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2013.09.14 Saturday
青空キャンプ記録ビデオ
ふくしま・かなざわキッズ交流キャンプがこの夏に催した「青空キャンプ」の記録ビデオを公開しました。海篇などは一時間を越える“大作”になってしまいました。参加した子どもたちが何年か先になって改めて見直す機会があるかもしれない、そのときキャンプの思い出が迷いや悩みから立ち上がる力を与えてくれるかもしれないと、ふと思い立ったからでもあります。いつも遠くから応援してくれるみなさんへのお礼も兼ねています。どうぞお時間のあるときにご覧ください。
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2013.09.14 Saturday
青空キャンプ(7) 男と女、おとなと子ども
珍しい話でもありませんが、男にとって年頃の女の子を相手にするのはとても難しいものです。今夏のキャンプには女子中学生をはじめ女の子も半数近くを占めていました。長いテント生活を共にして何度も顔を合わせながら、結局その距離が縮まったとはとても言えませんでした。世の中には男と女しかいないのに、思えば不思議なものです。その間にある見えない壁はいつも厳然としてそびえ立っているように感じます。女の子にしてみれば女性のスタッフがいなければ保養プログラムの居心地はとんでもなく悪いものになってしまいそうです。
キャンプでの救いは、小さな人間たちをすっぽりと包み込んでくれる海や山があることです。青空キャンプは去年につづいて目の前に海が広がる能登島の勝尾崎キャンプ場を会場にしました。その気になればすぐにでも海に飛び込める環境は、公共施設を利用しての宿泊ではなかなか味わえない醍醐味があります。大きな海に浮かんで透明な水中を覗き込むとき、男とか女とか、おとなとか子どもとか、さして気に留めることもなさそうです。まったく今年も年甲斐もなく子どもたちといっしょに遊び呆けてしまいました。
女の子の間でときどき問題になるのが人間関係です。だれとだれが仲良くなってわたしはいやだ、みたいなことでしょうか。仲良しを限定しないと落ち着かないようです。人間ですから気が合う合わないの相性というものは当然ありますが、それとは別の感覚がそこには働いているような気がします。おとなの世界にもありそうな話ですが、この種の問題に男が、それもこんなジジイが割って入ってもなんの解決にもなりません。女は女同士、細やかな気配りが必要なようです。
今回のキャンプには女子大生や社会人になったばかりの女性に加え、福島のおかあさんが三人もスタッフとして加わってくれました。ほかにも子育て真っ最中の若いおかあさんが子どもをキャンプに参加させながら応援してくれ、さらには子育てを終えた経験豊かな女性や遠方から自腹を切ってでも参加した有志など、小規模な保養プログラムとは言えスタッフの陣容はしっかりと固まっていたようです。ただそれをまとめる力がちょっぴり不足していました(この代表のことでもありますが、苦笑)。そしてだからこそ、だれもが自分で考えながら自由意志でキャンプの日々を過ごせるのだと思います。決まりきったルールなどなく、それでいてまとまろうと努力するスタッフが揃っている、これはFKキッズならではのことでしょうか、それともどこの保養プログラムでも同じなんしょうか。
男の女がいて、おとなと子どもがいる。保養プログラムはまるで、社会の一歩先を行く未来の姿を映し出した縮図のような気がします。
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2013.08.25 Sunday
青空キャンプ(4) キャンプという生活
