kazesan3風の吹くままカメラマンの心の旅日記

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『パピヨン 死と看取りへの旅』


 


 田口ランディ『パピヨン 死と看取りへの旅』(角川文庫)の表紙にマスノマサヒロの写真を起用していただきました。庭に咲いていた真っ赤なサザンカの写真です。赤緑色弱のせいもあって普段はあまり赤色に関心を示せないでいますが、この時ばかりは鮮やかな赤が目に飛び込んできました。その時のちょっぴり興奮した自分を今でも思い出すことができます。尊敬する作家の作品にこんな形で関われるなんて、ほんとうに夢見心地でいます。

 パピヨンを紹介するランディさんの言葉の中に、「誰かを看取ったことのある人、これから看取る人、死後の世界について考えたことのある人、魂の存在について考えたことのある人、人間の意識状態に興味がある人、そのような方にはぜひ読んでいただきたいと思います」とあります。まるでぼくのことを指しているような言葉ですが、実はまだこの作品を読んではいませんでした。

 次女の夫、ぼくには婿になる青年が逝ってからこの夏で丸二年になろうとしています。あの時から感じている哀しみが少しずつ形を変え体の内で蠢きつづけています。娘は、遺された幼子とふたりで生きて行くのだと決心したのか、このごろはとんとご無沙汰で、それがまたたまらなく悲しかったりします。身近な人を看取るということは、決してそれで終わってしまうわけではありません。遺された者同士は肩寄せ合い、または縁遠くなったとしても、天上の人を支えにもしてずっと生き続けなければなりません。

 ランディさんとこのしがない田舎の写真家は、取材を通してもう十年ほども前に出合いました。いつだったか北陸方面に来られた折、地元の雑誌編集者と三人で会食したことがあります。酒も進んでそろそろお開きかという頃合いになって投げかけてくださった言葉で、もしかするとぼくは変わり始めたのかもしれません。「マスノさんの写真、なかなかにえぐいんだけど、もうひとつなんだよね」。その言葉の意味は今もよくわからないでいますが、ぼくの中にも育ちたがっている何かの種がある、それが芽を出そうとしているのだと思ったものでした。

 あるときは、親しくされている藤原新也さんのエピソードをメールでいただいたことがあります。自分の作風を変えるためにカメラまで変えているというのです。いつもぎりぎりの家計ではそんなアドバイスをされてもどうしようもないと聞き流してしまいましたが、今変わり始めてみると、変わらないでいる理由を並べてばかりいた自分の怠慢、傲慢さがおかしくて泣けてしまいます。変わることこそ、人生という旅の醍醐味なんだろうと今では思います。

 『パピヨン』の文庫は、この人生の二つ目の宝物になりました。もうひとつは、掲載の夢がかなった『風の旅人』ですが、編集長の佐伯剛さんがネット上のコメント欄に書いてくださった言葉からこのごろずっと考え続けていることがあります。それは、責任というものです。いろいろな人間関係の中で負わされていると感じる世俗的な責任のことではなく、もっと本質的な責任を本来人間は持っているのではないかということです。生きていること、看取ること、そしていつか自分もまた死んでゆくその旅の途上にたったひとつだけ必要なものがあるとしたら、それこそが、ここで考えようとしている責任なのではと思うのです。何に対する責任なんでしょうか。わかったつもりになって簡単に言葉にはできませんが、どうも自分に最も近い存在としてのもうひとりの自分に対して、または自分という曖昧な枠組みを越えたところに広がっている領域に対して、なのではと。己と、己を越えているもの、このかけ離れたふたつの両極を結んでいるものこそ、責任なのではと。

 『パピヨン 死と看取りへの旅』を読み始める、とてもいい頃合いがやってきたようです。




































| 15:37 | 日々のカケラ | comments(3) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
悩ましい日々の糧

砂の紋様 2012 珠洲鉢ヶ崎にて


 あれからもう、四年になる。『風の旅人』に出合い、そのホームページ上で編集長の佐伯さんと何度か言葉を交わした。否、教えを乞うた。三十年あまりも撮り続けながら、あのとき初めて写真が持つ奥深さを感じた。それでいよいよ能登を撮りはじめる気になった。能登には何度も取材で出かけ、人や風景を撮り、横で話も聞いたりしていたが、いつも表面的な描写で済ませていたようだ。つまりは肉薄する意思も意識もなかった。地方の媒体の取材なんて、その程度で十分だった。だが今ならそれがあるとでも言うのだろうか。サイトに残されている文章を改めて読んでみると、佐伯さんの言葉がとてもよく理解できる。いくらかでも成長したんだろうが、理解できるようになった分だけ、深まっていない自分がより明確に見えてくる。

