に三日月を逆さにしたような月が東の空から昇ってきた。しばらく見とれた。ほんとうに、ほんのしばらく。夜が明けると朝になる。あたり前のことには違いないけれど、この日ばかりは朝が恨めしかった。だって月が消えて行く。空はどんどん明るくなって、それでもほのかに、見ようと思えば見える月だった。じっと残像が残るほどに見つめた。それでも消えて行く。消えて見えなくなってしまった。月は確かにそこにあるのに、もう見えない。寂しい。まるで人も月のようだと思った。天国へ昇ると、人は見えなくなってしまう。けれどもそれは、いなくなってしまったのではないのだ。晦日の月がそうだと言った。









| 22:17 | 月的生活 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
皐月のひととき
 きのうは月暦では皐月五月の三日。淡い夕焼けの西の空に三日月がくっきりと浮かんでいた。ぼくが生まれた日の月も、こんなにきれいだったろうか。ぼくのほんとうの誕生日だ。調べてみると、なんと1983年のアコの誕生日もこの日だった。父と娘の生まれた日が同じ。なんだかうれしくなってくる。三日月、好きだなあ。三日月を見ていると、あれがふるさとだ、などと思いたくなる。


 今にも生まれそうな大きなお腹をかかえて、きょうはアコがやってきた。「おとうさん、足揉んで」と、顔で言っている。ユタカが迎えにくるまでの間、浮腫んだ足やふくらはぎのあたりをゆっくりと揉んでやった。小学校のころからこうして子供たちの身体にふれて過ごしたものだ。三人の子たちはみんなアトピー体質で、少しでも改善しようとあれやこれや民間療法を学んだのがついこの前のような気がする。足を揉んだりしたのも、そのついでのことだった。おとうさんの顔を見るのもいやだと、そんな近所の話を聞いたこともあるのに、思えば幸せなおやじをやらせてもらったものだ。

 足を揉んでいると、「ほら、やわらかくなった」とアコが言った。さわってみるとさっきまで硬かったお腹がふんわりしている。「わあ、ふしぎやなあ」と思わず声が出る。硬くなったり柔らかくなったり、お腹の赤ん坊はどんな感じなんだろう。女性の身体の不思議にほんのちょっぴりふれて、こんな時間を過ごせることがまたうれしかった。

 この子が生まれてくるのは、皐月の七日。月暦には入梅とある。金沢もそろそろ梅雨入りのころ。どうぞ心にしっとりと、潤いのある人生を。この子の未来とぼくはどこまでつき合えるだろう。いや、そんなことはどうとでもなれ。生まれてくることも死んで行くことも、天にお任せするしかないのだ。子や孫という幸せに、ただ、ありがとう。



| 18:43 | 月的生活 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
如月の月
 月暦の如月に入って、毎夜、月がきれいだ。今も浮かんでいる今宵五日の月などは透明で、触れると手が切れそうなほどに澄んでいる。大したこともない人生を生きているぼくでも、愛でる月があることだけで、ほっと安心して暮らしていける。けれども、めぐりながら人生は終わってゆく。来月にはまた、三日月もあれば五日の月もあるというのに、きょうという日はきょうで終わるか。終わると知って、愛しいのかもしれない。月を愛でるなら、人をこそ愛でよう。ぼくにいちばん足りないことだ。






| 22:05 | 月的生活 | comments(5) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
二日の月
 きょう出会った言葉。

 「いじめられたから差別のつらさがわかる。教えられたとです。だから私がいまこうしておるのは、みんな人様のおかげです。人が生き方を教えてくれるとですよ。人から学ぶとですよ。今ではどんな人も自分の味方と思っとります。敵がいなくなりました」。(田口ランディ『寄る辺なき時代の希望』)

 ランディさんとの会話の中で話された水俣の杉本栄子さんの言葉だ。水俣展を見たことはあっても、ぼくはなにひとつ受け継いではいなかった。まったくこのところ、自分の情けなさばかりが気にかかる。そんなぼくにも、いつも人が教えてくれている。なぜそれに気づこうとしないのか。ぼくには謙虚さが足りない。自分の不甲斐なさにふたをして。


 夕焼けがきれいだった。月暦の二日だから、細い細い生まれたばかりの二日の月が見えた。何かを祈るわけでもないのに、月を見ていると思わず手を合わせたくなる。人からも月からも学べ。なにひとつ杉本さんのことは知らなかったけれど、手を合わせて、祈りたくなった。





| 21:35 | 月的生活 | comments(4) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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