青空キャンプと名づけた今夏の保養プログラムは前期の森篇と後期の海篇を合わせて20日間ぶっ通しのテント生活でした。お風呂は数日に一度近所の温泉に行く以外はドラム缶風呂(あまりに非効率で一度で断念しましたが)や施設の担当者が用意してくれた巨大な行水用のプールで代用し、洗濯も調理も基本的には子どもたち自らが率先してすることにしていました。ところが子どもたちの予期せぬ実態に、当初の思惑が大きく外れました。まず当たり前だと思っていた毎日の歯磨きを、キャンプ6日目にして尋ねてみると、なんとまだ一度も磨いていないという子が数人もいてびっくり。毎日励行した子はひとりもいませんでした。食事も自分たちで準備しなければ食べられないことを一度経験すればいいと傍観していましたが、粗食でもなんの不満もなく淡々と終わってしまったのでした。自分を時々の状況に合わせるというより、もしかすると現代っ子は感覚が鈍っているのではないかと思ったほどです。野生になる!というテーマを掲げてはみたものの、野生的な欲求はほとんどその場かぎりの遊びに限定され、あとはあなた任せの指示待ちが多かったように思います。その指示にさえ敏感に反応してくれることは稀でした。
でも森篇の間は毎日のように雨にたたられ、中まで濡れたテントを乾かしたり、夜半は管理棟に避難したり、立て直して心機一転で臨めばまた大雨という具合で、悪条件の中でキャンプをやり通したというだけでも子どもたちを褒めてあげたいと思います。乗り越えるという経験を少しずつでも重ねて行くとき、それこそが大切な思い出ともなり、明日への自信にもなるでしょう。とは言いながら、その場を準備したスタッフのおとな自身もほとんどが自然からほど遠い生活をしています。子どもたちといっしょに経験を積み重ねるキャンプになりました。
屋外で生活するためには、たとえば薪割りが必要になります。鉈を手にする機会などおとなでも少ない今、子どもたちがぎこちなく振り上げる様にはらはらしては声を掛け、それでも小さなケガが絶えませんでした。目を離していては危険な環境だとわかっていても、四六時中見ていることはまず不可能です。子どももおとなも自ら経験して学んで行くしかありませんでした。一番ケガしたタケゾウの、最後には火起こしのための細い薪を手際よく切り分けていた姿を忘れられません。
キャンプが始まって早々に、最年少の6歳のユウタがくるぶしの辺りにぱっくり傷口が開くケガをしました。抱きかかえて救急セットまで走り寄り応急措置をするスタッフのごんちゃんが、「これは医者ですね」と即決断。横でほとんど傍観していたぼくはその声を聞いてハッとしました。(そうか、これは決断しなければならない状況だったのか)、などと書くとなんとも信用できない代表になってしまいますが、まさに生活の場でも同じように決断しなければならない瞬間が数多くあるはずで、それに気づけないでいたのでは、子どもたちに感覚が鈍いとか麻痺しているなどと言えたものではありません。刻々と変化する時の流れに敏感であることが、キャンプという生活の場では特に大事だったような気がします。
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2013.08.25 Sunday
青空キャンプ(3) 会いたい
青空キャンプの様子が香川と岡山のプログラムといっしょに毎日新聞の全国版に紹介されました。「思い切り夏休み」というタイトル通りの催しが今も全国各地で繰り広げられていることと思います。全国的な横の連携などほとんどありませんが、同じような気持ちを抱いて活動している人たちの存在はとても心強いものです。未だ会ったことのない同志に負けないで、という気持ちは、資金もスタッフも足りない状況ではとても有効に働いてくれます。
記事の中で参加者の共通した思いが紹介されています。「放射能から逃れたい」というはじめのころの思いから、今は「保養先の人に会いたい」というのです。一度参加して気に入ってくれた福島の子どもたちや保護者のみなさんが、我らがFKキッズ交流キャンプにも何人かいます。これをご縁と言わないでなんと表現すればいいでしょうか。この関係は、おそらくプログラムの中身に寄ってではなく、出会った人と人の相性とでも言えそうなものが生み出すのではないでしょうか。参加者ばかりでなく、開催するスタッフもまた福島のみんなが忘れられずいつも会いたいと思っているんですから。
あってはならなかった原発事故が、福島に残ることを選択した人たちに全国の心ある人たちとの出会いをもたらしています。放射能汚染はさして軽減されることもなく広がるばかりかもしれませんが、だからこその人と人の出会いをもまた深め広げています。これからの日本を生きて行くことは決して生易しいものではないでしょう。どんな苦難をも乗り越えるたくましさのいくらかでも、保養プログラムの出会いで培って行きたいものです。
