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2013.10.06 Sunday
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2013.10.06 Sunday
「kazesan3」のお引っ越し
この「kazesan3」を下記のサービスに引っ越しました。ブログオタクのようにあちこちに書き散らかしてきましが、散乱する気持ちをまとめる意味でも一つに統合しようと思います。移転先は広告の掲載もなくシンプルで気持ちのいいサイトです。これで種々雑多な日常もいくらかシンプルになるといいんですが。引き続きご愛読くださるとうれしいです。
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2013.09.24 Tuesday
変わらぬもの
旧中山道の宿場町柏原の街道を歩くと、その時が昼でも夜でも往時が偲ばれる気がするから面白い。まるでその時代を懐かしんでいる気分にさえなれる。「変わらぬもの」と題した対談の会場に相応しい環境がこの田舎町にはあった。町に好感を持てるのは、おそらくそこに住む人に好感を持っているからだろう。行きずりの旅では決して味わえないこの感覚をこれからも大事に抱えて歩くとしよう。
対談そのものにも感じることは多かったが、その前に思うことがある。話し手の存在ばかりか、その対談の場を主催した若者の存在だ。どこか公的なお仕着せの集いなら珍しくもない。年配者の暇つぶし程度の催しなら興味さえ持てない。それは、今と未来を憂う若者が真剣なまなざしで見つめた日常から生まれたものだった。自分のことで精一杯の世の中だからこそ、自分のことばかりではなく世の中そのものを相手に暮らすのだと、そしてそのひとときを己の懐に抱き込む努力の積み重ねが人生を創造して行く肥やしになるのだと、どうやら無言で教えてくれた。おそらく人は、いくつになっても師に囲まれているようだ。
対談の中で何度か出た「放浪」や「振り子」という言葉が今も妙に心に残っている。若い頃宙ぶらりんな放浪の旅に出た対談のおふたりに共通するものがあるなら、源はその旅じたいにあるのだと思った。根無し草、寄る辺なき立場をいやというほど体験した人から感じたものは、自我とは無縁の自意識、とでもいうような不思議な魅力だった。だれもが自分の生活は自分で守らなければならないと思っている。当然だ。最後には国が助けてくれるなどともはやだれひとり思っていないだろう。だからと言って、戦々恐々と、あるいは意気軒昂に、などと偏った生き方もしたくない、という程度の良き人ばかりが世の中の大勢を占めている。それが今の日本の状況なのではないだろうか。
対談を聞きながら、この凡夫は今も宙ぶらりんな日々を暮らしているのだと感じた。しかも振り子の揺れ幅はとても小さい。ドラマチックな人生を望んではいても、生きる時代そのものとは意識的には無縁の人だった。定まるものが足下にないのだから、ふらふらと彷徨っている感覚が常にある。これでは生きる自信のあろうはずがない。本当の放浪の旅に出なかったことを今さら後悔してもはじまらない。けれどこの先もお茶を濁した程度で満足する気にもなれない。変わらずに懐に抱えていたものの芽がようやく出たきたのか。あまりに遅い目覚めだ。
歴史も個々の人生も振り子のように反転し揺り返すだろうと対談者の佐伯さんは言った。解き放たれた弓矢では決してあり得ないなら、小さくてもいい、その揺れ幅の中で思い切りの覚悟を決めて生きればいい、などと若い頃なら意気も上がっただろうが、今はその言葉が静かに沁みるように聞こえてきた。沁み入るこの自分という穴の大小に悩んでいる時間はもう残されていない。穴を掘り下げるしかないのだろう。それにしても振り子の支点にあるものはいったい何だろうか。この日々をだれがゆらゆらと揺らしているのだろう…。
「対談の間」ー変わらぬものー
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2013.08.26 Monday
青空キャンプ(5) 忍耐
青空キャンプ前半の森篇をひと言で表すなら、「耐える」という言葉にします。キャンプの間毎日のように降りつづいた雨に耐え、スタッフは子どもたちに任せようと設定した態勢を大事にするために耐え、子どもたちは気ままに遊びながらもおとなの叱咤激励に応えようと耐えていたように思います。何か事が始まる時、一番先に求められる態度がこの忍耐であるなら、青空キャンプのスタートは本当に素晴らしいものでした。