 写真を撮ることで、自分が生きることとしたい。その思いは昔から変わらずにある。撮る対象に向き合うまなざしはでも、深まっているだろうか。その何を撮るつもりなのか、わきまえているだろうか。とてもイエスとは言えない。

 たとえば、人間の価値をどこに置いているか。それを写真ではなく、言葉にすることができるか。写真には言葉は無用だ、などという写真家もいるだろうが、そういう方はおそらく伝えるべき己の言葉を持っていないのかも知れない。見て感じてもらえたことがあなたへのメッセージ、などと聞くと、荒涼とした砂漠を思い浮かべて寒気がする。無味乾燥した内面は、わかりやすい簡単な言葉で武装するしかないだろう。ずっとそうだったから、よくわかる。言葉を紡ぐためには、対象に静かに肉薄するまなざしが不可欠だ。その意識がなくては、撮ったところで世界のなにがどう変わるものでもないだろう。

 被災地に出かけようと何度も思った。大津波に襲われた直後のあの三月に一度気仙沼などを訪ねただけで、結局はそれ以上のことができないでいるのは、その力がないことを知っていたからだろう。まなざしの力、読み取る力、感じる力、受容する力、そしてその場に共にいる力。それらが決定的に欠けている。

 ボランティアとして駆けつけることもせず、ましてや撮ることもしないで思い悩む日々は、それでもそれなりに価値があった。今は悩ましい時なのであって、白黒を選り分けるようなわかりやすく単純な時代ではないだろう。悩ましい者だからこそ、悩ましい時代を見つめることができる。そのまなざしで撮るつもりなら、案外可能なことだろう。

 表現する者にとっての言葉の話だった。悩ましい者はこうして思い悩んだままにこぼれる言葉を大事にすればいい。意識の奥深くにある見えないものに、そうして少しづつでも近づければいい。すべては撮るために、撮ることで生きるために。

 などと言葉に任せて並べてみると、うすっぺらな自分の内面に残ったあの哀しみがまた蘇ってくる。なんというこの四年の日々。まるで撮ることのために、すべての出合いと別れが用意されていたかのようだ。見えるものしか撮れないけれど、思い出やら記憶やら、見えないものが束になって支えてくれている。どうやらこれもひとつの力になるようだ。







































| 17:03 | 写真 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
水平線が見える町
 まったくこれではブログオタクですが、また新しいページを開きました。数年前から撮りはじめている能登の出合いをメモして行きます。「能登半島 水平線が見える町」 。能登は日本の真ん中。日本海に突き出している半島の姿は、羽を広げた鳳の頭のようにも見えます。半島は、陸続きでありながらそれには背を向け、海に開かれた半分だけ島という特異な環境にあります。世界の辺境にある日本の中の、さらに辺境の能登の旅。どうぞごいっしょにお楽しみください。半島には、日本人としての味のある生き方が隠れていそうな気がします。










































| 22:51 | 能登 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
負荷


      翠ヶ池 2008



 冬の白山に登るなんてもうこの人生では無理だろうと、決めつけ、あきらめていたけれど、先日不意に、登りたい、と思った。あと三年で迎える還暦の冬を目標にした。老いの入口に立っているのが感じられる。でも、いいじゃないか、いくつになったって。一度きりの人生だ、死ぬまで何度でも挑戦してやる。

 さっそく毎朝の里山歩きに、負荷をかけている。ザックに詰める米や酒の紙パックが増えてきた。急に重く感じて計ってみると、今朝は二十キロを越えていた。山岳ガイドの同世代の友人は四十キロも担ぐというから、まったく信じられない。ここにもプロフェッショナルな境地があることを肌で感じる。せめて三十キロまで。