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2013.08.22 Thursday
青空キャンプ(2) ケンカしたい
ようやく疲れが取れてきました。年を取ると回復が遅れることはよく耳にしてきましたが、いよいよ自分のこととして感じられるようになると、もっともっと老いることの味わいを大切にして生きたいものだと思います。サヤタの絵日記を添えて届いたおかあさんからメールを読みながら、キャンプ中の自分の視点がなんとも年寄り臭かったと、今ごろになって苦笑いと共に感じています。
一見おとなしそうなサヤタが絵日記に書いている言葉がとても印象的です。「この中でいちばんいいのはケンカです。ケンカをするとやってしまったことをもうやらないからです。つぎこのキャンプがでたら行ってケンカしてもっとなかよくなりたいです」。実際には何度も同じケンカを繰り返し、おとながいくら言って聞かせても言葉が通じないもどかしさが残りましたが、子どもたちには決して日々同じではなかったようです。ケンカも後片付けも物の扱いも、さらには調理の手伝いも、まったくどれもこれもうまく行かないキャンプだったと一方的に決めつけることだけはしないでおこうと思います。
おかあさんからの報告を二、三。
うちの子達は、興奮覚めず3人で争うようにキャンプの話をしてくれました。どの話も日常から離れイキイキしてこちらまでウキウキしたりハラハラしたり、生きた話をしてくれました。
リクトは、キャンプがそうとう楽しかったようで、かなりこうふんして帰って来ました。「楽しすぎる、好き嫌い多くてご飯あんまり食べられなかったけど、ご飯食べれなくてもいい、また行くよ。ますやんが冬もやるって、1人でも行く」と言い、主人と私はびっくり。リクトは外遊びがあまり好きでない子です。びっくり。
保養に行かせる親の気持ちもそれぞれ、子供の気持ちもそれぞれですね。保養に行きたくないと母親にしがみついてバスに乗れない子、保養先でホームシックで泣き出す子、不安やイライラで意地悪する子、親がいなくて眠れず夜がこわくてしゃべりまくる子、でもどの子も一生懸命です、子供の気持ちとして当たり前なのかもしれません。
保養先で子供が言いたいこと言ってケンカできて、受け止めてくれるスタッフさんがいて、こんなキャンプなかなかないですよ。子供達がここまで仲良くなるキャンプはないです。
会として二年目を迎え五回目のキャンプだったこの夏は、主催者として少し気合いが入り過ぎていたのかもしれません。テーマは野生になる!子どもたちにはサポートするスタッフが少ないこともあって自主的な生活を望みました。言わば理想を掲げてしまったわけで、その線から外れると気持ちよくないと連日感じてしまいました。
でもこれは、あくまでも保養キャンプでした。福島を離れたくないのに保養に出なければならない子もいるでしょうし、逆に出たいのに条件が揃わない場合もあると聞いています。原発事故という犯罪と、いつまで続くとも知れない放射能汚染が、保養プログラムという枠組みを生み出したのです。「原発事故子ども被災者支援法」を制定しながら一向に具体策を講じない国ですから、庶民による保養プログラムを今は止めるわけには行きません。たとえ力不足でどんなに中身の薄いプログラムだとしても、庶民と庶民が寄り添い開催することじたいに意味があるのだと思えます。
サヤタのおかあさんからはこんな言葉も届きました。
郡山に着いた子供達は別れがたいようで「また会おう、冬のキャンプで」「ありがとう」などと一人一人に声をかけ合っていました。
20日間ものテント生活を共にした彼らは、それだけでもう一番の友だちなのかも知れません。またおいでよね、心置きなくケンカもすればいいさ。言うこと聞かない奴は心置きなく叱りつけるから(笑)。
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2013.08.16 Friday
青空キャンプ(1) ちゃんと
このじじいのいったい何が気に入ったものか、小学校2年生のスズが家に帰ってすぐ描いたと思われる絵を送ってきました。一年を通して開催しつづけてきた保養プログラムの中でも夏休みのキャンプは規模も長さも最大で、参加した子どもたちにとってもきっと山ほどの思い出が出来たことと思いますが、実際には世話するおとなたちの言葉が届かないもどかしさが残りました。この絵を見ながら、そうでもなかったのかなと、いくらか穏やかな気持ちが蘇ってきます。