後半に差し掛かったある日、希望者を募って山歩きをしました。目的地は小一時間ほどの距離にある石切り場。参加した四人の子どもたちの中に、おそらく内容を理解しないまま希望した6歳のユウタもいました。案の定、歩き始めてすぐに「喉が渇いた」「疲れた」などと言い出しなかなかペースがあがりません。メンバーで入れ替わり立ち代わりしながらなだめすかしての山行となりました。目的地に辿り着きその景観の素晴らしさに感動した子どもたちが大きな歓声をあげて探検を始める中、ひとりユウタだけは「恐い」と言って一定の線から決して中に入ろうとしませんでした。せっかく我慢して歩いてきたのに残念、と思いましたが、恐いという経験もまた現代では得難く大切なもの。多いに満足して帰路につきました。
その帰り道、何度も立ち止まっては「もう動けない」と泣きつくユウタ。おんぶして欲しかったのでしょうが、自分からそれを求めることだけはしませんでした。目を腫らし大粒の涙を流す姿を見ながら、「がんばれ」とひと言声を掛けるしかありません。あとは黙ってじっと待っているとまた歩き出し、すぐにまた座り込んで泣き叫ぶ繰り返し。まさに耐えるユウタと、その姿に耐えるスタッフでした。おかあさんがこの姿を見たらなんと思ったことでしょうか。野生になる!ことは、だれにも決して生易しいものではありません。そのあとユウタは熱を出し寝込んでしまいました。
忍耐を冬に喩えるなら、やがてやって来る春に芽吹くものは、その忍耐の中から生まれるのかも知れません。忍耐は、種。生命の営みの中で一番先に宿る大事な大事なものだということを、今ふりかえって思います。
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2013.05.22 Wednesday
石川県中央公園にて
金沢市内の中心部にあって憩いの場になっていた中央公園の改修工事をめぐり、庶民と県の間で押し問答が繰り返されている。園内の45本の木々が切り倒され、都会でよく見かけるようなイベント仕様の広場に様変わりしてしまう。たかが木だろうか、否、保守的でおとなしい石川の庶民がめずらしく立ち上がっている。二年前のあの三月以来、おそらく日本の多くの庶民が目覚めたのだ。絆だ復興だと声高に叫ぶばかりで相変わらず前例に囚われる政治や行政のお粗末な有り様を、庶民は痛いほどに知ってしまった。
工事二日目の公園に出かけた。この手の現場は好みじゃない(好む人など滅多にいないだろうが)。有志で作る守る会の代表らと県の担当者が立入りを拒むフェンスの傍らで話し合っていた。表向き紳士的なやりとりだったが、こういう場合の話はいつも平行線をたどるばかりだ。計画を変えることなどあり得ない立場と、それを薄々感じながらも撤回を望む立場と。どれほど向き合っていたものか、解散した直後に工事は再開され、一時間あまりの間に数本が伐採された。
現場にいて撮りながらただ様子を見守ることしかできなかった。チェンソーのうなり声が聞こえると、女が泣き叫び、数人から罵声が飛んだ。子どもを抱いたおかあさんが木への手紙だと言って担当官に手渡した。上の子が書いたものだそうだ。それぞれが思いの丈をぶつけている。無表情に立ち尽くしている県の職員は家に帰ればよき父親でもあるだろう。人間とは実に奇妙な生き物だ。組織に属している者は、個の意思を曲げてでも組織の論理でしか動けない。その暗黙のルールから外れることは自らの生活基盤を失うことでもある。
知事をはじめ石川県は、この事態をどう見ているだろう。このまま押し切って済ませるに違いないが、将来に残る禍根は大きいかも知れない。一連の動きを地元の一紙だけが取り上げていない。庶民の知らない所にいったいどんな動きがあるのか、訝しむ声が上がっても仕方のないことだろう。北陸中日新聞の報道で明るみになって以来、知事の発言は一切ない。まるで城の中の殿様然としている。放射能汚染に苛まれる福島然り、沖縄の基地問題然り、行政は庶民とかけ離れたままだ。これが公園などでなく、たとえば戦争にまつわることだとしても、このままではお上からの一方的な押しつけがまたまかり通ってしまう。
木にも目があるなら、見下ろす人の存在などどんなに小さなものだろう。人は触れるほどに向き合いながら、互いの声の中身は届かない。せめて木のように風をはらんで遠くの未来を見やる目を、戸惑っても迷っても、忘れない生き方が必要になる。
石川県中央公園にて
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2013.05.18 Saturday