 負荷をかけると、自ずと一歩ずつに意識が向き出す。いい加減な気持ちで歩くわけには行かない。重心が足裏のどこにあるのか、歩幅は適当か、斜面のどのあたりが滑りそうか、などとバランスを崩さないように常に気にかかる。緩慢になるしかない膝や足首、腰の関節の動きに注目すると、体が全体を使って歩いているのがわかる。骨も肉も絶妙に動いている。そう感じた分だけ、これまでの山歩きのなんと中途半端だったことかとため息が出た。

 写真もおそらく同じなのにちがいない。己に負荷をかけないで、なんのためらいもなく撮れるものなど、いずれ大したものじゃない。そこらへんにごろごろ転がっている。三十年以上も関わりながら、世の中でもてはやされている写真のつまらなさが、ようやくはっきりと見えてきた。

 数年前に言われた、『風の旅人』編集長の佐伯剛さんのひと言を忘れたことがない。綺麗なだけの写真。その意味が、今ならわかる。安らぎとか癒しとか、健やかに穏やかにとか、それが望むべきものだと煽てられた世の中に安穏としていられるうちはいいけれど、いつ何時でも、不意の負荷がかかって崩壊する世の中に立ち向かう力などそこにはあるはずもない。美しいという形容詞を決まり切った定型のものとしてしか感じられないなら、おぞましいまでのぞっとするような美は見えないだろうが、美こそは、動いている、激しく、動かしてもくれる。美しいとは、それだけで決して終わらない負荷を感じる力のことだ。原動力、生命力だと、今ならそう思う。

 たとえ四十キロを背負って歩けたところでこの日常のなにひとつ変わらないだろうが、感じはじめたこの一歩ずつの重みを重ねた先にまだ見ぬ世界があるだろうか。負荷をかけてこそ見えて来るものがあるにちがいない、きっとどこまで行っても届かない、果てしないのだろうが。




































| 18:24 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
閉鎖病棟





 ぼくはいま閉鎖病棟にいます。そんな書き出しではじまる友人からの便りをもらうまで、その環境はもちろん閉鎖病棟という言葉さえ知らずにいた。ぼくは外に出られませんが、お見舞いならいつでも受けることができます。何人もの友人知人に同じ文面の便りを出しているところを見ると、よほど人に会いたいんだろうと、二度ほど出かけた。行ってみると、どこにも閉鎖病棟などとは表示されていなかった。ただ病棟への入り口は施錠され、友人はガラスのドア越しにぼくを待っていた。看護士に導かれ中に入る。いきなり抱きついて来た友人。この十年ほどたまにふれあう程度の間柄だったから、ちょっとどぎまぎした。

 入り口の脇にある小部屋で向き合い、一時間あまりもしゃべった。ほとんど聞いているだけだったが、友人はいったいどこが具合悪いのか見当もつかなかった。普通に会話し、普通に怒り、普通に泣いて、ぼくとちっとも変わらない。

 電話もかかってきた。ダライラマ法王の本を読んでいたとき、相部屋の三人が卑猥な話ばかりするのにいらいらして、ついに暴れたそうだ。そのあとの四日間、独房のような小部屋に閉じ込められひとりで過ごしたという。閉鎖病棟の中には、さらに閉じ込めるための隔離室があるようだ。返す言葉もなく黙って聞いていると、それじゃと言って、電話は切られた。
 
 友人からは割と頻繁に手紙が届く。「あいつらは馬鹿なんです。無視すればいいのに、暴れた自分が恥ずかしい」と二度も書いてくる。同じ内容の便りだと返事に困るが、会話気分の書き言葉でやりとりすることにして、これからは見舞いには行きません、手紙にします、と伝えた。いくらか誤解があったようだが、面と向って適当な会話をして帰ってくるより、友人と真剣に向き合う機会にしたいと思うから。

 友人とぼくはどこが違うんだろ。ぼくもいつも、この世の中にいらいらしている。東日本の大災害からまだ一年だというのに、たまたま被災地ではなかった町の暮らしはいつもと変わらず、旨い物を食べ、酒に酔い、音楽を聴き、好きでもない相手とセックスに興じ、ネット上でそれをやりとりしている。まったく人間っていったいどういうつもりなんだ。それでお前は? と振り返る前に、世の中の嫌気が差す面ばかり気になる。これじゃ友人とおんなじ。違うのは、まだ暴れていないという程度のことばかり。