発足して2年目に入ったFKキッズ交流キャンプのこの夏は、森と海の2会場で20日間にもわたるテント泊の「青空キャンプ」を開きました。テーマは野生になる!自然からすっかり離れてしまった生活しか知らないのでは、たぶんこれからの時代を生きるには力不足なのではないかと思います。このキャンプを通していつもとちがう力強い自分を感じて欲しかったのかも知れません。ところがどうでしょうか。これが今どきの子どもなのか、と言いたくなるほどになにもかもが歯がゆいばかりで、前向きに自ら動き出すことがほとんどなく、言葉をかけて促しても聞こえないふりをする始末、いっそのことキャンプなど止めてしまえと何度思ったことでしょうか。
口を開ければ他人への文句ばかり、遊びも食べることもいつも自分中心。共同生活をしているという意識などおそらく皆無だったのではないでしょうか。子どもたちの声に耳を傾けるリーダー役のスタッフが揃わなかったことが大きく影響していたことは否めませんが、それにしても公共性に欠けた参加者が多いキャンプでした。
放射能汚染から少しでも遠く、少しでも長く離れて思いっきり羽を伸ばして遊んでもらうのが保養プログラムの目的ですから、その点については文句なく成功です。でもそれだけではもう収まらない気持ちが芽生えています。常連になった子どもたちは今では親戚のようにも思えるし、彼らのおかげで初めての参加者もすぐに場に馴染んでくれます。だから望む気持ちが生まれるんでしょうか。「ますやんのそれは押しつけですよ」と助言してくれたスタッフもいました。そうかも知れないと、ふりかえって今も思います。
最後の19日目は、特別な夜だというのにテントサイトでじゃれ合ったまま何事もなく過ぎ去って行きました。なんだかばかばかしくなってひとりで敷地内の桟橋に向いました。終盤になって急になついてきたスズがまた後をついてきました。ふたり並んで座り海ほたるの青い光を見つめ、キャンプの思い出を話し合いました。「スズはねえ、もっとちゃんとしたかった」。「なにをちゃんとしたかったん?」。「ミーティングのときのますやんの話がもっと短くなるように、ちゃんとしたかったの」。なんということでしょう。中学生もいるキャンプの中で、ほとんど最年少の部類に入る幼い子がもっとも深く全体を見ていたのかもしれません。言葉が通じないと嘆いて終わるのかと半ば諦めていましたが、通じたパイプもあったようです。
ちゃんとする。まさにこれこそ、このキャンプに求めたい態度だったのかも知れません。初めて参加するスタッフの中には夜遅くまで話し込んで昼間テントの中で寝ている学生もいました。何をしていいのかわからないのは仕方ないとしても、これではちゃんとしているとはとても言えません。子どもばかりでなくおとなもちゃんとしていない世の中だから、こんな保養プログラムが必要な事態に陥ったのでしょう。
さて、このじじいはちゃんと役目を果たしたのでしょうか。思いばかりが先行して配慮の足りない押しつけが目立ったこと、言葉にぬくもりが足りないこと、決断力に欠けること、安全管理を怠ることなどなど、反省すれば数え切れないほどの項目が並びます。子どもとおとなが一緒に創り上げるちゃんとしたFKキャンプは、まだまだ先のことかもしれません。常に高みを目指してはいるものの。
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2013.01.27 Sunday
キャンプから広がるもの
「冬のぬくもりキッズキャンプ」のスタッフの打ち上げをしました。総勢40人以上もの方が応援してくれたキャンプですから打ち上げもさぞかしにぎやかなものになるだろうと想像していましたが、参加は実行委員の6人とスタッフ6人だけというつつましやかなものとなりました。7時開会、お開きは12時すぎ。おかげでゆっくりと向き合って話し合うこともできました。
スタッフ6人のうち学生が4人も参加してくれました。福島の子どもたちから届いた年賀状の披露もあったりして、しばらくは続きそうな交流の予感に大満足です。
キャンプは、ただ気ままに遊んでいるだけのようで、実はその後も想像以上に豊かな贈り物をかかわった人それぞれに届けているんだと感じます。それはぼくの私的な経験からでもわかります。そんな話をみんなにも聞いてもらいました。