「場」
佐伯さんが書いていた「場」の話を読んで、これまでもやもやとたれ込めていた心の中の有毒ガスのようなものがついに晴れて行くのかも知れないと感じている。気功に親しんでちょうど二十年、「場」については練功を通していくらかでも自分の感覚として捉えているつもりだったが、こうして理論として、さらには理念にまで発展することができることに、静かに深い感動を覚える。
福島の子どもたちを応援するキャンプは、唐突に思い立って始めた。すっかりご無沙汰していた知人に声を掛け、あっという間に当時の仲間が集まり任意団体として組織化、一年も経たないうちに市民ばかりか遠方からもスタッフとして有志が駆けつけるひとつの「場」に育っている。
日本の緊急事態だからその気持ちのある人が集まり場を創るのは当然の流れだろうと、取り立てて不思議とは思わないけれど、育つ力はその「場」にこそあることを痛感している。誰かひとりの存在が際立つこともなく、かと言って誰ひとり力なくその場に佇んでいるわけでもない。強制されることも教え込まれることもないのに、個が自ずと動いて場を創り、その場がさらに場を生み続けている。まさに有志の有機的な連携プレーだろうか。
同じ福島を応援する動きにも様々な形態がある。たとえば脱原発なりのデモ、国などに要望を提出することなどもそのひとつで、その必要性は十分に感じているつもりなのに、自分のこととして参加する気持ちにはなぜかいつもなれなかったし、たぶんこれからもならないだろう。凝り固まったベクトルを感じる場や、個が埋没して息が詰まるような場には体が拒否反応を起こしてしまう。息が詰まれば大声を上げて発散する必要がある。それはそれで体験してみたい気もするが、生き物としての人間が個を大切にするとしたら、同じ方向に向け闇雲に直線的な反発の規模を拡大して行く場より、様々な個が活かされ四方八方に波紋のように広がる場こそ必要なのではないだろうか。生きることは闘いではなく創造だと、こればかりは思い込んでいたい。
これまで個人的な好みでしかないだろうと思っていたこの思いは、「場」を感じる固有の野生または本能が成すものではなかったのか。そう思えるなら、感じた「場」でこそ己を活かすことができるだろう。活かすために個に執着するのではない。活かさなければ個の存在価値を全うしているとは言えないからだ。
そして思う。夫婦などの関係も、場として捉える方が非常にわかりやすい。出会った頃は愛だと思っている熱い思いに酔いしれて、これが結ばれていることだと思い込み、年月と共にそれらのすべてが色あせて行く。お前が愛してくれるなら俺も愛する、みたいなタイプのこの夫は、三十五年にもなる結婚生活にこの頃あまり気が向かないで戸惑っている。この関係を維持するだけなら、とてもじゃないが魅力を感じない。だが、これは妻と夫が老いながらも創り続けることができる「場」として、当初から変わらずにあるものだった。
条件付きの愛でなく無条件の愛こそ愛なのだ、というような生を感じない言葉で心を整理整頓したところで、生きている実感が伴わなければ決して長続きはしない。心を無理矢理一定方向に差し向けることなど、人には至難の技だ。縮んだり広がったりする心を持った人間は、愛などという曖昧なものではなく、かかわる「場」こそ意識すべきかもしれない。関係を維持する努力ではなく、「場」が創る関係を味わう程度が心地よいのかも知れない。
どの「場」にかかわり、その「場」にどうかかわるのかという選択が、いつも個に任されている。これは考えて選ぶというより、感じる野生の力を必要としている。生き物として鈍化してしまった感覚を取り戻さないかぎり、個としての己を活かすことなど到底叶わないだろう。むしろ「場」を選ぶより、呼んでいる「場」を認める。場もまた常に変容し続けている。動かなければ個としての己など埋もれて行くばかりだ。埋もれることもまた、この個の好みではあるけれど。
生命学ではなく、生命関係学
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2013.04.28 Sunday
木のように