 原発事故は一向に収束する気配がない。現場では死に物狂いの作業が続いているだろうに、政府も東電も、まるでのほほんとしているように感じる。福島県民は怒っているのに、そうでない県民は、怒っているだろうか。おとなしい日本人、行儀がいいんだ、みんな。ぼくももちろんそのひとり。

 友人への返事には、去年の初冬に白山帯の森を歩いて感じたことを書いた。山を歩きながら撮る写真は、ひと際目立つ大木だったり絶景だったり、とにかく特別この気を惹く対象がほとんどだったが、その日、舞い出した雪で埋もれて行く森の雑多な美しさに気づいて目を見張った。森にあるのは巨樹ばかりでないことぐらい知っているが、実際には森のなにひとつも見ていなかった。森は本当にありとあらゆる姿の樹々で埋め尽くされていた。折れて朽ちてゆく小枝が土に還る。草木、鳥や獣、名もない土中の微生物さえ、すべてが森をつくる担い手だった。その上でそそり立っているに過ぎない大木は、足下の小さな生き物たちをどう見ているのか。木を見て森を見ずとは、まったくよく言ったものだ。

 見えるものばかりに気を取られていると、その場の雰囲気というものを感じないで済ませている。出来ることなら、目は閉じていたほうがいいくらいだ。ことに森では、存在は瞑って視なければ感じられない。このごろ里山を歩きながら、そう思うようになった。森の巨樹もいいけれど、まるで乱舞しているような目線の高さの樹々がいい。森はまさに踊って混沌としている。その中に迷い込むがいい。森を歩く醍醐味だ。

 友人は、なぜ閉鎖病棟にいるんだろう。暴れるから? ぼくもときどき暴れたくなる。この世の中も、閉じているのかと思うことがある。だからでもないが、見えないものまで感じようとすればいい、森を歩くようにして。




































| 16:10 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
絶望の果てに





 フォトジャーナリストという仕事への興味もあって、森住卓さんの講演会、というより報告会に出かけた。森住さんは世界各地に広がっている核汚染地域を取材撮影している。「核にこんなに長く関わるとは思わなかった」との言葉で報告会は始まった。もう十数年も続けておられるそうだ。この問題を探ろうとすれば深入りするばかりで、おそらく何かが解決するまで抜けられなくなるんだろうと、会場の雰囲気からひとり外れて感じていた。

 機会があれば現地で知った数々の事実を知ってもらいたいという思いに駆られるのか、二時間ほどの枠の中で森住さんが取り上げた現地はカザフスタン、チェルノブイリ、福島、マーシャル諸島などで、「イラクのことも知ってもらいたいんですが」とそれが今もっとも気になる風でもあったが、かなわなかった。

 旧ソ連を構成していたカザフスタン共和国はモンゴルの西に位置し、「ステップ特有の乾燥した台地が広がっている」と氏のホームページに紹介されている。その地で1963年以降、343回の地下核実験が行われ、その度に風下の村を放射能に汚染された風が流れて行った。世代を越えて奇形児を生み出す被ばくの恐ろしさ。どのページを見ても動悸が高鳴る。報告会の質疑応答では笑い声さえ飛び交っていたが、森住さんは日本の会場でもっとも悲惨な状況を見せるつもりはなかったのかも知れない。

 森住さんが最後にぽつりとこぼしたひと言を忘れることはないだろう。「わたしの話はいつも絶望で終わってしまう」。世界の状況を知れば、やがて絶望に行き着くしかないんだろうか。数日前に『生き残った日本人へ 高村薫 復興を問う』というNHKの番組を見た。そこでも作家は苦悩の表情を浮かべ「絶望」という言葉を吐いた。

 日本だけでなく、世界は絶望なんだろうか。森住さんは、DNAにまで影響を及ぼす核の被害を指して「人間は神の領域に踏み込んでしまったようだ」と言った。その報告を聞きながら、核開発を競っている国々が付近の住民を人体実験の材料にしてきた横暴に愕然とし、日本の指導者と言われる人たちの無力と無策にもまた憤り、肩を落としてしまう。人間は本当に、そうしては行けないものに手を出してしまったようだ。そのことに無関心だったことが今頃になって悔やまれる。

 絶望だとして、絶望の果てにあるものはなんだろうか。何もかもすべて無くなってしまうんだろうか。番組の最後に、一縷の望みを託したかのように作家は言った。「個人の命はどこかで必ず終わりがくるが、生命全体ではどうということはない」と。そしてテロップが映し出された。