一応はこれでもぼくは写真家を目指しています。キャンプの準備や開催に仲間たちと毎日のように動いていると、その気持ちからどんどん離れていくようで迷いが生まれていました。限られた残りの日々に本当にしたいことをしなければという、焦りのような落ち着かない気持ちにもなっていました。
ところがどうでしょうか。大事にしようと決めたキャンプと、撮りたい写真の世界が急激に接近するのを感じます。キャンプをしようと思い出してそろそろ一年になろうとするいま、なんの予感もなかった新しい環境に自分を置こうとしています。自らの意思で動いていたようで、実はそうではなかったのかもしれません。目の前にあるものに打ち込むとき、いつもなんらかのはからいがあるような気がするほどです。
この春から働き出したり“就活”を迎える学生の前途にも、おなじようにそのはからいがあるだろうと思います。はからいは、キャンプという “場” が創り出しているのだと、この一年で強く感じるようになりました。
福島の子どもたちを応援しながら、地域づくりにもつながればいいと思っています。地域とはなんでしょうか。土地、町、身近な自然、暮らし、商店、家族、隣近所、ネットワークなどなど既存のいろんな要素が浮かんできます。そんな中で地域にとってもっとも必要なものは、求めて来た便利さや豊かさにまぎれて見失いがちになりますが、そこに住む人間そのものではないでしょうか。人間が創り出すもの、地域もそのひとつだと思います。
キャンプは、参加する子どもたちだけでなく、応援する若者にも、限りない恩恵を与えてくれるだろうと思うのです。なんと言っても名ばかりのこの代表でさえ、少しずつ少しずつ明らかに変容していくのがわかるんですから。
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2012.10.12 Friday
冬のぬくもりキッズキャンプ
この夏の「ふくしま・かなざわキッズ交流キャンプ」につづいて、「冬のぬくもりキッズキャンプ」を開くことになりました。福島の子どもたちを応援する保養プログラムは継続してこそ力になるだろうと確信していますが、それにどれほどの効果があるものか、本当のところはまったくわからない状況です。福島第一原発事故による影響はいったいどれほどの規模でいつまで続くんでしょうか。専門家の声を頼りに政府や行政もそれなりに対策を練り実行しているのだとは思いますが、あの日から一年と七ヶ月経った今も福島の状況はほとんど変わっていないのではと悲しくなることがあります。だからと言ってただ手をこまねいているわけには行きません。「あの時の日本のおとなたちは一生懸命わたしたちのこと考えてくれてたんだ」と思い出してくれるようなおとなでありたいと願います。
この冬のプログラムは、夏に参加したいわき市の四人の女の子たちとの約束から生まれました。冬の石川も素敵だよ、と軽い気持ちで伝えたひと言に、ぜったい来ると即反応してくれたんです。遠い福島から子どもたちを招いてのキャンプは準備も開催もそれなりに大変でしたが、彼らの輝くあの笑顔を思い出すと、動かないわけには行かなくなります。どんなことがあってもいつかまた立ち上がって歩き出す経験を、彼らのこの幼い子ども時代にこそプレゼントしたいと思います。あってはならなかった原発事故に遭遇してしまった子どもたちに、今手を差し伸べないでいつそれができるでしょうか。言葉ではなく、行動で、共に未来へとつづく夢を描いて行きたいと思います。
継続開催のために、この拙いブログを読んでくださる日本中のみなさまにお願いがあります。少額で構いませんので、末永いご支援をどうぞよろしくお願いいたします。ご送金には下記の口座をご利用下さい。おひとりずつへのお礼はできませんが、実行委員会のホームページ上にお名前を掲載させていただきます。
北國銀行 工学部前出張所
普通 141459
ふくしまかなざわキッズ交流実行委員会
(フクシマカナザワキッズコウリュウジッコウイインカイ)
また桝野正博時代の写真集『あめつちのしづかなる日』のチャリティ販売も継続しております。
『あめつちのしづかなる日』チャリティ販売
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2012.08.28 Tuesday