どこにでもあるようなまちなかの公園だと思ってさして気にも留めなかった中央公園が、この連休明けにも整備され新しくなるそうで、にわかにその存在が気になり出した。45本もの木々が伐られるという。いつも当たり前のようにして立ちつづけてきた木は、この差し迫った事態をどんなふうに感じているだろう。木にも必ずや何物かが宿っているにちがいない。たかだか百年程度を寿命とする人間に、その何がわかるものか。周囲には木が6000本ほどもあるそうだ。伐採するのはほんの1%にも満たないと、県は考えている。放射能の影響で子どもたちが癌になる確立を同じように微々たるものとして扱っている日本のおとなが、木のことなど考えるはずもない。闇に包まれた木の傍でその気持ちを想像した。何も聞こえてこなかった。人間には、愛想がついたか…。
気功には樹林気功という種類がある。数年学んだことのある師が提唱して広がったそうだが、なんのことはない、木の傍で練功するだけの話だ。屋内で感じる気と屋外のそれとではちがいはあるだろうか。そう言えば、気感の有無は気功の上達とは関係がないと、師はよく言っていたものだ。気感があればより精進できるだろうという程度のことらしい。けれども樹林気功だけは、実にいい。木々と気をやりとりするイメージからはじめる。木のようにただじっと小一時間も立っていれば、丹田が熱くなり、足裏から根が生える。自然界から気を奪い取って何が気功だ、などという手合がいる。気のことを何ひとつ知らないんだろう。気は空にも地にもめぐるものだ。この生命は、気が集合して出来ている。だれのもおんなじだ。死は単に、その気が散らばっていったにすぎない。閉じたり開いたり、上がったり下がったり、虚空を漂っている。
そうだよね、木よ。
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2013.02.21 Thursday
無表情な歯医医院
日本人には表情がないという話を時々耳にする。その内のひとりとして無表情に大きく頷いてしまう。しかし、それが何だというのだろう。表情は、豊かなことにも乏しいことにも、それぞれに味があるのだ。
一度強烈に胸苦しくなった時でさえ医者にかからなかった者が、なぜか無視できなくて歯医者にだけは通ってしまう。妻が薦めてくれた近所の歯科医院で確かに腕は良さそうだが、これがまた感心してしまうほどに無表情なスタッフばかりが揃っている。そろそろ四十に手が届くかという医者の、それは指導によるものか、受付嬢も衛生士もとにかく数人の女性スタッフがちらとも微笑まずまるでロボットかサイボーグのようにして、常にゆったりめの一定の速度で動いている。問いかけて来る言葉も同じトーンで抑揚がない。はじめの頃はこの無味無臭な人々の表情を変えることに楽しみを見出していた。(おお、一応は笑うのか)。それがわかってホッとする自分の気持ちがおかしかった。なぜ人の無表情まで気にしなければならないのか。今は同じように無表情に答えて帰ってくることが多くなったが、無表情だからこそ気になるということが確かにありそうだ。人は互いの表情を伺いながら言葉を交わさずとも察し合っているつもりでいるのか、その表情が見えないと戸惑うことになるのだろう。ようするに無表情では不安で困るのだ。
無表情は何も感じていないだろうか、笑っているから心は踊っているか、涙が流れたらそれで感動か。一概に括れる話ではないだろう。外に出ている表情と内面の動きは決して決まった関係にはないのだ。近ごろは笑いは健康の元だと意識的に笑う人がいれば、まるで役者のように簡単に泣けてくる人もいる。心は表情で表すことができるが、それが自然にわき上がったものかどうか、表情から読み取るなどあまりに短絡な気がして疑わしい。その点、無表情にこそ味がある。無表情という表情があるかぎり、表情はすべての心を示してはいない。固く閉ざされた表情の奥深くで、感情が燃えるようにたぎっていることもあり得るのだ。それを人間の深さと言ってもいいような気がするくらいだ。今もそうなのか、場の空気を読めない人を小馬鹿にする風潮があった。それも所詮、空気も表情も読める程度の話でしかない。
笑顔は単純に美しい。涙もはじめは動揺を誘う。そして無表情にも、得体の知れない味がある。無表情の機微を知らないで、いったいなんの人間か。あの歯医者の人々のそれをまだ味わえないではいるけれど。
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2013.02.20 Wednesday
瞳
子どもの目だから透き通っているのではないと思う。まだ幼かった彼の目を見るにつけ、いつもそれを感じた。混ざりけがなく、まっすぐに見つめていた。つぶらな瞳という形容がとてもよく似合っていた。人間は忘れるからこそ生きてもいられるが、忘れない方が好ましいものもおそらくあったにちがいない。その目がいつもそう教えていた。いったい何を忘れてしまったのか。