 「生き残った日本人は、どのような未来を選ぶのか。『失う』理性と覚悟はあるか」。

 失う理性と覚悟、という言葉を噛み締めてみると、コトンと音を立てて腑に落ちたものを感じる。感情や思いの丈をぶつけていても、もうどうしようもない所まで今の人類は来てしまったのだ。元に戻すことなど決してできない。たとえば日本なら、どこもかしこも高齢化が進み、若者は離れ、今の世代で終わろうとする一次産業が何割も占めていることだろう。震災前のその状態に戻すことが復興であるはずがない。復興には、これまであった大切な何かを失う覚悟が必要になるんだろう。それを理性で考え判断しなければならない。被災した東日本の未来の姿を考えるとは日本の未来を考えるということだと、作家は言った。

 世界中の放射能にまみれた地を歩き回ってきたフォトジャーナリストの被ばくというものが気になった。時間があれば聞いてみたかったが、森住さんはすでに覚悟しているのかも知れない。自分の大切なものを失うことさえ。
































| 19:12 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
尊厳




 図書館で出合った『20年間の水曜日』という本を読んだ。今日までの二十年の間、毎週水曜日の十二時にソウルの日本大使館前に人が集まりデモが行われている。その方々の話だった。デモに集まるのは、日本軍「慰安婦」のハルモニたちと彼らを支援する人びとだった。

 日本軍「慰安婦」と聞いて、すぐに理解できる日本人はいったいどれほどいるだろう。ぼくは恥ずかしながら言葉を知っている程度だった。慰安婦。言葉面からは、慰め癒してくれる女性を連想してしまうけれど、その前に日本軍が付いているように、戦争に駆り出された若い女性たち、しかも強制的に、中には十代前半の幼い少女までいたのだ。戦場の日本の兵隊たちの性欲を満たすために、騙され、連れ去られたのだ。性の奴隷だったのだ。

 日本の敗戦は、その占領下にあったアジアの国々の解放だったが、解放後四十年もの間、日本軍「慰安婦」を強いられた女性たちは沈黙を守るしかない状況に置かれていた。今、八十を越えたそのハルモニたちが自らの忌々しい過去を公にし、すべての人間に与えられているはずの尊厳の回復を求め続けている。そして日本という国は、まるで関与していなかったかのように、補償はもちろん、謝罪の言葉さえ返していない。

 この本を読み終え二日ほど経った。いまここで何を書こうとしているのか、まったくわからない。なにひとつまとまる気配を感じない。ただ、読みっ放しで終わらせてはいけない、という気持ちがあるばかり。

 人間の尊厳、などと、簡単に言葉にしてしまったけれど、本書のどこにもそのひと言はなかったような気がする。たぶんぼくには、尊厳の意味などわかっていない。使う資質を持ち合わせていないのだ。でも、と言いたくなるほどに、人間にとってもっとも大切なものをハルモニたちは奪われたのではなかったのかと、思わずにいられない。

 世界には、男と女しかいない。体力的な力の差は確かにあるだろう。それが強い弱いということなのか、弱い女性がなぜ虐げられなければならないのか。男である自分の中を探ってみる。もしも戦場にあって、慰安婦の館の前にできた兵隊のその列に、お前は加わるのか。たとえば暗がりで襲われている女性を見つけ、お前は助けることができるのか。

 もしかすると、人間の尊厳とは、自らの意思で守るものなのかも知れない。尊厳を捨てて、列に加わる。見て見ぬ振りをして、尊厳を捨てる。だが幼い少女たちは、そのときどうすればよかったというのか。まるで道具でも扱うようにして、男たちに簡単に剥ぎ取られてしまったのだ。

 ハルモニたちは、「二度と同じことが起こってはならない」との思いから、経験を公にし、毎週デモに加わり、声をあげ続けた。海外に出向き勇気を持って体験を話した。デモに加わった日本の若者をあたたかく迎えた。そこにあるものにこそ、尊厳という言葉が似合わないだろうか。

 日本軍「慰安婦」と同じようなことが、今も戦場で女性たちの身に起こっていることを、世界の男たちはどう考えるのか。遠い国の出来事を、言葉では悲しみながら、他人事で終わらせるのか。