ますやんの悪童日記(7)自由とは(能登島編)
福島第一原発事故が起こり、この先も何十何百年と放射能汚染に悩まされながら、日本人は生きて行かなければならなくなりました。そんな中でも自由はあるでしょうか。自由の側面のひとつが自分の生き方を決めることだとしたら、世界がどんな状況だろうが、いつも自由だということになりそうです。このキャンプに参加した子どもたちに伝えたかったことは何かと問われるなら、ぼくは即座に答えます。「自由を謳歌しよう!」。
余りあるほどの自由を思うがままに生きようとするのは、かなり骨の折れる仕事です。反対に束縛されていると思うと、それもまた自由ではない自分ばかりを見ることになりそうです。自由ほど扱いにくいものはありません。大体は、自分で自分を規制しているんですから。
FKキッズ交流キャンプ2012は、自由な時間がいっぱい詰まっていました。お話会、お絵描き、ツリークライミング、水族館見物などプログラムもそれなりに組まれていましたが、あくまでも子どもたちが思いのままに過ごせるキャンプにしました。眠りたいときは眠っていればいいし、もしかすると喧嘩さえもしたければそうすればよかったんです。でもそれらすべての自由は、キャンプの雰囲気が仲良しであることが大前提だったようです。その思惑は大きく外れてしまいました(とその時は思ってしまいました)。実行委員会のメンバーも協力スタッフも、子どもたちの逆襲に(笑)慌てふためいてしまったのです。
問題はいつもひとりの子から始まりました。今から思うと、誰もがみんななんであんなに動揺したんでしょうか。たったひとりに子のために、みんな自由を自ら放棄してしまったかのようでした。あいつがこうだから、おれはこうなった。あの子が荒れるから、私も同じように荒れた。その様子を静かに見守っていたスタッフも、もしかするといたかも知れません。ただぼくにはそれに気づくゆとりが残念ながらありませんでした。代表が自由じゃない自由なキャンプなんて、まったくお恥ずかしいかぎりです。
ある女性スタッフと話し込んだ夜、ようやくぼくは目覚めることができました。「手のつけられなかったわたしの息子が心の病気だったんだと診断されたときは、正直、ホッとしたのよ。病気なんだから、仕方なかった、そう思えてね。あの子もね、もしかすると病気かもしれない...」。ぼくはハッとしました。外側の見える姿でしか判断していない偏狭な目で子どもたちを見ている自分がとてもちっぽけに思えました。なんてこった。福島の子どもたちの笑顔と元気を応援し、さらには石川の子どもたちと友達になってもらいたい、なんてかっこのいいことばかり唱えながら、その中味たるやなんてことありませんでした。
目が覚めたその夜以降も、キャンプの間中葛藤が続き、あわよくば問題児に退場してもらいたいと思うことが何度となくありました。毎晩のミーティングがそうすることを思い留めてくれたようです。誰もが煙たがる子を排除していたなら、邪魔者は消せばいいのだと、ほかの子どもたちに教えてしまうことになったかも知れません。そして問題児は他でもない自分の中にもいることを、ついに知らないままで終わっていたかもしれません。自由を大きなテーマに掲げながら、いい形で終われたとは決して言えません。それぞれが有耶無耶を残したまま、つまりは宿題を抱えたまま家路についたかもしれません。ただこれから先の日々で、本当の自由とはなんだろうかと、考える自由意志だけは保障されています。ほとんどがまだ幼い子どもたちでしたが、もう少し後になってこの日記を読んでくれる日が来るかもしれません。その時のためにもここに書き残しておきます。
おい、みんな。怒鳴ることが多かったますやんだけど、思いっきりみんなと遊べたし、今思うと幸せなキャンプだった。ありがとう。でもありがとうついでに言っておくぞ。あの子が居てくれたおかげで、みんな真剣に腹を立てたし、みんなで戦争ってなんで終わらないんだって考えることもできた。いいかい、これからも諦めないで考え抜くんだ。よく考えれば、今日よりは明日へと、一歩ずつでも前に進めるかも知れない。みんなの周りを見てごらんよ。簡単にいっぺんに解決する問題なんて少ないだろ。だからゆっくりと丁寧に話し合って考えよう。みんなとそんなキャンプが出来て、ますやんはとってもうれしかった。またいつか会おうぜ!