四人の孫がいる。それぞれに、愛おしい。そして孫よりもなお、この頃は彼らを産んだ娘たちや懸命に生きようと足掻く息子が愛おしい。忘れ去ってしまったものは今さらどうしようもないけれど、子や孫がいる。彼らが見ているものを想像してみるというのはどうだろうか。老いながらでも、いくらかは透明度を恢復した瞳を持つことができるかもしれない。
写真を撮る上で不可欠な要素をあげるなら、少なくともマスノマサヒロとしては、まずはこの瞳か。瞳が濁っていたのでは話にならない。内なる心象に有象無象がどんなに入り乱れていようとも、この目に色眼鏡やフィルターを取り付けるわけには行かない。それでは対象を見つめたことには決してならないだろう。さらには五感で獲得した材料をもとに考えるという力が必要だ。あるがままを見つめる視点を固持するためには、対象の何があるがままであるのかと察知する洞察力、またはあまり好きな言葉ではないけれど、感受性とか知性とか。それらを濁りなきままに、一流と言われる写真家たちは気負わずに天性のものとして持ち続けているにちがいない。
幼い孫たちが少しずつ歪んで行く日常を想像できる。若い親たちの悩みながらの子育ても、すでに経験済みだからよく理解できる。だからと言って、濁る必要はないのだ。世の中には、辛酸をなめながら生き続けることで瞳は濁るものだと思われている節がある。それがおとなになることだと、ほとんどのおとなが思っているだろう。だが本当にそうだろうかと、いつも疑う目を持たなければ人生は惰性に陥ってしまう。濁りはたぶん、諦めることで麻痺することで成立してしまう症状なのだ。
彼の名は、太宇と書いて、たうと呼ぶ。はじめて聞いたときはなんと妙な名前だと呆れてしまったが、今では、そのままで宇宙を感じさせてくれるからか、とても気に入っている。つづく孫たちの名がまたいい。明空(みく)、弥天(みあ)。次女の子は、花音(かのん)。どれにも広がりを感じる。と、ここまで書いて、もしかすると広がりなのではないのかと思い出した。忘れていたもののひとつは。
遠く広く、しかも深く見つめようとする目。どうやらそれが彼の瞳に感じたものだった。人は、生きて耐えながら、実はその目をさらに磨くことができる生き物ではないのか。あらゆる経験はそのためにあってもいいだろう。
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2013.02.05 Tuesday
南相馬へ
南相馬の山あいに住んでいる上條大輔さんに会いに出かけた。五月の連休に知的障がいのある子どもたちを対象とした保養キャンプを金沢で開く計画で、その打ち合わせを兼ねていた。上條さんは何人かの近隣の障がい児を受け入れる施設を建て、いよいよ運営開始という矢先に震災と原発事故に遭ってしまった。
この小さな旅に同行したのは、今ではすっかり同志となった河崎仁志さんと通信大学生の一柳友広くん。三人の間には福島の子どもたち招いて開く「ふくしま・かなざわキッズ交流キャンプ」がある。河崎さんは事務局長、一柳くんは子どもたちと過ごすリーダー、これまで自分のことしか考えてこなかったこのジジイが柄にもなく代表というわけだ。南相馬への途上に浮かんできたのは、仕事でも観光でもないこの旅の不思議さだった。目的は明確、だれに言われたわけでもないのにみんな自らの意思で行動している。それが不思議だった。生き方は趣味だと言った作家がいる。福島にかかわろうとする思いもまた、趣味なんだろうか。その程度の気楽さがいい。
上條さんは笑うでもなく、かと言って無表情なわけでもなく、意思のあるまなざしで出迎えてくれた。いくらか強引な印象はあるけれど、人を惹きつけるものを持っている。
施設のある敷地は小山を切り開いた感じで田舎の小学校の運動場ほどもあった。ブルーシートに包まれた片隅の風景が目にとまった。これが除染のあとだろうと、すぐに理解できた。生い茂る杉林や葉を落とした樹々を眺めていると、汚染土を入れた大きな袋や小山の風景はなんとも異様だった。除染は莫大な費用をかける割には効果が薄いという話を聞く。実際に現場に立つと、まさにそうとしか思えなかった。居住空間を徹底して除染できたとしても、広大な山野はとてもじゃないが難しいだろう。誰が見ても明らかな話だ。
上條さんとのご縁は、森林組合という同じ仕事を持つ河崎さんからだった。二人ともツリークライミングの指導者で、フィールドでの活動を得意としている。豪放磊落という形容がよく似合う。その上條さんが昼飯の蕎麦を食べながら言った言葉に、少なからずショックを受けた。