 なにひとつまとまる気配はないけれど、これは自分自身の問題でもあるだろう。

































| 19:37 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
木のように
 





 気になる木を見かけると、ついつい撮って、気がつけば木ばかり撮っている。山でも町でも、巨木でもそこら辺りの植木でも、なんでこんなに木が気になるんだろう、などと木のように立ちながら考えた。

 站とう功は、樹林気功で立つといっそう気持ちがいい。その場でただただ立ち続ける。胸の前で気の玉を抱くように両腕を掲げていると肩へとかかる重みに耐えられなくなり、ついもうやめようかと思うものだが、実はその先にこそ站とう功の深い味わいが待っている。十年以上も前の練功にはまっていたころ、そのあまりの気持ちよさに酔いしれたものだ。復活したばかりの今はまだその辺りまで辿り着けないけれど、今また木のように立ってみて、その気持ちがいくらかわかる気がしてきた。木にも気持ちなどあるとして。

 何百何千年とじっと動かないでその場に立ち続ける木。身も心も動き回る人間に木の気持ちがわかるはずもないだろうが、しばらくでも立ち続けると、しばしばずっとそのままでもいいような気になる。小鳥のさえずり、雪が融けて落ちる音、肌を刺す冷気、そよぐ風など、里山の静寂に包まれて感じているわずかばかりの刺激があれば、立っていることの味わいに十分な魅力が生まれる。足下の地中へと根を広げているのかと、錯覚すら覚える。木は、立ち続けることで、そうでしか感じることのできない世界を、きっと味わっているのだ。木のように立つことを覚えると、だから木の何かがいつも気になるのかも知れない。

 樹林気功には木と気を交換する楽しみもある。見えない気だからイメージでその気になっているに過ぎないとも言えそうだが、その気になる、その気こそ気功が扱うものだ。細やかに脈々と流れる気をやりとりする時、人に木の気持ちが伝わるのか、だから共に立ち続けたい気持ちになるのか。もの言わぬ木が、とても気になる。

 木が存在し、空気の要素を交換しなければ、動く物たちの影も形もないのだろう。世界の営みとは、まったく畏れ多くて、気になるばかりだ。

































| 14:21 | 日々のカケラ | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
空き缶の声
 


2011 近所の里山にて



 偉大な孤高の写真家、石元泰博さんが亡くなられた。あまりに遠い雲の上の存在なのに、心の真ん中に空いたこの小さな穴は何だろうか。氏と同じ写真の世界で表現できることを最近になってようやく幸せなことだと思えるようになっていたのに、なんだか知らないが、空いた穴から空気が抜けてしぼんで行くものがある。実力には月とスッポン、天と地ほどに開きがあるのだから、そうまで特別な思いを抱くこともないだろうに、不思議なものだ、お会いしたことなどもちろんないけれど、ほんの少しでも同じ時代の空気を吸えたことを、たとえどんなにしぼんでも、いつまでも大切に感じ続けることができる気がする。

 生涯に一度でいいから載ってみたいと思った『風の旅人』の43号で、あろうことか、そのまさかの夢がかなった。マスノマサヒロ「生の霊」は自分でも驚くほどに印象深い、これが初めてとも言える作品になったが、掲載後になんらかの成果が残ったとしても、それはおそらく撮った者の実力ではないだろう。突然の哀しみが家族を襲った。その事態に、その関係の中に、見えないけれどすべてを動かす大きな力がはたらいていたことを今さらながらに感じている。

 「人や地球を見つめる日本発の本格的グラフ文化誌」との序詞を持つ『風の旅人』は、独自の世界で深い境地へと掘り下げる一流の写真家たちと有望な若手が絶妙に配置された希有な雑誌だ。目覚めたばかりの中途半端な写真家もどきがその場に交われたことは奇跡の中の奇跡だった。しかもその号で石元泰博「色とそら〜あはひ〜」と同席するという幸運に恵まれた。発行の三ヶ月前に東日本を襲ったあの大震災、巨大津波、そして世界を震撼させている原発事故と深くどこかでつながっているように、43号は「空即是色」をテーマとしていた。見えない大きな力は、おそらくあらゆる場面ではたらいている、そうとしか思えない。

