ヴァーチューズ仲間のまさみさんはルドルフ文庫というのを開いて、子どもたちに良書を開放している。本屋に限らず書棚に沢山の本が並んでいると、ついのぞき込んでしまう。ジェラルド・G・ジャンポルスキー『ゆるすということ』(サンマーク出版)が目に飛び込んできた。なんとヴァーチューズ・プロジェクト・ジャパン(VPJ)代表の大内博さんの翻訳だった。これは借りて読まなければ。にっこり微笑んで快諾してくれたまさみさんは、これを読んでVPJに加わろうと決めたそうだ。
内容は、「奇跡のコース」を実践している著者が書いているだけあって、『神の使者』に似ている。その長編の一冊をなんとかながら読み終えたぼくだから、コンパクトなこの本はとてもスムーズに理解はできた、けれども、「ゆるすということ」を実践しているかと問われて、大きくうなずくのはなかなかに難しい。
ゆるしについて、とても明快な一文があった。
ゆるしは妊娠と似ています。妊娠は、「妊娠しているか、妊娠していないか」のどちらかです。「ある程度妊娠している」ことはありえません。これと同じで、「ある程度ゆるす」というわけにはいきません。ゆるしは完全でなければならないのです。
まったくだ。なにをやっても中途半端なぼくには耳が痛い。妊娠を経験する女性の方がゆるしにもずっと力を発揮するだろうか。こいつはゆるすけれどあいつは絶対にゆるせない、と言っているうちは、ゆるしではないということだが、こんな箇所もある。
おそらく私たちは、肉体を持っているかぎり、「裁きたい」とか「ゆるしたくない」という誘惑にかられつづけることでしょう。ですから、瞬間ごとに新しく選択しなおすことを、永遠に思い出しつづける必要があるのです。
そして、
ゆるしとはただ心のやすらぎだけが目標であり、他人を変えたり罰することではないと、理解する。
さらに、
「ついに本当の敵がわかった。それは、自分自身だ」。
ときた。
自分を敵だと思ったことはないけれど、ぼくはいつも自分に手こずっている。というより、意志薄弱な自分を棚上げにして、そのままの自分でいることに甘んじていることが多い。そのうちやがて変わるだろうと、様子を見るのが常だ。それで困るわけじゃないが、なんとなく凌いでいる感じは否めない。ようするに、瞬間ごとの選択を怠っていることは確かだ。
本を読んで理解することはとても簡単だ。それを肥やしにしたつもりになることも、そんなに難しくない。問題はどうやら、意志があるかどうか、かもしれない。ぼくには実践し選択する意識があるのか、ということだ。いくらもがいても妊娠は経験できない。だったら、するのか、しないのか、という完璧な選択をこのゆるしで味わってみたい気もするけれど、このままの中途半端な自分も案外楽なものだからついついそこに留まっている。
明日は、VPJ雪の花の集まりがある。夜もにぎやかにるみ子さんのドームハウスで合宿だ。美徳もゆるしも、仲間がいると楽しくやれる。ありがたい話だ。この中途半端なぼくを正直に伝えることができる。
本の中にこんなエピソードが紹介されていた。美徳の実践セミナー in 石川「美徳の視点」は思いのほかみなさんの関心が高く、ほぼ定員を満たした。近い将来、この地域にもいろんな素敵なエピソードがあふれるといい。
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『少年を打ったもの』
メアリーは首都から二時間ほど離れた小学校で先生をしています。彼女は怒ったりケンカしたりせずに友だちとコミュニケーションをとる方法について、生徒に根気よく教えていました。「ゆるすことが大切だ」といつも強調していたために、「ゆるしの先生」とあだ名がついたほどです。
この学校には、手に負えないほどわんぱくな十歳の少年がいました。誰かれかまわずケンカをふっかけ、彼が行くところ必ず何かが壊されるというありさまでした。しかし、彼は自分の行動に対してまったく悪びれもしないのです。
ところがある日、ついに担任の先生のお金を盗もうとしたところを見つかります。校長先生はここぞとばかりに全校集会を開きました。この学校の慣例では、このような場合、少年は全校生徒の前で杖で打たれることになっていました。見せしめにしたあと、放校処分になるのです。
全校の職員と生徒が、杖打がおこなわれる体育館に集まりました。少年が姿を現したとき、メアリーは立ち上がりました。「彼をゆるしましょう」と言おうとしたのです。しかし、そのとたん、周りの生徒たちも飛ぶようにして立ち上がり、「ゆるそう!」と叫んだのです。
「ゆるそう! ゆるそう! ゆるそう!」
生徒たちは叫びつづけ、その声は体育館全体を揺るがして響き渡りました。
少年はみんなをじっと見ていましたが、やがてしゃがみ込み、すすり泣きはじめました。体育館の雰囲気は一変したのです。
結局、少年は杖で打たれずにすみました。もちろん、放校処分にもなりませんでした。その代わり、彼はゆるされ、愛情をいっぱいもらったのです。その日から、彼がケンカをしたり、盗んだり、何かを壊したりして、人に迷惑をかけることは、いっさいなくなりました。
校長先生が全校集会を開いて少年を杖で打つと決めたとき、「厳しすぎる」と考えた先生たちもたくさんいました。その校長先生もゆるされ、この一連の出来事によって、もっと愛に満ちた雰囲気を育む新しい種が、学校に植えつけられたのでした。
美徳の実践セミナー in 石川「美徳の視点」4月12日開講