「はじめはね、放射能のこともしっかり勉強して、いろいろ発言してきたんですよ。でもねえ、もうどうしようもない」と、動かし難い世の中に疲れ果てているようだった。たかだか一二日南相馬の周辺を案内してもらっただけでは、上條さんのこの二年の思いはどれほどもわからないだろうが、福島のいったい何が改善されたというのか、悩ましいことばかりの実情だけはよくわかった。復旧を宣言した当時の首相の言葉のなんと空々しいことか。これは自然災害でも戦争による被害でもない。日本人自らがしでかした人災が、これから何十何百年と影響し続ける一国の危機だった。
夜は二晩とも薪ストーブの上に置いた鍋を囲んだ。酒も手伝い話が弾んで、スーパーで仕入れたレトルトの出汁と具が実に旨かった。これは安いと、上條さんは福島産ばかりを買っていた。若い一柳くんが食べてもいいものか、言葉にすることは止めたけれど、福島に住むということは常に選択し続けなければならないことを痛感した。食事はもちろん、言葉のひとつ、どんなに小さな行動さえも。だがそれは福島だから、だろうか。
日常が当たり前のようにあることが決して当たり前ではなかったことを、あのすべてを呑み込んだ大津波を目の当たりにして誰もが知った、はずだ。その事実に立ち返れば、今をどう呼吸すべきか、選んだ方がいいにちがいない。何をどう感じて、どう考えるのか。それを行動するのかしないのか。南相馬での数日はため息ばかりが多かったけれど、今また新たな思いもかき立ててくれた。
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2013.01.26 Saturday
いのちの ささやかな ふれあい
保養プログラムと呼ばれる福島の子どもたちと過ごすキャンプを実際に開いてみて感じるのは、保養という冠などすぐに外していることです。大した言葉を交わすでもなく体をぶつけ合って戯れていると、どんなに生意気なやつでも孫ほどの世代になる子らが愛おしくてしようがなくなるのです。そろそろ還暦を迎えようかというジジイの中に散乱している子どもの頃のカケラが目を覚ますんでしょうか。保養なのだとしたら、半分はかかわるおとなのためのものだったりするのかもしれません。
このコラムの最後で鷲田清一さんは「東日本の大津波と原発事故からもうすぐ二年。震災後しばらくは、多くの人たちが被災地の人たちを思いを、その体感ごと必死で想像しようとした。ありふれた当たり前の日常を、ひとつの僥倖として受けとめなおした。幼いいのちの未来をつよく感じた」と書きながら、今はどうかと暗に問いかけています。でもこの一文を読んだからといって、それではまた思い出しましょうとは行かないでしょう。どんなに大きな出来事があったとしても、思うだけでは決して続かないのです。それが人間なのではと思います。忘れるからまた生きて行けもします。
でもここに登場する言葉少ない女子高生と幼子の体ごとのふれあいを読みながら、もうこれで彼女は決して忘れないだろうと思いました。体で感じたものは、その感触ぬくもり、寝息や吐息まで、なんとなれば意識的に蘇らせることもできます。
やっぱりこれは保養プログラムではないのです。福島の子どもたちの笑顔と元気を応援しよう、などと声を掛けてみたところで思ったほどに広がらなかったわけです。スタッフとして集まった仲間たちはおおむね自然や子どもが大好きで、それに福島や東北の応援がしたかったという思いが重なったようです。そして実際に出会ってしまったのです。出会うと、忘れることができなくなりました。
出会い、感じるという経験を現代人はいったいどれほど自分のものとしているでしょうか。毎日のように人は出会いながら、出会った人になにを感じているでしょうか。感じたものをその後も忘れずにいるでしょうか。それはいつまでも大事に心に留めておきたくなるものでしょうか。
ここまでの人生を振り返ると、本当に出会ったと思える人の数など片手ほどしかありません。それが多いのか少ないのかわかりませんが、もしかすると人間は、出会いという関係でより人間らしく生きて行ける生き物なんだろうと、福島や地元石川の子らと過ごすキャンプを経験しながら感じています。
応援してくださいとの願いは今も変わりません。そしてそれ以上に願うのは、みなさんにも出会って欲しいということです。出会いは何も人間同士とは限りませんが、そんな出会いも、自分ではない人に出会い伝えることでより豊かに互いを深めるでしょうから。
北陸中日新聞夕刊より
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