 何かがひとつでも欠けていたら、世界は決して今のようではあり得ない。己の変化ひとつとっても同じことが言えるだろう。写真に出合った小さき者が、人生の残りを意識する頃になって希有な雑誌に出合い、縁などないと思っていた偉大な先達の作品さえも心の間近で見つめるようになった。それだけで世界に何らかの役割を果たせるわけでもないけれど、この変わりゆく流れを見逃さず、感じ続けるしかない。

 十数年も前、道端でぺちゃんこにひしゃげた空き缶を何個も撮っていた頃がある。ただただ、気ままだった。なんとなく気になるから撮っていただけ、さらに何かを深めようという気などさらさらなく、出来上がったプリントをながめて自己満足しているだけだった。

 石元泰博が撮った空き缶は、なんであんなにもの言いたげなんだろう。何かが迫って来る、息苦しくなるほどだ。

 氏があるインタビューで応えている。

 「変わっていくもの、定かでないものが撮りたいんです。缶も、木の葉も、雲も水も、人間も、今撮っているこのシリーズは、うつり行くもの変わり行くものをじっくり見つめたい思いが、私に撮らさせるんですね」。

 あるいは別のところで、
 
 「……この結果生まれる写真は偶然の結果といおうか、あるいは当然そうなるべきであったといおうか……」

 何もかもがひとときとして同じでないことを、激動の時代を生き抜いた写真家は痛いほどに感じておられたのかも知れない。ある固い意思を持ちながら、しかもその枠に囚われない。氏の空き缶を今また見て、そんな言葉が浮かんできた。ありがたい。これで小さき者でも、氏の足下で死ぬまで撮り続けることができる。でも、数ある名作がひしめく中で、なぜ空き缶なんだろう。

 ……ある日、ある所……
 すべてのものは生きている。
 その刻々と生きる生命を記録し、彼らとともに、
 小さな声をあげたい……    
                 (石元泰博)

                              
合掌




参照 『YASUHIRO ISHIMOTO』高知県立美術館、『石元泰博 ― 写真という思考』(森山明子著)
































| 12:44 | 写真 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
間垣の里






 寒波襲来の予報を聞いて、二年ぶりに間垣の里を訪ねた。冬の様子を見たいと思い続けていたからだが、雪は降らなかった。それどころか青空さえ広がった。残念、などと言ってはいけないか。奥能登で暮らすことの苦労などなにひとつ知らない。かと言って、通り過ぎるだけの観光客にもなり切れない。お前はいったいどういう立場でここに居るのかと、自分に問わずにはいられなくなった。

 集落は、入り江とも湾とも言えそうにない、ぱっくりと抉られたような小さな窪みの中央にこじんまりとある。間垣に囲まれたその風景の中で、撮りながら二日ほど佇んだ。

 シベリアからの季節風は、ことのほか冷たかった。肌を刺すとか骨身に染みるという形容ではまだまだ足りない。その中をジャージの上着ともんぺに長靴、顔をマフラーで覆っているだけの驚くほど軽装の老婦がトボトボと歩いてきた。「おばあちゃん、お墓行くんですか」。墓の方向に向かっていた。両手をポケットに入れたまま、「なもなも」。寒村で人に会うことは滅多にない。だから会ったというそれだけでうれしくなる。ひと言あいさつを交わすだけで、ありがたくなるほどだ。けれどもお前、やっぱりなんでここに居るんだろう。

 ウミネコが数羽、この辺りに棲みついているのか、住人でも観光客でもない者の相手をしてくれるように、海に、里の上にと一日中舞っていた。餌を求めているんだろうが、羽を広げて滑空するグライダーのような姿は贅沢な遊覧飛行にも見えて惚れ惚れした。強風にさえバランス良く何の苦労も感じさせないで向って行く。風を読み切っているのか。そこへ飛んできたカラスだった。羽をバタバタしながら、きっとギシギシと言わせながら、風に煽られ懸命な低空飛行で檻のような鉄のゴミ箱に辿り着いた。思わず笑って、そして思った。お前もこのカラスだ。するとこの里の人びとは、さながらウミネコなのかも知れない。

 防波堤の影に隠れて、顔を出した陽光を浴びた。あんまり気持ちがよくて、ため息が出た。なにも考えないでしばらくぼーっとしていた。立場なんかどうだっていいじゃないか。目的なんかいらない。何度でも通おう。バタバタと飛んで来よう。奥能登の間垣の里に惹かれている。




































| 13:59 | 能登 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by マスノマサヒロ |
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