ふるさとは遠くにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乏食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ泪ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかえらばや
遠きみやこにかえらばや
恥ずかしい話だが、金澤に生まれ暮らしていながら、ぼくは室生犀星を知らない。犀星どろこではない。鏡花も秋声も知らないし、ふるさとのことをなにひとつ知らないのだ。そんなことを公言してしまうんだから、恥ずかしいを通り越して自分でも呆れ返ってしまう。おまけに世の中のこともそのほとんどを知らない。ようするに気ままに写真を撮ってきただけのちっぽけな男だ。それでもここまで生きてきたんだから、恐れ入る。知らないということと食べることはどうやらあまり関係がないようだ。
そんなぼくでも、犀星のこの詩には何度か出会っている。でも題名は「小景異情(その二)」だった。知らなかった。ふるさと、ぐらいだろうと思っていた。やっぱり、恥ずかしい。
帰るところではないというそのふるさとに、ぼくはもう三十年ほども前に帰ってきた。そして、近くにいながら、思ったこともないふるさとだった。人の思いとは、離れているほど深く強くなるものかもしれない。天国に還っていった朋らを思いつづける心にも、どこか似ている。
二十代の四年間を石垣島で過ごした。八重山日報という島の小さな新聞社にお世話になったが、酒の席で当時の同僚に言われたことがある。
「おまえら本土から来た者は、沖縄が好きだと言うけど、自分のふるさとのことはどうなんだ」。
思い出すなあ。あのひと言で、ぼくは一度金澤へ帰ってみようと決めたのだった。それがどこでどう間違ったものか、そのままふるさとに居着いてしまった。「自分のふるさとはどうなんだ」と、それから感じてみたことがあった。十年以上も前のことだ。かわいがってくれたデザイナーの岩田修さんが自費出版した『兼六園写真集』の撮影を担当したことがあって、その一年でぼくはふるさとを感じたつもりになっていた。若かった。ほんとうに、感じたつもり、というだけだった。
だが、ふるさとをほんとうに思うのは、きっとこれからだ。近くにいようが遠くにいようが、ふるさとは思えるものだ。悲しくうたうものか、帰るところではないのか、それは、今のぼくにはまだわからないけれど、感じてみると心にしんみりと広がってくるものがある。ふるさとは、それを思う人との距離ではなく、思う人の心の深さに関わっているのだ。心の深くに沈んでいくことができたなら、どんなものにも思いを寄せることができるはずだ。ぼくの心よ、ふるさとと共にあれ。
金澤・まいほーむたうん