ますやんの悪童日記(7)
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2012.08.24 Friday
ますやんの悪童日記(6)自由とは(医王の里編)
キャンプに関わったスタッフの間では今、これからの展開を踏まえた感想や反省点を盛んにやりとりしています。その中にひとつ、ぼくにはとっても興味深い指摘がありました。「交流という割にはただ漫然と遊んでいる印象を受けました。もっと魅力的なプログラムを通して学び合えるもの、達成感のあるものを準備した方がいいのでは」というものです。まさに今回のキャンプはその逆を行っているものでした。
学びとは、用意されたものでしょうか。達成感とは、だれが達成して感じることなんでしょうか。多分ですが、その道の達人をお迎えしてのプロフェッショナルなプログラムが目白押しのキャンプなら、それなりに実りあるものになると思いますが、それでも参加する子どもたち全員にそれが合うとは限りません。学びも達成感も充実感も、そんな類いのものは本来は自由に生きた人生の中にこそあるのではと、この年になって思うようになりました。誰かからプレゼントしてもらうものではないのです。
では自由とは、いったいどんな状態を指して言うのでしょうか。なにもかもプロや公的な専門機関に委ねて暮らしている日本の現代社会で、果たして自由なんてあるんでしょうか。病気でもないのに病院でお産をし、より良い人生をと相変わらず学歴を重要視し、就職に失敗したからといって死を選ぶ。働くことは食べて生きていくためでもあり、何かを達成することかも知れませんが、果たしてそれだけでしょうか。老いて病んで、他人に自らの命を委ね、お棺に入るのも専門業者にお任せ...。それであなたは、自由ですか?
というような話を、本来はこのキャンプに参加した子どもたちと話し合ってみたかったんですが、そんなうざい話は見向きもされないのがおちです。だから、まずは弄ぶほどの自由を保障しようと企てたわけです。何事も経験しなければ。全くの自由などというものは、ぼくたちにもよくわかりませんが、少なくとも何をしていいのかも分からない現代の子どもたちにとって、自由に使える時間を体験することはとても貴重だと思います。
旨い具合に、17日間の全日程を参加した郡山のユースケはとても活発な子でした。地元石川のリョースケ、タイチとまるで三人兄弟のようにして毎日適当に(笑)過ごしていました。スタッフから持ち込まれたトランプさえ必要なかったかもしれません。遊びさえ用意されていない環境で、みんな思い思いに遊んでいました。遊びって、新たに生まれるもののようです。この創造性こそ、自由がもたらすものではないでしょうか。なんでもかんでも用意され、してもらうことが当たり前の世の中になってしまいました。用意する側の気持ちなどちっとも考えない、自分勝手な人間がそこここにいるような気がしてなりません。そんなことを、遊んではめを外して叱られて、少しでも体験できたのであれば、このキャンプは大成功です。
たとえ単なる漫然とした遊びでも、それをするためには学ばなければならないこともあります。そのとき初めて自分から学ぼうとしませんか? どんな簡単なことでも自分の力で出来たなら、そのとき達成感という喜びを感じるかもしれません。押しつけは、学校や社会だけで沢山です。もしもFKキッズ交流キャンプが今後も続くなら、実行委員会で話し合ったこの総意だけは変わらずに残っていてほしいものです。
地元から参加した中にひとり、病的なまでに我がままな子がいました。そこから子どもたちに広がる影響はとても大きなものでした。なんであいつだけが、という感じて当たり前の言い分が何度も返ってきました。要するに、子どもたちのそれぞれの我がままが湧き返るキャンプになってしまったのです。
スタッフ全員、子どもたちと過ごす専門家では決してありません。知識も経験も乏しい中で、だから真剣に向き合わざるを得ませんでした。おそらく、参加した子どもたちもみんな、真剣になり始めたんだと思います。思い出すと真剣に遊び、真剣に怠け、真剣に喧嘩していたような気がします。
最も我がままだったそのひとりの子に向き合うのは、真剣になればなるほどとても疲れました。言ってわかるならまだよし、何度でも言いますが、言っても言ってもわからない子もいるんです。だからと言って、参加者の誰にも自由を保障するという大前提を崩す訳には行きません。スタッフの葛藤は、ほぼ毎日のように繰り返されました。少なくとも、「家に帰る」と自ら言わない限り、その子の居場所を取り上げては行けないことを申し合わせました。
そして今キャンプを終えて感じることの中に、その子の存在の大きさがあります。我がままな子がひとり居てくれたおかげで、全員一度ならず、とっても我がままな自分になれたような気がします。自由とは、我がままな一面があり、その我がままを越えたところにあるのかもしれません。ひとつひとつを選び取り、また新しく産み出しながら明日を生きて行く力は、自由のいろんな側面を経験してこそ獲得することができるのでは、などと、またキャンプの日々を思い出しています。
ますやんの悪童日記(6)
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マスノマサヒロ
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